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【息子の名前は田部井進也】2026年現在は母の遺志を受け継ぐ活動に携わる

室井 健太 室井 健太 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
目次

田部井淳子さんの息子は、長男の田部井進也(たべい・しんや)さんです。講談社のウェブメディア「コクリコ」が2025年6月から掲載した子育て特集や、同年11月の本人インタビューで実名が確認できます。

進也さんは、母が始めた「東北の高校生の富士登山プロジェクト」を引き継いだ人物です。2025年のインタビューでは、母の活動を継続していることや、映画化された母の生涯について自身の思いを語っています。

加えて、婦人公論.jpの著者プロフィールでも、田部井進也さんは同プロジェクトのリーダーとして紹介されています。単に著名な登山家の息子という立場ではなく、母が残した社会活動を実際に運営する立場にあるのです。

2026年現在の進也さんについて、公開情報から確認できる主な活動は次のとおりです。

- 東北の高校生の富士登山プロジェクトのリーダー
- 一般社団法人田部井淳子基金を通じた母の理念の継承
- 東北の若い世代に登山や自然体験の機会を届ける活動
- 映画やメディアでのインタビューを通じた母の生涯の紹介

一方、現在の詳しい勤務先、個人的な生活、結婚の有無などについては、広く公表された情報が限られています。社会活動については具体的な実績が確認できますが、私生活まで明らかになっているわけではありません。

出典:講談社「コクリコ」2025年11月16日掲載の本人インタビュー、婦人公論.jpの著者プロフィール、一般社団法人田部井淳子基金の公式情報。

【田部井淳子の家族構成】夫・政伸さんと一男一女の家庭

田部井淳子息子

田部井淳子さんの家族構成は、夫の田部井政伸さん、長男の進也さん、娘の4人家族です。

夫婦はともに登山を愛する人物でした。政伸さんも国内外で登山経験を積んだクライマーであり、会社員として働きながら山岳活動を続けていました。

富士山世界遺産国民会議のインタビューでは、政伸さん自身が淳子さんとの間に一女一男をもうけたことを紹介しています。子どもたちにも、自分の好きなことに挑戦するよう伝えてきたそうです。

家族・関係者と関連作品の関係
人物・作品 田部井淳子さんとの関係 確認できる情報
田部井淳子 本人 1939年生まれ。2016年10月20日逝去
田部井政伸 夫 1967年に結婚。2017年に著書を出版
田部井進也 長男 母の富士登山プロジェクトを継承
娘 長女 一女一男のうちの一人。詳細なプロフィールは限定的
『てっぺん』 夫が執筆した書籍 2017年6月、宝島社から発売
田部井淳子基金 遺志を継ぐ活動団体 2017年設立。代表理事は田部井政伸

この家族関係で注目したいのは、淳子さんの登山活動を夫が支え、長男が後年その社会的な活動を引き継いでいる点です。

田部井夫妻は、子どもに登山家という職業や生き方を押しつけていたわけではありません。政伸さんはインタビューで、子どもたちには自分たちとは別の人生があり、本人が望むことを尊重してきたと説明しています。

また、淳子さんの闘病中も、家族全員が特別な生活に切り替えるのではなく、それぞれが日常を続けていたと政伸さんは振り返っています。

出典:富士山世界遺産国民会議「田部井政伸インタビュー」、一般社団法人田部井淳子基金、講談社「コクリコ」。

【長男・進也さんの生い立ち】高校中退から大学院進学までの歩み

田部井進也さんについて、特に詳しいエピソードが紹介されたのが、講談社の「コクリコ」が2025年6月16日から18日に掲載した3回連載の子育て特集です。

世界的な登山家を母に持つ進也さんは、幼いころから周囲に「あの田部井さんの息子」と見られることがありました。本人にとっては、その周囲の期待や決めつけが負担になることもあったといいます。

思春期には反抗的な行動も

連載記事によると、進也さんは中学生のころから反抗的な行動が目立つようになり、学校を休んだり、自宅の部屋の壁に穴を開けたりすることもありました。

高校生になると、スキーに熱中するようになります。競技スキーに強い関心を持ち、学校生活よりも自分のやりたいことを優先するようになっていきました。

そして、ある日、両親に相談することなく高校を退学してしまいます。

当時の進也さんは、スキー指導者とともにアメリカで競技スキーの大会を転戦するなど、好きなことに取り組んでいました。しかし、スキーシーズンが終わると時間を持て余すようになり、次第に自分の将来を考えるようになります。

家族以外の大人との出会いが転機に

進也さんの人生を変えるきっかけとなったのは、福島県南会津町にあるペンションのオーナー、平野均さんとの出会いでした。

田部井家がスキーや登山で訪れていたペンションの経営者で、家族ぐるみの交流があった人物です。

進也さんは平野さんに、自分の将来について考えていることや、高校卒業の資格を取りたいという思いを打ち明けました。

平野さんは、進也さんに自宅で暮らしながら地元の高校に通うことを提案します。進也さんは19歳で親元を離れ、新しい環境で高校生活を再スタートさせました。

このとき、両親も息子の選択を尊重したと政伸さんは語っています。著名人の子どもとしてではなく、一人の人間として進也さんと接してくれる第三者の存在が、本人にとって大きな意味を持っていたようです。

大学院を修了し、スポーツ衣料メーカーへ

講談社の記事では、進也さんはその後、高校を卒業し、大学への進学を決意したと紹介されています。

2000年に放送されたNHKのドキュメンタリー番組『親子で向き合うふたり旅』では、当時22歳だった進也さんと母・淳子さんが親子で登山に挑戦する姿が取り上げられました。

番組では、登山を通して母の考え方に触れる進也さんの姿も描かれています。母と一緒に山頂に立った際には、これからは真面目に生きていくという趣旨の思いを口にしたことも、講談社の記事で紹介されています。

その後、進也さんは大学院に進み、修了後はスポーツ衣料メーカーに就職しました。社会人2年目からは、母が福島県猪苗代町で経営していた温泉ロッジの仕事も兼務していたといいます。

こうした経歴を見ると、進也さんは単純に母と同じ登山家の道を選んだのではなく、自分自身の経験を積みながら、後に母の活動を引き継いでいったことが分かります。

出典:講談社「コクリコ」2025年6月16日~18日掲載「世界的登山家・田部井淳子の子育て」連載。

【2026年現在の息子の活動】東北の高校生を富士山へ導くプロジェクト

進也さんの現在を知るうえで、最も重要なのが「東北の高校生の富士登山」プロジェクトです。

この活動は、2011年の東日本大震災を受けて、田部井淳子さんが被災した東北の高校生を応援するために構想し、2012年にスタートさせたものです。

高校生たちに日本一高い富士山への登頂を経験してもらい、挑戦する気持ちや達成感を育んでもらうことを目的としています。

母から息子へ引き継がれた活動

淳子さんは2016年に亡くなるまで、このプロジェクトに深く関わっていました。進也さんも母の活動を支え、亡くなった後はその思いを引き継いでいます。

一般社団法人田部井淳子基金の公式サイトでは、母が大切にしてきた山や自然への思いを、息子の進也さんが受け継いでいることが説明されています。

また、2025年の講談社のインタビューでは、進也さん本人がプロジェクトを継続していることを語りました。かつて自分が母と一緒に山に登ったように、今度は東北の高校生たちが富士山に挑戦する姿を支える側になっています。

2026年の活動実績

2026年7月実施済み

田部井淳子基金の公式発表によると、2026年7月21日から23日にかけて「東北の高校生の富士登山2026」が開催されました。

今年の活動では、参加した東北の高校生全員が富士山頂に到達。厳しい暑さの中での登山となりましたが、参加者全員が目標を達成したと報告されています。

加えて、基金の活動実績ページによると、2026年10月1日時点で累計参加人数は931人に達しています。


東北の高校生の富士登山・2026年実績


931人


累計参加人数(10月1日時点)


74人


2026年の高校生参加者


7月21~23日


2026年の開催日程


全員登頂


2026年の活動結果


出典:一般社団法人田部井淳子基金の2026年活動報告・活動実績。

また、2026年10月20日には田部井淳子さんの10回目の命日を迎えました。基金は、この年を東日本大震災から15年、淳子さんの逝去から10年という節目として位置づけています。

母が始めた活動が、10年を経ても継続し、さらに参加者を増やしていることは、進也さんが担っている役割の大きさを示しています。

出典:一般社団法人田部井淳子基金「東北の高校生の富士登山2026」活動報告、2026年10月20日付のお知らせ。

【田部井政伸との結婚は1967年】夫が著した『てっぺん』に残る夫婦の歴史

田部井淳子さんの人生を理解するうえで、夫・田部井政伸さんの存在は欠かせません。

2人が出会ったのは登山の世界でした。淳子さんは大学卒業後に社会人山岳会へ入り、本格的な登山活動を開始。谷川岳などで活動する中で、後に夫となる政伸さんと知り合いました。

そして、1967年に結婚します。

宝島社の公式書籍紹介によると、政伸さんは1941年10月生まれで、1961年に本田技研工業へ入社。会社員として働きながら、会社の山岳部などで登山活動を続けていました。

1968年には、ヨーロッパ三大北壁のうちグランド・ジョラス北壁とマッターホルン北壁の2つを同じシーズンに登攀するなど、独自の登山実績も残しています。

夫婦の関係は一方的な支援ではなかった

淳子さんがエベレストを目指していた時期、政伸さんは妻の挑戦を応援する一方、自身も登山活動を続けていました。

夫婦の関係を特徴づけるのは、どちらか一方だけが夢を追うのではなく、それぞれの挑戦を尊重していた点です。

2025年11月の講談社のインタビューでも、政伸さんは夫婦を特別な存在としてではなく、山が好きで家庭生活と子育てを続けてきた普通の夫婦として振り返っています。

『てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方』とは?



著者:田部井政伸
出版社:宝島社
発売日:2017年6月17日
ページ数:230ページ
ISBN:978-4-8002-7025-2

2017年に発売された『てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方』は、政伸さんが夫として過ごした半世紀を振り返り、妻の人生を記したノンフィクション作品です。

内容は登山の記録だけにとどまりません。2人の出会い、結婚、エベレスト登頂に向けた準備、家族の物語、そして淳子さんのがんとの闘病までを扱っています。

特に注目したいのは、1975年のエベレスト登山時に交わされた夫婦の往復書簡が初公開されたことです。遠征中の妻と日本にいる夫が、どのような思いで日々を過ごしていたのかを知る手がかりになります。

田部井淳子さんの息子について調べる読者にとっても、この本は家族の背景を理解するための重要な資料です。ただし、長男の現在を詳しく知るには、後年の講談社による本人インタビューや基金の公式情報も併せて見る必要があります。

出典:宝島社公式書籍情報、一般社団法人田部井淳子基金の書籍紹介。

【田部井淳子の生涯と経歴】三春町出身から女性初の七大陸最高峰制覇へ



1939年9月22日生まれ
福島県田村郡三春町出身
2016年10月20日逝去・享年77歳
女性初のエベレスト・七大陸最高峰登頂者

息子の進也さんの歩みを理解するためには、母・淳子さんがどのような人生を歩んだのかも知っておきたいところです。

田部井淳子さんは1939年9月22日、福島県田村郡三春町に生まれました。旧姓は石橋。幼少期は体が弱く、運動が得意な子どもではなかったとされています。

登山に興味を持ったきっかけは、小学校4年生のときに教師に誘われて参加した那須方面への山登りでした。その後、昭和女子大学に進学し、大学時代から登山に親しむようになります。

1975年、女性世界初のエベレスト登頂

1969年には「女子だけで海外遠征を」を合言葉に女子登攀クラブを設立。女性だけの登山隊による海外遠征を目指し、活動を本格化させました。

1970年にはネパールのアンナプルナIII峰に登頂。そして1975年5月、エベレスト日本女子登山隊の副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト(標高8848メートル)への女性世界初登頂を成し遂げました。

当時は女性が本格的な登山に挑戦することへの偏見も根強くありました。その中で女性だけの登山隊を結成し、資金や装備、遠征準備など多くの課題を乗り越えたことは、登山史に残る大きな出来事です。

1992年、女性世界初の七大陸最高峰登頂

エベレスト登頂後も、淳子さんの挑戦は終わりませんでした。

1992年には、七大陸それぞれの最高峰すべてへの登頂を達成。女性として世界初の七大陸最高峰登頂者となりました。

その後も登山を続け、山岳環境の保護活動や若い世代への登山普及にも力を注ぎます。2000年には九州大学大学院で修士課程を修了し、エベレストのごみ問題を研究テーマに取り組みました。

晩年には病気と向き合いながらも登山活動を継続。2016年7月には東北の高校生と富士山に登り、元祖七合目の3010メートル地点まで到達しました。これが生涯最後の登山となりました。

2016年10月20日、77歳で逝去。生涯で76か国の最高峰・最高地点に登頂した記録が残されています。

出典:一般社団法人田部井淳子基金公式プロフィール、昭和女子大学、福島県三春町観光協会。

田部井淳子さんが残したものは、エベレストや七大陸最高峰の登頂記録だけではありません。山に挑戦することで自分の可能性を広げ、その経験を次の世代に伝えていく姿勢も、家族や活動を通じて受け継がれています。

【田部井淳子の息子に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:田部井淳子の息子の名前は何ですか?

長男の名前は田部井進也(たべい・しんや)さんです。講談社の2025年の本人インタビューでも実名で紹介されています。

Q2:田部井淳子の息子は2026年現在、何をしていますか?

母が始めた「東北の高校生の富士登山プロジェクト」のリーダーとして活動しています。2026年にもプロジェクトは実施され、参加した高校生全員が富士山頂に到達しました。

Q3:田部井淳子には子供が何人いますか?

夫の田部井政伸さんとの間に一男一女がいます。長男が進也さんで、娘については詳しいプロフィールが広く公表されていません。

Q4:田部井淳子と田部井政伸はいつ結婚しましたか?

1967年です。2人は登山を通じて知り合い、結婚後もそれぞれ登山活動を続けました。

Q5:田部井政伸の著書『てっぺん』には何が書かれていますか?

2017年刊行の『てっぺん 我が妻・田部井淳子の生き方』には、夫婦の出会い、結婚、エベレスト登頂、家族の物語、淳子さんの闘病生活などが記されています。

Q6:田部井淳子の息子は登山家になったのですか?

進也さんの公に紹介されている主な活動は、登山家としての競技実績ではなく、東北の高校生の富士登山プロジェクトの運営です。母の登山活動そのものを継ぐというより、登山を通じた青少年支援を受け継いでいます。

田部井淳子さんの息子は、長男の田部井進也さんです。夫の田部井政伸さんとの間に一男一女がおり、家族で登山を愛しながら生活を築いてきました。

進也さんは思春期に高校を中退するなど、決して平坦ではない道を歩みました。しかし、周囲の大人との出会いや両親の理解を得て高校に復学し、大学院まで進学。その後はスポーツ衣料メーカーで働き、現在は母が始めた東北の高校生の富士登山プロジェクトを担っています。

2026年にはプロジェクトの累計参加人数が931人に到達しました。田部井淳子さんが亡くなって10年となった節目にも、活動は続いています。

田部井淳子さんの人生を知るには、1975年のエベレスト登頂や1992年の七大陸最高峰制覇だけでなく、夫婦の歩みを記した『てっぺん』、そして息子が受け継いだ東北の高校生への支援活動にも目を向けることが大切です。

世界の頂点を目指した母の挑戦は、息子の手によって、次世代の若者たちが自分の可能性に挑むための活動へとつながっています。

主な参考資料:一般社団法人田部井淳子基金、宝島社、講談社「コクリコ」、婦人公論.jp、富士山世界遺産国民会議、昭和女子大学、三春町観光協会。

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コンテンツディレクター 室井 健太
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