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【正体を解説】大鳴戸親方は元大関・出島武春その人

室井 健太 室井 健太 • 更新: • 公開: • 読了約 17 分
目次

大鳴戸親方の正体は、1990年代後半から2000年代にかけて活躍した元大関・出島です。

日本相撲協会の年寄プロフィールには、次のように登録されています。

- 年寄名:大鳴戸 武春(おおなると・たけはる)
- 本名:出島 武春(でじま・たけはる)
- 現役時代の四股名:出島
- 生年月日:1974年3月21日
- 出身地:石川県金沢市
- 最高位:大関
- 所属部屋:藤島部屋
- 身長:180cm
- 現役時代の体重:162kg
- 得意技:突き・押し

2026年11月現在、52歳です。

注目したいのは、大鳴戸という名前は親方になってから襲名した年寄名跡であり、現役時代の四股名や本名とは異なるという点です。

つまり、テレビ中継や相撲協会の名簿で「大鳴戸」と紹介されている人物と、現役時代に「出島」として土俵に立っていた人物は同一人物です。

大鳴戸武春の本名は出島武春

大鳴戸親方の本名は、現役時代の四股名と同じく出島武春です。

力士の引退後は、年寄名跡を襲名して親方として活動する仕組みがあります。出島の場合は、引退後に大鳴戸の名跡を継承したため、現在は大鳴戸武春という名前で日本相撲協会に登録されています。

名前が変わったからといって別の人物になったわけではありません。

また、出身地は石川県金沢市。地元にゆかりのある力士として、学生相撲から大相撲の最高位である大関まで上り詰めた経歴を持っています。

【学歴と相撲人生】中央大学相撲部から武蔵川部屋へ

大鳴戸親方

出島の相撲人生を語るうえで欠かせないのが、中央大学での学生相撲経験です。

高校卒業後、出島は中央大学法学部に進学しました。

中央大学の卒業生組織である学員会の公式情報によると、出島は金沢市立工業高校から中央大学法学部へ進み、相撲部で競技を続けています。

大学時代には先輩の胸を借りて稽古を重ね、上級生になるころには周囲に対して実力を発揮する存在になっていました。

1996年に幕下付け出しで初土俵

大学卒業後、出島は武蔵川部屋に入門します。

1996年3月場所、幕下60枚目格付け出しで初土俵を踏みました。

一般的な新弟子とは異なり、学生相撲で実績を残した力士には幕下付け出しという制度が設けられています。一定の実績を持つ選手が、序ノ口や序二段からではなく幕下からスタートできる仕組みです。

出島は、この制度を利用して大相撲の世界に入りました。

その後の昇進スピードは目覚ましいものでした。

- 1996年3月:初土俵
- 1996年9月:新十両
- 1997年3月:新入幕
- 1997年11月:新三役

初土俵からわずか1年で幕内入りを果たしています。

学生相撲で培った技術と、武蔵川部屋での稽古によって、早い段階から上位で戦える力士へと成長しました。

「出る出る出島」と呼ばれた速攻相撲

出島の代名詞は、鋭い立ち合いから一気に前へ出る相撲です。

中央大学の学員会が紹介する出島の特集でも、鋭い出足を生かした速攻相撲が取り上げられています。

得意技は突き・押し。

相手に十分な体勢を作らせる前に、自分から圧力をかけて土俵際まで追い込む取り口が持ち味でした。

相撲ファンの間で知られた「出る出る出島」という呼び名も、こうした前進力を象徴しています。

大柄な体格だけに頼らず、立ち合いの鋭さと攻めの速さを武器にしていたことが、出島の相撲の特徴です。

【大関昇進の経緯】1999年の幕内最高優勝が転機に

出島の競技人生における最大の転換点は、1999年7月の名古屋場所です。

当時の出島は関脇。すでに三役で実力を発揮していましたが、場所前から大関昇進が確実視されていたわけではありませんでした。

日刊スポーツが2023年に掲載した歴代大関のインタビューで、本人は当時の状況を振り返っています。

それまでの三役2場所で20勝を挙げて名古屋場所に臨んだものの、大関昇進の目安とされる3場所合計33勝には、あと13勝が必要でした。

しかも、当時の幕内には貴乃花、若乃花、曙、武蔵丸という強力な横綱陣がいました。

1999年7月場所で13勝2敗の初優勝

名古屋場所で出島は快進撃を見せます。

7日目には横綱・曙、9日目には横綱・貴乃花を破り、優勝争いに加わりました。

千秋楽の本割では、曙が武蔵丸に敗れたことで優勝決定戦へ進出。

そして優勝決定戦で曙を押し出し、見事に初の幕内最高優勝を達成しました。

最終成績は13勝2敗。

さらに殊勲賞、敢闘賞、技能賞の三賞をすべて獲得する活躍でした。

この優勝によって3場所合計33勝となり、大関昇進の基準を満たしました。

本人が語った大関昇進場所の心境

日刊スポーツのインタビューでは、出島は昇進がかかった場所について、次のように振り返っています。

「良い意味で邪念がなかった」

昇進を強く意識しすぎず、目の前の取組に集中していたことが伝わる言葉です。

本人によれば、大関昇進を本格的に意識したのは場所の最後の3日間だったとのこと。

結果を先に求めるのではなく、目の前の一番に集中した姿勢が、優勝と大関昇進につながりました。

同年9月場所には正式に大関へ昇進しています。

出島の現役生活を振り返ると、大学相撲から大関昇進、そして親方への転身という流れが明確に見えてきます。

日本相撲協会の公式プロフィールと中央大学学員会の記録をもとに、主な経歴を整理しました。

時期 出来事 実績・関係
1974年3月 石川県金沢市で誕生 本名・出島武春
高校卒業後 中央大学法学部に進学 中央大学相撲部
1996年3月 初土俵 武蔵川部屋・幕下付け出し
1996年9月 新十両 スピード昇進
1997年3月 新入幕 幕内力士となる
1997年11月 新三役 上位力士として活躍
1999年7月 幕内最高優勝 13勝2敗、三賞総なめ
1999年9月 大関昇進 大関在位12場所
2009年7月 現役引退 最後の出場場所
2009年7月29日 引退が発表 年寄・大鳴戸を襲名
2010年9月30日 武蔵川部屋が藤島部屋に名称変更 現在の所属部屋につながる

出島の生涯戦歴595勝495敗98休はどれほどの記録?

日本相撲協会の公式記録による出島の生涯戦歴は、次のとおりです。


出島武春・生涯戦歴

595勝495敗98休


81場所・日本相撲協会公式記録



546勝


幕内勝利数


12場所


大関在位


1回


幕内最高優勝


6個


金星


そのほかの主な受賞歴は以下のとおりです。

- 殊勲賞:3回
- 敢闘賞:4回
- 技能賞:3回
- 十両優勝:1回
- 幕下優勝:1回

大関としての成績は100勝71敗9休です。

大関在位は12場所と決して長くありませんでしたが、その後も幕内で相撲を取り続け、2009年7月場所まで現役生活を送りました。

大関から陥落した後も約8年間、48場所にわたって幕内で戦った点は、出島の力士人生を評価するうえで見逃せません。

【2026年最新】大鳴戸親方の現在は藤島部屋所属の委員

2026年11月現在

大鳴戸親方は現在も日本相撲協会に所属し、親方として活動しています。

日本相撲協会の公式プロフィールでは、2026年11月時点で次の情報が掲載されています。

- 年寄名:大鳴戸武春
- 所属部屋:藤島部屋
- 協会での地位:委員
- 担当部署:審判部・指導普及部

特に重要なのは、単に藤島部屋に所属しているだけではなく、協会の業務にも携わっている点です。

藤島部屋ではどのような立場なのか

藤島部屋の師匠は、元大関・武双山の藤島武人親方です。

大鳴戸親方は、藤島部屋に所属する部屋付き親方として活動しています。

ここで押さえておきたいのが、武蔵川部屋と藤島部屋の関係です。

出島が現役時代に所属していたのは武蔵川部屋でした。

その後、2010年9月30日に武蔵川部屋は藤島部屋へ名称変更されています。

そのため、現役時代の所属先と現在の所属先の名称が異なっていますが、出島が別の部屋へ独立・移籍したという意味ではありません。

中央大学学員会の紹介でも、引退後は武蔵川部屋、現在の藤島部屋に所属する部屋付き親方として後進の指導に当たっていると説明されています。

審判部での役割とは?

大鳴戸親方が担当している部署の一つが審判部です。

日本相撲協会の公式組織案内によると、審判部の主な業務は次のとおりです。

- 本場所での勝敗判定
- 取組の作成

大相撲中継で土俵の周囲に座っている親方たちを見たことがある人も多いでしょう。

審判委員は、取組の勝敗を確認し、必要に応じて物言いの協議にも参加する立場です。

2023年の日刊スポーツの記事でも、大鳴戸親方は審判委員を務める親方として紹介されています。

現役時代には自ら土俵で勝負していた出島が、現在は土俵の下から取組を見守る側になったという変化も興味深いところです。

指導普及部では何を担当する?

もう一つの担当部署が指導普及部です。

日本相撲協会によると、指導普及部は青少年や学生への相撲の指導奨励をはじめ、一般への相撲道の普及を担っています。

具体的には、次のような活動があります。

- 少年相撲教室
- 小中学生向けの相撲部屋開放
- 学校や地域への指導員派遣
- 相撲指導者向けの研修会
- 相撲技術や伝統文化の普及

2026年度にも、小中学生相撲部屋開放や少年相撲教室などの事業が実施されています。

大鳴戸親方は、こうした協会の普及活動を担う部署にも所属しています。

ただし、個々の催事について本人が必ず指導を担当しているという意味ではありません。公式に確認できるのは、指導普及部の担当者として登録されていることです。

「委員」はどのような役職なのか

大鳴戸親方の役職として掲載されている「委員」は、日本相撲協会内の地位を示すものです。

審判部長や指導普及部長といった部門の責任者とは区別されます。

2026年10月16日現在の日本相撲協会の職務分掌では、大鳴戸武春は委員の欄に掲載され、担当は審判部・指導普及部となっています。

つまり、正確には次のように理解できます。

「委員」という協会内の地位にあり、審判部と指導普及部の業務を担当する親方です。

審判部長という役職に就いているわけではありません。

【混同注意】大鳴戸親方と鳴戸親方は別人!大鳴戸部屋の現在も解説

大鳴戸親方について調べると、よく混同されるのが元大関・琴欧洲の鳴戸親方です。

名前が非常によく似ていますが、両者は別人です。

また、「大鳴戸部屋」という相撲部屋を現在運営しているのかという疑問もあります。

ここでは人物と部屋の関係を整理します。

大鳴戸親方と鳴戸親方の違い


大鳴戸親方

元大関・出島
- 名前:大鳴戸武春
- 本名:出島武春
- 出身:石川県
- 所属:藤島部屋

鳴戸親方

元大関・琴欧洲
- 名前:鳴戸勝紀
- 本名:安藤カロヤン
- 出身:ブルガリア
- 所属:鳴戸部屋

両者の違いを詳しく見ると、以下のようになります。

比較項目 大鳴戸親方 鳴戸親方
現役時代の四股名 出島 琴欧洲
現在の名前 大鳴戸武春 鳴戸勝紀
本名 出島武春 安藤カロヤン
出身地 石川県金沢市 ブルガリア
最高位 大関 大関
所属部屋 藤島部屋 鳴戸部屋
現在の立場 部屋付き親方 部屋の師匠

日本相撲協会の公式プロフィールでも、それぞれ別の年寄として登録されています。

元琴欧洲の鳴戸親方は2017年に鳴戸部屋を創設

鳴戸親方は、元大関・琴欧洲です。

2014年3月場所で現役を引退し、2015年2月に年寄名跡「鳴戸」を襲名しました。

その後、2017年4月に佐渡ヶ嶽部屋から独立し、自身の鳴戸部屋を創設しています。

日本相撲協会の公式部屋紹介でも、鳴戸部屋の師匠は鳴戸勝紀親方と明記されています。

つまり、現在の鳴戸部屋は元琴欧洲が率いる相撲部屋です。

出島の大鳴戸親方とは、名前が似ているだけで、所属部屋も現役時代の四股名も異なります。

大鳴戸部屋は現在存在する?出島が独立しているわけではない

「大鳴戸部屋」という検索ワードも見られますが、2026年現在、大鳴戸親方は自身の名前を冠した相撲部屋の師匠ではありません。

日本相撲協会の公式プロフィールでは、所属先は藤島部屋となっています。

また、藤島部屋の紹介では、師匠として元大関・武双山の藤島武人親方が掲載され、大鳴戸武春は年寄として紹介されています。

したがって、現在の関係は次のとおりです。

- 大鳴戸武春:藤島部屋の部屋付き親方
- 藤島武人:藤島部屋の師匠
- 鳴戸勝紀:別の鳴戸部屋の師匠

「大鳴戸」という名前が付いているからといって、「大鳴戸部屋」を率いているわけではありません。

この違いを理解すると、検索結果に出てくる大鳴戸親方と鳴戸親方の情報を正しく見分けられます。

【大鳴戸親方に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:大鳴戸親方は元大関・出島ですか?

はい。大鳴戸親方は元大関・出島武春です。

本名は出島武春で、現役引退後に年寄名跡の大鳴戸を襲名しました。日本相撲協会の公式プロフィールにも同一人物として掲載されています。

Q2:大鳴戸親方の現在の所属部屋はどこですか?

2026年11月現在、藤島部屋です。

元大関・武双山の藤島親方が師匠を務める部屋に所属し、部屋付き親方として活動しています。

Q3:大鳴戸親方は現在、何の役職に就いていますか?

日本相撲協会の委員です。

2026年10月16日現在の職務分掌では、審判部と指導普及部を担当しています。

Q4:大鳴戸親方の本名は何ですか?

出島武春です。

1974年3月21日生まれで、石川県金沢市出身です。

Q5:出島はいつ大関に昇進しましたか?

1999年9月場所です。

同年7月の名古屋場所で13勝2敗を記録し、曙との優勝決定戦を制して幕内最高優勝を果たしました。

Q6:出島はいつ現役を引退しましたか?

2009年7月場所を最後に現役を引退しました。

同年7月29日には、日本相撲協会から年寄・大鳴戸を襲名した元大関・出島らの引退が発表されています。

Q7:大鳴戸親方と元琴欧洲の鳴戸親方は同じ人ですか?

いいえ、別人です。

大鳴戸親方は元出島で藤島部屋所属、鳴戸親方は元琴欧洲で鳴戸部屋の師匠です。

大鳴戸親方の正体は、1999年に幕内最高優勝を果たし、大関に昇進した元力士・出島武春です。

中央大学相撲部で実力を磨き、1996年に武蔵川部屋から初土俵を踏んで、わずか3年後には大関へ昇進しました。生涯戦歴は595勝495敗98休。2009年7月場所を最後に現役を退き、大鳴戸を襲名しています。

2026年11月現在は、藤島部屋に所属する委員として審判部・指導普及部を担当しています。現役時代に培った相撲経験を、現在は協会運営や相撲文化の継承に生かす立場です。

また、元琴欧洲の鳴戸親方とは別人であり、鳴戸部屋とも関係を混同しないことが大切です。

大鳴戸親方を理解するうえで押さえておきたいのは、出島としての輝かしい現役実績と、引退後も相撲界を支える親方としての現在の活動。この2つの経歴をつなげて見ることで、その人物像がより明確になります。

主な参考資料

- 日本相撲協会「年寄プロフィール・大鳴戸武春」
- 日本相撲協会「職務分掌」
- 日本相撲協会「協会の使命・組織」
- 日本相撲協会「藤島部屋・鳴戸部屋」
- 中央大学学員会「白門力士」
- 日刊スポーツ「元出島の大鳴戸親方・歴代大関が語る昇進場所」(2023年6月30日)
- 日刊スポーツ「元大関の出島ら9人の引退を発表」(2009年7月29日)

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コンテンツディレクター 室井 健太
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