「神は二物を与えず」は、人間にはいくつもの優れた才能や長所が同時に備わるとは限らず、誰にでも得意なことと不得意なことがある、という意味で使われることわざです。一般的には「天は二物を与えず」という表記が知られており、読み方は「てんはにぶつをあたえず」です。容姿、知性、運動能力、経済力など、複数の面で恵まれた人を見たときや、優れた能力を持つ人にも意外な弱点があると気づいたときに使われます。
実は、この表現には興味深い歴史があります。江戸時代の1832年に刊行された洒落本『傾城情史』に古い用例が確認され、さらに1917年発表の芥川龍之介『戯作三昧』にも登場します。一方、ことわざそのものの成立事情や最初の考案者は特定されていません。2026年現在の辞書情報と歴史的な用例を手掛かりに、意味、由来、使い方、類語、対義語、そして「才色兼備」との違いまで整理します。
【意味と読み方】神は二物を与えずとは?「天は二物を与えず」との関係

「天は二物を与えず」は、天が一人の人間にいくつもの優れた長所や美点を与えることはない、という意味のことわざです。
小学館の『デジタル大辞泉』では、天は一人の人間にそれほど多くの長所を与えることはしない、という趣旨で説明されています。また、『精選版 日本国語大辞典』では、一つの面が優れていても別の面では不足があるなど、良いところばかりをそろえた人はいないという意味合いが示されています。
ここでいう「二物」は、文字どおり二つの品物を意味するわけではありません。才能、容姿、知性、体力、経済的な豊かさなど、人間が持つさまざまな優れた資質を象徴しています。
例えば、非常に優秀な研究者がスポーツを苦手としていたり、歌唱力に恵まれた人が人前で話すことを不得意としていたりする状況が、このことわざに当てはまります。
ただし、二つ以上の才能を持つ人が存在しないという科学的な法則ではありません。人間の能力や個性には幅があり、複数の分野で優れた実績を残す人もいます。あくまで、完璧な人間などいないという人生観を表現した言葉です。
読み方は「てんはにぶつをあたえず」標準的な表記と読み方は次のとおりです。
- 天は二物を与えず:てんはにぶつをあたえず
- 天二物を与えず:てんにぶつをあたえず
- 天は二物を下さず:てんはにぶつをくださず
- 天、二物を与えず:てんにぶつをあたえず
- 神は二物を与えず:かみはにぶつをあたえず
辞書の見出し語として広く掲載されているのは「天は二物を与えず」です。「天二物を与えず」という助詞を省いた形も、歴史的な用例に見られます。
「神は二物を与えず」は、「天」を「神」に置き換えた表現です。意味はほぼ同じ趣旨で理解されますが、辞書で基本形を調べる際には「天は二物を与えず」を使うと探しやすくなります。
「天」は何を意味しているのかこのことわざの「天」は、自然や運命、人間の力を超えた存在などを象徴する言葉です。
「神は二物を与えず」と言い換えられることから、神様が人間に与える才能や資質をイメージする人も少なくありません。しかし、特定の宗教の神や教義を直接示す言葉として理解する必要はありません。
重要なのは、誰かが意図的に人間の能力を制限しているという話ではなく、人間にはそれぞれ異なる長所と短所があるという考え方です。
【由来・語源を検証】出典不明なのに1832年の江戸時代の用例がある理由
ことわざの成立した時期や作者は特定されていない「天は二物を与えず」の語源については、特定の作者や原典が明らかになっていません。
故事ことわざ辞典では、出典が特定されていないことわざとして扱われています。中国の古典にある特定の故事や、聖書の一節を直接の出典として確定できる資料も示されていません。
つまり、現在の表現が誰によって最初に作られたのか、どの時代に口頭表現として広まったのかは分かっていないということです。
ここで注意したいのが、「出典不明」と「古い使用例が存在しない」は別の意味だという点です。
ことわざの発祥や原典が分からなくても、過去の文学作品にその表現が登場していれば、少なくともその時代までに使われていたことは確認できます。
1832年刊『傾城情史』に見られる江戸時代の用例『精選版 日本国語大辞典』が紹介する初出の実例は、洒落本『傾城情史』(1832年)です。
この作品には、容姿が良く、しかも金持ちという男性は非常に珍しいという趣旨の文章があり、その中で「天二物を下さず」という表現が使われています。
これは現在の「天は二物を与えず」と同じ考え方を示す用例です。容姿と経済力という二つの長所を兼ね備えた人物は珍しい、という文脈で使われています。
この点は、ことわざの意味を理解するうえでも興味深い部分です。現代では知性と運動能力、容姿と才能など、さまざまな組み合わせで使われますが、江戸時代の用例では外見と財産という具体的な条件が取り上げられていました。
また、佐賀大学附属図書館の洒落本解説によると、洒落本は江戸時代の遊里を主な舞台として、遊女や客の姿、当時の風俗などを滑稽に描いた戯作文学の一ジャンルです。こうした作品に用例が残っていることは、当時の人々の価値観や日常的な言葉遣いを知る手掛かりになります。
1917年の芥川龍之介『戯作三昧』にも登場もう一つの重要な文学的用例が、芥川龍之介の小説『戯作三昧』です。
この作品は大正6年、すなわち1917年に発表されました。主人公は江戸時代の戯作者・曲亭馬琴です。
作中では、馬琴が和歌や発句などの創作について、自分にはあまり向いていないという趣旨の話をします。それを聞いた近江屋平吉が、優れた作家にも不得意な分野があることを受けて、次の言葉を口にします。
「天二物を与へずとは、よく申したものでございます。」
この場面での意味は、優れた戯作者であっても、あらゆる文学分野に秀でているわけではないということです。
興味深いのは、1832年の『傾城情史』では容姿と財産、1917年の『戯作三昧』では創作能力の違いが題材になっている点です。対象は異なりますが、一人の人間がすべての面で優れているとは限らないという共通の考え方が読み取れます。
なお、『戯作三昧』は1917年に発表された歴史小説です。作中の会話は芥川による文学表現であり、江戸時代の人物が実際にこの言葉を発したという歴史的な証言とは区別する必要があります。
【歴史的用例を比較】傾城情史・戯作三昧と現代の表記の関係
辞書や文学作品を照合すると、このことわざは時代によって少しずつ表記を変えながら受け継がれてきたことが分かります。
以下に、主な用例と関連する資料を整理しました。
| 年代・資料 | 表記・内容 | 意味・位置づけ |
|---|---|---|
| 1832年 『傾城情史』 |
天二物を下さず | 容姿と財産の両方に恵まれた男性は珍しいという文脈。精選版日本国語大辞典の初出実例。 |
| 1917年 芥川龍之介『戯作三昧』 |
天二物を与へず | 曲亭馬琴の得意分野と不得意分野をめぐる会話で使用。 |
| 現代の辞書表記 | 天は二物を与えず | 小学館『デジタル大辞泉』の見出し語。読み方は「てんはにぶつをあたえず」。 |
| 現代の関連表記 | 天、二物を与えず | 「天」を主語とする表現。漢字ペディアにも掲載されている。 |
| 現代の言い換え | 神は二物を与えず | 「天」を「神」と置き換えた同趣旨の表現。 |
歴史的な資料として注目したいのは、CiNii Booksの書誌情報です。『大客』という作品の別題として『傾城情史』や『傾城情史大客』が記録され、関亭京鶴述、天保3年刊(1832年)として登録されています。
早稲田大学図書館の古典籍総合データベースにも『傾城情史大客』が掲載されており、江戸時代の洒落本として書誌情報が確認できます。
こうした記録と国語辞典の用例を組み合わせることで、ことわざの発祥そのものは不明でも、少なくとも江戸後期には類似した表現が使われていたことが分かります。
また、1832年の用例と1917年の用例の間には約85年の隔たりがあります。両作品は異なる時代の資料ですが、表現の継続性を確認できる点で重要です。
【使い方・例文】天は二物を与えずを自然に使う場面と注意点
使い方の基本は長所と短所を対比すること「天は二物を与えず」は、ある人物の優れた能力と不得意な部分を対比させるときに使います。
また、優れた能力を複数持つ人物を見て、このことわざが当てはまらないと表現する使い方もあります。
日常会話だけでなく、人物紹介、エッセー、スポーツや芸術に関する文章などにも使用できます。
具体的な例文5選例文1:知性と運動能力を対比する場合
「彼は数学の成績では誰にも負けないが、運動は大の苦手だ。天は二物を与えずということだろう。」
例文2:仕事の能力について話す場合
「彼女は企画力と発想力に優れている一方、細かな事務作業には苦手意識がある。天は二物を与えずとはよく言ったものだ。」
例文3:複数の才能を持つ人を褒める場合
「歌唱力も演技力も抜群で、さらに語学も堪能とは、天は二物を与えずという言葉が当てはまらない人だ。」
例文4:自分の不得意分野を説明する場合
「文章を書くことは好きだが、絵を描くのは苦手だ。天は二物を与えずというけれど、自分にも得意不得意があるものだ。」
例文5:努力の大切さを伝える場合
「天は二物を与えずというけれど、最初から苦手だと決めつける必要はない。練習を重ねればできることも増えていく。」
使うときに気をつけたい3つのポイント1. 相手の欠点を直接指摘する目的で使わない
容姿の良い人に対して「でも頭は良くないね。天は二物を与えずだね」と言えば、褒め言葉ではなく侮辱として受け取られる可能性があります。特に外見や能力に関する評価は、相手との関係性に配慮が必要です。
2. 複数の才能を持つ人への皮肉にしない
このことわざは、才能を持つ人の努力や実績を否定するための言葉ではありません。複数の分野で活躍する人に対して使う場合も、敬意を込めた表現にすることが大切です。
3. 努力では変えられないという意味にしない
このことわざは、人間の長所と短所を表現するものですが、苦手なことを一生克服できないという意味ではありません。経験や学習によって能力を伸ばすことは十分に可能です。
【類語・対義語】天は二物を与えずと似た言葉・反対の意味を持つ言葉
類語・類義語は「角ある獣に上歯なし」「天は二物を与えず」と似た意味を持つことわざには、次のようなものがあります。
角ある獣に上歯なし(つのあるけものにうわばなし)
角を持つ動物には上あごの牙がないということから、一つの優れた特徴を持つものが、別の優れた特徴まで備えているとは限らないという意味です。
「角あるものは牙なく、牙あるものは角なし」という形でも表現されます。複数の長所を兼ね備えることの難しさをたとえる点で、「天は二物を与えず」とよく似ています。
弁慶の泣き所(べんけいのなきどころ)
どんなに強い人にも弱点があるという意味です。一般的には向こうずねを指し、豪傑として知られる弁慶にも痛がる急所があったというたとえから生まれた表現です。
「天は二物を与えず」が複数の長所を兼ね備えることの難しさを表すのに対し、「弁慶の泣き所」は誰にでも弱点があることに重点があります。
一長一短(いっちょういったん)
長所もあれば短所もあるという意味です。人物だけでなく、商品、サービス、制度などにも使えます。
こちらは、二つ以上の才能を持つことが難しいというより、物事には良い面と悪い面の両方があるという考え方を表します。
対義語・反対語にあたる表現「天は二物を与えず」には、辞書で定着した一つの直接的な対義語があるわけではありません。
ただし、複数の優れた能力や資質を兼ね備えることを表す言葉は、意味の上で対照的に使えます。
才色兼備(さいしょくけんび)
優れた才能と美しい容姿を兼ね備えていることを意味します。特に女性について使われる表現として辞書に掲載されています。
文武両道(ぶんぶりょうどう)
学問と武道の両方に秀でていることです。現代では、勉強とスポーツの両方に優れた人を表す言葉としても広く使われます。
博学多才(はくがくたさい)
幅広い知識を持ち、多くの才能に恵まれていることです。知識と能力の豊かさを肯定的に評価する表現です。
これらは厳密な反対語というよりも、「天は二物を与えず」が示す考え方とは反対方向の特徴を表す言葉として理解すると適切です。
「才色兼備」との違いは何か特に混同しやすいのが「才色兼備」です。
両者は複数の長所や資質に関係する言葉ですが、評価の方向性が異なります。
「天は二物を与えず」は、すべての面で優れた人間はいないという考え方を表します。一方、「才色兼備」は、才能と容姿という二つの優れた特徴を実際に兼ね備えている人を褒める言葉です。
例えば、美しい容姿と優れた知性を持つ女性について「彼女は才色兼備だ」と表現できます。
反対に、優れた能力を持つ人にも不得意な部分があると説明したい場合は、「天は二物を与えず」が適しています。
なお、『デジタル大辞泉』と『精選版 日本国語大辞典』の「才色兼備」の項目では、女性が優れた才知と美しい容姿を持っていることと説明されています。単に二つの才能があるという意味ではありません。
【プロの結論】神は二物を与えずということわざから読み取れる本当の意味
「神は二物を与えず」という言葉の面白さは、人間の価値を一つの基準だけで測ることの難しさを教えてくれる点にあります。
江戸時代の『傾城情史』では容姿と財産、芥川龍之介の『戯作三昧』では創作の得意不得意が題材になっていました。時代や作品が変わっても、すべてを兼ね備えた人間などいないという考え方は共通しています。
ただし、現代の視点から見ると、このことわざを絶対的な真理として受け取る必要はありません。
一人の人間が複数の才能を持つことはありますし、不得意な分野も経験や努力によって伸ばせます。才能の種類や程度も人それぞれです。
むしろ、この言葉の実用的な価値は、他人の長所だけを見て自分と比較したり、自分の不得意な部分だけを気にしたりすることを和らげる点にあります。
人間にはそれぞれ異なる個性があり、何かに秀でていることと、すべてが完璧であることは同じではありません。
ことわざを人の欠点を笑うためではなく、それぞれの個性や得意分野を認めるために使うこと。それが、現代における「天は二物を与えず」の適切な受け止め方です。
神は二物を与えず・天は二物を与えずに関するよくある質問(FAQ)
Q1:「神は二物を与えず」と「天は二物を与えず」はどちらが正しい?
A1:同じ趣旨を表す言い方ですが、国語辞典の代表的な見出し語は「天は二物を与えず」です。文章やことわざの意味を調べる場合は、こちらの表記を使うと確実です。
Q2:「天は二物を与えず」の読み方と意味は?
A2:読み方は「てんはにぶつをあたえず」です。天は一人の人間に多くの長所や才能を与えることはない、つまり誰にでも得意なことと不得意なことがあるという意味です。
Q3:「天は二物を与えず」の由来は何?
A3:成立した時期や考案者、特定の原典は明らかになっていません。ただし、辞書に記録された古い使用例として、1832年刊の洒落本『傾城情史』があります。
Q4:芥川龍之介の『戯作三昧』ではどのように使われている?
A4:1917年発表の『戯作三昧』では、曲亭馬琴が特定の文学分野を不得意としていることを受け、近江屋平吉が「天二物を与へず」と発言します。優れた作家にも得意不得意があるという意味で使われています。
Q5:「才色兼備」は「天は二物を与えず」の対義語?
A5:意味の方向性は対照的ですが、厳密に定まった対義語ではありません。「才色兼備」は優れた才能と美しい容姿を兼ね備えていることを褒める表現です。
「神は二物を与えず」は、一般的な表記である「天は二物を与えず」と同じ趣旨のことわざです。読み方は「てんはにぶつをあたえず」で、人間にはそれぞれ長所と短所があり、すべての面で完璧な人はいないという考え方を表しています。
歴史的には、1832年刊の洒落本『傾城情史』に「天二物を下さず」という用例があり、1917年発表の芥川龍之介『戯作三昧』にも「天二物を与へず」という表現が登場します。ことわざの成立した経緯や原典は特定されていませんが、江戸時代にはすでに使われていたことが辞書資料から確認できます。
類義語には「角ある獣に上歯なし」や「弁慶の泣き所」があり、対照的な表現には「才色兼備」「文武両道」「博学多才」などがあります。
大切なのは、このことわざを人の能力を決めつけるために使わないことです。得意なことも不得意なことも含めて人間の個性として受け止める。そのような視点で使えば、今でも十分に意味のある日本語表現といえます。
主な参照資料: 小学館『デジタル大辞泉』、小学館『精選版 日本国語大辞典』、漢字ペディア、CiNii Books、早稲田大学図書館古典籍総合データベース、青空文庫掲載『戯作三昧』、佐賀大学附属図書館の洒落本解説。