2026年は、日本で本格的なプロ野球リーグが始まった1936年から数えて90年目に当たります。現在のセントラル・リーグとパシフィック・リーグの歴史を理解するうえで欠かせないのが、両リーグの源流となった日本野球連盟による1リーグ時代(1936~1949年)です。この時代には、東京巨人や大阪タイガースが優勝を重ね、戦争による中断を挟みながら、現在のプロ野球につながるリーグ運営の基礎が築かれました。
ただし、1936年から1949年まで、毎年同じ試合方式でペナントレースが行われていたわけではありません。1936年の大会形式、1937・1938年の春秋2シーズン制、1939年以降の1シーズン制、1944年の短縮日程、そして1946年の戦後復活と、リーグ戦の仕組みは大きく変化しています。日本野球機構(NPB)の年度別成績と野球殿堂博物館の歴史資料をもとに、歴代優勝チーム、試合数、制度変更、セ・パ分立の背景を整理します。
【まず全体像】日本野球連盟とは?セ・パ両リーグにつながるプロ野球の原点
日本野球連盟とは、現在の日本プロ野球の前身に当たる1リーグ時代の運営組織です。1936年から1949年までの期間に公式リーグ戦を実施し、現在のプロ野球を構成する球団や競技制度の土台を形成しました。
1936年2月5日、7球団によって職業野球の組織が誕生日本のプロ野球が組織的なリーグ運営へ進む転機となったのは、1936年2月5日です。この日、7球団によって全日本職業野球連盟の創立総会が開かれました。
創立時の7球団は次のとおりです。
- 東京巨人
- 大阪タイガース
- 名古屋
- 東京セネタース
- 阪急
- 大東京
- 名古屋金鯱
現在の読売ジャイアンツにつながる東京巨人や、阪神タイガースの前身である大阪タイガースなど、現在の球団史にもつながる名前が並んでいます。
NPBの歴史資料によると、連盟は創立後に名称を変更しています。1936年3月7日に日本職業野球連盟となり、1939年3月1日には日本野球連盟へ改称しました。
つまり、1936年の創立時と1939年以降では、組織の正式名称が異なります。歴史を調べる際には、これらを同一の流れにある組織として理解することが大切です。
1リーグ制だった時代と現在のNPBの違い現在のプロ野球はセントラル・リーグとパシフィック・リーグに分かれていますが、1936~1949年は基本的に全国の球団が同じリーグに所属する1リーグ制でした。
現在のようにセ・リーグ優勝チームとパ・リーグ優勝チームが別々に決まり、日本シリーズで日本一を争う仕組みは、まだ存在していません。
当時の優勝は、1つのリーグに所属する球団同士の年間成績によって決定されていました。ただし、1936年から1938年にかけては大会の区切りや集計方法が異なり、現在のレギュラーシーズンと完全に同じ仕組みではありません。
日本野球連盟の1リーグ時代を知ることは、単に昔の優勝球団を覚えるだけではなく、現在のリーグ構造がどのように成立したのかを理解するための出発点になります。
【戦前のプロ野球】1936~1944年のリーグ戦と優勝チームの変遷
戦前のプロ野球は、リーグ運営の仕組みそのものを整えていく時期でした。創設初年度の1936年は大会形式が複雑で、翌1937年からは春季・秋季の2シーズン制が導入されます。その後、1939年には年間を通じた1シーズン制へ移行しました。
1936年は通常の年間ペナントレースとは異なる大会形式1936年4月29日、日本職業野球リーグ戦が始まりました。
ただし、開幕時には東京巨人がアメリカ遠征中だったため、最初の大会は全7球団がそろった状態ではありませんでした。甲子園球場、鳴海球場、宝塚球場などで地域別の大会が開催され、その後、連盟結成記念の全日本野球選手権も行われています。
野球殿堂博物館の「プロ野球ポスター(1リーグ時代)」の解説によると、1936年春から夏の大会は、全チームが参加できなかった大会や、地域ごとに実施された記念大会を含む特殊な形式でした。そのため、現代のような統一された年間優勝球団を決める仕組みとは異なります。
その後、秋には第2回全日本野球選手権が開催されました。甲子園、鳴海、宝塚、上井草、洲崎など複数の球場を使用し、各大会の成績を組み合わせて優勝を争う方式が採用されています。
NPBの年度別優勝チーム一覧では、1936年秋の優勝球団として東京巨人が記録されています。
このため、1936年の初期大会と秋の優勝を混同しないことが、プロ野球史を正確に理解するポイントです。
1937~1938年は春季・秋季の2シーズン制1937年にはイーグルスが加盟し、参加球団は8球団となりました。この年から春季と秋季をそれぞれ独立したシーズンとして扱う方式が定着します。
1937年春は東京巨人が優勝。大阪タイガースも41勝を挙げましたが、巨人が勝率.759でわずかに上回りました。秋は大阪タイガースが勝率.813を記録して優勝しています。
1938年も春秋2シーズン制が継続しました。春は大阪タイガースが29勝6敗、勝率.829という好成績で優勝。秋は東京巨人が30勝9敗1分、勝率.769で頂点に立っています。
この時期の特徴は、年間を通した優勝争いではなく、春と秋の2回、それぞれ独立した優勝争いが行われたことです。
1939年から1シーズン制へ移行、巨人の強さが際立つ1939年3月1日、日本職業野球連盟は日本野球連盟へ名称を変更しました。同年からリーグ戦も春秋2シーズン制を廃止し、年間を通じた1シーズン制へ移行しています。
この変更によって、現在のプロ野球に近い年間優勝という考え方が、より明確になりました。
1939年から1943年までの優勝球団は、すべて東京巨人です。藤本定義監督や中島治康監督の時代を含め、巨人は5年連続でリーグの頂点に立ちました。
一方、戦争の影響は徐々に競技運営にも及びます。球団数や試合数が変化し、1944年には参加球団が6球団に減少。シーズンも35試合に短縮されました。
【歴代優勝チーム一覧】1936~1949年の王者とプロ野球の試合方式を比較
ここでは、日本野球機構の年度別成績と歴代優勝チームの記録をもとに、日本野球連盟時代の優勝球団を整理します。
表中の試合数は、原則として優勝球団が実際に記録した公式戦の試合数です。1936年の初期大会のように統一された年間優勝制度がなかった期間や、戦争で試合が行われなかった1945年は、その事情を区別しています。
| 年度・シーズン | 優勝チーム | 試合方式・歴史的な特徴 |
|---|---|---|
| 1936年春~夏 | 年間優勝なし | 甲子園・鳴海・宝塚などの大会を実施。統一的な年度優勝は設定されず。 |
| 1936年秋 | 東京巨人 | 複数球場の大会成績を組み合わせた初期のペナントレース。 |
| 1937年春 | 東京巨人 | 8球団による春季シーズン。優勝球団の試合数は56試合。 |
| 1937年秋 | 大阪タイガース | 8球団による秋季シーズン。優勝球団は49試合を実施。 |
| 1938年春 | 大阪タイガース | 春季シーズン。優勝球団は35試合で29勝。 |
| 1938年秋 | 東京巨人 | 9球団による秋季シーズン。優勝球団は40試合を実施。 |
| 1939年 | 東京巨人 | 1シーズン制へ移行。9球団、優勝球団96試合。 |
| 1940年 | 東京巨人 | 1シーズン制。優勝球団104試合。 |
| 1941年 | 東京巨人 | 8球団による1シーズン制。優勝球団86試合。 |
| 1942年 | 東京巨人 | 8球団によるリーグ戦。優勝球団105試合。 |
| 1943年 | 東京巨人 | 8球団によるリーグ戦。優勝球団84試合。 |
| 1944年 | 阪神 | 戦時下の短縮シーズン。6球団、35試合。 |
| 1945年 | 開催なし | 戦争の影響で公式リーグ戦は中断。 |
| 1946年 | 近畿グレートリング | 8球団でリーグ戦再開。優勝球団105試合。 |
| 1947年 | 大阪タイガース | 8球団によるリーグ戦。優勝球団119試合。 |
| 1948年 | 南海ホークス | 8球団によるリーグ戦。優勝球団140試合。 |
| 1949年 | 読売ジャイアンツ | 8球団による1リーグ最終年。優勝球団134試合。 |
出典:日本野球機構「年度別成績(1936~1949)」、野球殿堂博物館「プロ野球ポスター(1リーグ時代)」
歴代優勝チームから見える3つの大きな傾向この一覧からは、日本野球連盟時代の特徴を大きく3つ読み取れます。
1つ目は、戦前の東京巨人の圧倒的な存在感です。1939年から1943年まで5年連続で優勝しており、戦前の1リーグ時代を代表する強豪球団でした。
2つ目は、阪神の安定した競争力です。1937年秋、1938年春、1944年、1947年に優勝しています。特に1944年は35試合という短いシーズンながら、27勝6敗2分、勝率.818という高い成績を残しました。
3つ目は、戦後に優勝球団が多様化したことです。1946年は近畿グレートリング、1948年は南海ホークスが優勝しました。巨人と阪神だけでなく、複数の球団がリーグの主役となっていきます。
【戦争による断絶】1944年の短縮リーグから1945年の中断へ
日本野球連盟の歴史を考えるうえで、戦争の影響は避けて通れません。1939年以降に整備されてきたリーグ戦は、戦況の悪化によって運営条件が厳しくなり、1944年には大幅な縮小を余儀なくされました。
1944年は6球団・35試合の短縮シーズン1944年の公式成績を見ると、参加球団は6球団に減少しています。優勝した阪神は35試合を戦い、27勝6敗2分で勝率.818を記録しました。
2位の東京巨人は19勝14敗2分で勝率.576。阪神とのゲーム差は8.0でした。
数字だけを見ると阪神の圧勝ですが、重要なのは、通常の長期シーズンとは異なる環境で行われたという点です。
1944年1月3日には日本野球連盟が日本野球報国会へ改称。野球を取り巻く社会環境は大きく変わり、同年11月13日には一時休止が表明されました。
野球殿堂博物館の歴史資料にも、この時期の大会運営の縮小と休止が記録されています。
1945年は公式リーグ戦がなく、東西対抗戦で復興の兆し1945年は日本野球連盟の通常のペナントレースが開催されなかった年です。
しかし、終戦後には野球の復活に向けた動きが始まりました。NPBの歴史資料によると、同年11月23日には神宮球場で戦後最初のプロ野球東西対抗戦が開催されています。
この試合では東軍が13対9で勝利しました。
1945年は年間優勝球団が存在しない一方、プロ野球の再建に向けて重要な意味を持つ年でもあります。公式リーグ戦の復活は翌1946年まで待つことになります。
【戦後のプロ野球】1946~1949年にリーグ戦が復活・拡大した理由
1946年、プロ野球は公式リーグ戦を再開しました。戦争によって中断していた競技活動が戻り、球団の再編や新しい選手の台頭とともに、リーグ戦の規模も拡大していきます。
1946年は近畿グレートリングが復活初年度を制覇1946年4月27日、ペナントレースが再開されました。参加したのは8球団で、各球団は105試合を戦っています。
優勝したのは近畿グレートリングです。
NPBの公式年度別成績では、65勝38敗2分、勝率.631を記録しています。2位の東京巨人は64勝39敗2分、勝率.621で、ゲーム差はわずか1.0でした。
接戦を制した近畿グレートリングは、翌1947年以降の南海ホークスにつながる球団です。現在の福岡ソフトバンクホークスの球団史をさかのぼるうえでも、重要な優勝記録となっています。
1947年から1949年にかけて試合数が増加戦後のリーグ戦は、開催環境の回復に伴って試合数が増加しました。
1947年は119試合制となり、大阪タイガースが79勝37敗3分、勝率.681で優勝。1948年には140試合まで拡大し、南海ホークスが87勝49敗4分、勝率.640で頂点に立っています。
そして1949年、日本野球連盟の1リーグ時代は最終年を迎えました。
この年の優勝球団は読売ジャイアンツです。85勝48敗1分、勝率.639という成績で、2位の阪急ブレーブスに16ゲーム差をつけました。
なお、1949年はチームによって実際の試合数が133~138試合と異なっています。優勝した巨人は134試合を消化しました。予定試合数と実施された試合数を区別する必要がある年度です。
戦後の4年間を比較すると、リーグ戦が105試合から119試合、140試合へと拡大したことが分かります。これは、プロ野球が再び安定した興行として成長していく過程を示す数字でもあります。
1948年には日本プロ野球初のナイターも開催戦後の復興を象徴する出来事の一つが、ナイターの登場です。
野球殿堂博物館の歴史資料によると、1948年には横浜ゲーリッグ球場、現在の横浜スタジアムにつながる場所でプロ野球初のナイターが開催されました。
昼間の試合を中心としていたプロ野球に新しい観戦スタイルが加わり、興行面でも発展の可能性が広がりました。
1946年のリーグ戦再開、1948年のナイター、1949年の球界再編は、戦後プロ野球が現在の形へ進む重要な転換点です。
【セ・パ両リーグの源流】1949年の分裂と1950年の2リーグ制誕生
現在のセントラル・リーグとパシフィック・リーグの直接的な源流は、1949年の日本野球界の再編にあります。
重要なのは、1936年の日本野球連盟時代からセ・パの2リーグが存在していたわけではないという点です。1949年までは1リーグ制であり、同年の球界再編を経て、1950年から現在につながる2リーグ制が始まりました。
毎日オリオンズの加盟問題が球界再編の引き金に1949年は、既存球団だけで構成されていたプロ野球に、新規参入を希望する企業や球団が相次いだ年でした。
特に大きな議論になったのが、毎日新聞社による毎日オリオンズの加盟問題です。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースやパ・リーグ関連の歴史資料によると、毎日オリオンズの参加をめぐって既存球団の意見が分かれ、1リーグを維持するのか、2リーグに分けるのかという問題が表面化しました。
新規球団の受け入れに積極的な球団と慎重な球団の間で調整が難しくなり、最終的に日本野球連盟を再編する方向へ進みました。
1949年11月26日に太平洋野球連盟が発足現在のパ・リーグにつながる組織は、1949年11月26日に結成されました。当時の名称は太平洋野球連盟です。
発足時の中心となった既存球団は、阪急、南海、大映、東急の4球団でした。その後、毎日、近鉄、西鉄の参加が認められ、7球団体制のリーグが形成されます。
現在のパシフィック・リーグは、この太平洋野球連盟を源流としています。なお、1949年当時の正式名称と現在のリーグ名称は同一ではありません。
1949年12月15日にセントラル・リーグが結成一方、セントラル・リーグは1949年12月15日に結成されました。
日本野球機構のセ・リーグ略史には、創設時の7球団として次の球団が記録されています。
- 読売ジャイアンツ
- 松竹ロビンス
- 阪神タイガース
- 中日ドラゴンズ
- 広島カープ
- 大洋ホエールズ
- 西日本パイレーツ
その後、1950年1月12日に国鉄スワローズが加盟し、8球団体制となりました。
こうして、既存球団と新規参入球団を合わせた15球団による2リーグ制の枠組みが整います。
1950年に現在につながる2リーグ制がスタート1950年、セントラル・リーグとパシフィック・リーグによる公式シーズンが始まりました。
ここで初めて、セ・リーグとパ・リーグのそれぞれで優勝球団が決まり、両リーグの代表が日本一を争う仕組みが成立します。
この再編によって、プロ野球は1リーグ時代の単一の優勝争いから、2つのリーグによる独立した競争へと変わりました。
つまり、セ・リーグの源流は1949年12月に結成されたセントラル・リーグ、パ・リーグの源流は同年11月に結成された太平洋野球連盟にあります。両リーグの歴史を理解するには、1936年の創設だけでなく、1949年の分裂までを一つの流れとして捉えることが重要です。
【プロ野球フリーク向けの日本野球連盟の歴史】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:日本野球連盟時代のプロ野球は何年から何年までですか?
A1:基本的には1936年から1949年までです。ただし、1945年は戦争の影響で通常の公式リーグ戦が行われず、1944年の一時休止を挟んで1946年に再開されました。
Q2:日本野球連盟時代の歴代優勝チームで最も強かったのはどこですか?
A2:戦前の優勝回数という観点では東京巨人が際立っています。特に1939~1943年には5年連続優勝を達成しました。一方、戦後は大阪タイガース、近畿グレートリング、南海ホークスなども優勝しています。
Q3:1936年のプロ野球最初のリーグ戦で優勝したのはどこですか?
A3:1936年春から夏にかけて行われた初期大会には、統一された年間優勝制度がありませんでした。東京セネタースが各地の大会で好成績を残していますが、NPBの年度別優勝チーム一覧では、1936年秋の優勝球団として東京巨人が記録されています。
Q4:1945年にプロ野球のリーグ戦がなかったのはなぜですか?
A4:太平洋戦争の影響で1944年11月にプロ野球の活動が一時休止されたためです。1945年11月には東西対抗戦が行われ、1946年4月27日から公式ペナントレースが再開されました。
Q5:セ・リーグとパ・リーグはいつ誕生しましたか?
A5:1949年にそれぞれの前身組織が結成され、1950年から2リーグ制の公式シーズンが始まりました。セントラル・リーグは1949年12月15日、現在のパ・リーグにつながる太平洋野球連盟は同年11月26日に結成されています。
日本野球連盟による1リーグ時代は、1936年の7球団による創設から1949年の球界再編まで、約14年間にわたって続きました。
この期間には、東京巨人の連続優勝、大阪タイガースの躍進、戦争によるリーグ中断、戦後のペナントレース復活、そしてセ・パ両リーグの誕生という大きな出来事がありました。
【プロの結論】歴史を読み解くなら優勝球団と試合方式をセットで見る日本野球連盟の歴史を理解するうえで、最も重要なのは、単純に優勝球団の名前だけを並べないことです。
1936年は統一的な年間優勝制度が確立しておらず、1937・1938年は春秋2シーズン制、1939年からは1シーズン制へ移行しました。1944年には戦時下で35試合に短縮され、1945年は公式リーグ戦が中断。1946年以降は試合数を増やしながらリーグ戦が再建されました。
こうした変化を踏まえると、同じ「優勝」という記録でも、その背景にある競争条件が年度ごとに違っていたことが分かります。
特にプロ野球フリークが押さえておきたい要点は次の3つです。
- 戦前の中心球団:1939~1943年に5連覇した東京巨人の存在。
- 戦後の再建:1946年の近畿グレートリング優勝と、1947~1948年の阪神・南海の躍進。
- 現代プロ野球への転換:1949年の球界再編と1950年のセ・パ2リーグ制開始。
2026年のプロ野球を楽しむ際にも、現在の球団名やリーグ構造の背後には、1936年から続く長い歴史があります。日本野球連盟の優勝記録と試合方式の変遷を押さえておけば、読売ジャイアンツ、阪神タイガース、福岡ソフトバンクホークスをはじめとする各球団の歴史的なつながりも、より立体的に見えてきます。
日本野球連盟の1リーグ時代は、現在のプロ野球の単なる前史ではありません。戦前・戦後の社会情勢を乗り越え、日本のプロ野球が現在の2リーグ体制へ発展するための基盤を築いた、欠かすことのできない時代なのです。