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「今日中日」の正体は?「今日の日はさようなら」の誕生秘話と発売日の真相を徹底解説

各務 亮 各務 亮 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
目次

「今日中日」と検索して探している人が知りたいのは、フォークソングの名曲「今日の日はさようなら」と考えられます。この曲は、1966年に青少年ボランティア団体「ハーモニィサークル」の活動から生まれ、金子詔一が作詞・作曲した日本の歌です。森山良子の歌唱によって広く知られるようになりましたが、実は彼女のために最初から書き下ろされた作品ではありません。

誕生の背景には、若者たちが集うボランティア活動と、別れ際に「また会おう」という気持ちを共有するための歌が必要だったという事情があります。加えて、1967年のジョーン・バエズの日本公演での披露、同年7月の日本盤シングル、8月25日の森山良子による「恋はみずいろ」のB面収録へと、興味深い歴史が続きます。2026年現在まで歌い継がれている理由も含め、誕生から普及までを整理します。

【まず答え】「今日中日」で探されている「今日の日はさようなら」とはどんな歌?

今日中日

「今日の日はさようなら」は、1966年に誕生した日本のフォークソングです。作詞・作曲は金子詔一。もともとはハーモニィサークルの活動で歌われたオリジナルソングで、子どもや若者たちが集まりを終えるときに歌うキャンプソングとして生まれました。

この曲の特徴は、別れを悲しい終わりとして描くのではなく、再会を願う前向きな気持ちにつなげていることです。友人とのつながり、明日への希望、自由に生きること、互いを信じる喜びが作品の中心にあります。

森山良子の歌唱で知られるようになった一方、ジョーン・バエズも日本公演で日本語歌唱を披露しています。その後、NHK「みんなのうた」でも取り上げられ、学校や地域活動などでも歌われるようになりました。

基本情報
  • 曲名:今日の日はさようなら
  • 読み方:きょうのひはさようなら
  • 誕生年:1966年
  • 作詞:金子詔一
  • 作曲:金子詔一
  • 誕生時の位置づけ:ハーモニィサークルのオリジナルキャンプソング
  • 代表的な歌唱:森山良子、ジョーン・バエズ、本田路津子など
  • 文化的な評価:2007年「日本の歌百選」に選定

【誕生秘話】1966年、ハーモニィサークルで生まれた背景

「今日の日はさようなら」の成り立ちを理解するには、作詞・作曲者の金子詔一と、ハーモニィサークルの活動を知る必要があります。

ハーモニィサークルはどのような団体だったのか

公益財団法人ハーモニィセンターの公式沿革によると、前身となるハーモニィサークルは1961年、10数名の青年によって東京都内で結成されました。

当初は子ども会活動や養護施設への訪問などを行うボランティアグループでした。その後、活動の幅を広げ、子どもたちの体験活動だけでなく、働く若者同士の交流や仲間づくりにも取り組むようになります。

1964年にはハーモニィセンターが発足。専従スタッフを置き、青少年の交流を支える活動を展開しました。

当時は、高度経済成長期の日本で、地方から都市部へ移り住んで働く若者も多かった時代です。慣れない環境で生活する若者にとって、同世代と交流し、安心して過ごせる場所には大きな意味がありました。

なぜ「今日の日はさようなら」が作られたのか

調布市が紹介する誕生秘話によれば、ハーモニィサークルの集まりでは、活動の最後に若者たちが一緒に歌を歌って別れる習慣がありました。

金子詔一は、こうした交流の場でギターを伴奏し、若者たちと歌を共有していました。その中で、集まりの最後にみんなで歌えるオリジナルの別れの歌が生まれました。

目指したのは、寂しさだけを残す別れの歌ではありません。今日の集まりが終わっても、友情は続いていく。次に会う日まで、それぞれの場所で希望を持って過ごそう。そうした気持ちを共有できる歌でした。

公益財団法人ハーモニィセンターも、1966年の出来事として、金子詔一が同団体のオリジナルキャンプソングとして作詞・作曲したことを公式沿革に記録しています。

つまり、この曲の出発点はレコード会社の企画でも、特定の歌手のための楽曲制作でもありません。人と人が集まり、別れ、再び会うという日常の交流から生まれた歌なのです。

【1967年の歴史】ジョーン・バエズの日本公演から森山良子の発売まで

「今日の日はさようなら」が全国的に知られるようになるまでには、1967年の二つの重要な出来事がありました。

一つはアメリカのフォークシンガー、ジョーン・バエズによる日本公演。もう一つは森山良子によるシングルレコードへの収録です。

ジョーン・バエズが日本語で披露した1967年

1967年1月、アメリカのフォークシンガーであるジョーン・バエズが初来日しました。日本各地で公演を行い、2月1日の東京厚生年金ホールでの公演では「今日の日はさようなら」を日本語で歌った音源が残されています。

この事実は、後年のレコード資料からも確認できます。

ジョーン・バエズの日本盤には「Farewell To This Day」という英語タイトルが付けられた音源があり、A面に「今日の日はさようなら」、B面にボブ・ディランの「風に吹かれて」を収録したシングルも存在します。

レコード番号はHIT-615。ヴァンガードとキングレコードに関係する日本盤として流通した作品です。1967年7月に日本限定のシングルとして発売されたとするディスコグラフィー記録もあります。

ここで注目したいのは、森山良子のレコードが発売される前に、すでに海外の著名なフォークシンガーによる日本語歌唱が存在していたことです。この曲は、森山良子だけに結び付いた作品ではありませんでした。

1967年から1974年までの主な出来事

誕生から一般への普及までを整理すると、次のようになります。

時期 人物・団体 出来事 歴史的な意味
1961年 ハーモニィサークル 青年たちによってボランティアグループが結成される 楽曲誕生につながる活動の出発点
1964年 ハーモニィセンター 団体が発足し、若者の仲間づくり活動を展開 活動基盤が整う
1966年 金子詔一 「今日の日はさようなら」を作詞・作曲 オリジナルキャンプソングとして誕生
1967年1月〜2月 ジョーン・バエズ 日本公演で披露。2月1日の公演音源が残る 海外のフォークシンガーによる日本語歌唱
1967年7月 ジョーン・バエズ 「Farewell To This Day」を収録した日本盤シングルが発売されたとされる 日本盤レコードとしての記録
1967年8月25日 森山良子 「恋はみずいろ」のB面に収録して発売 広く知られるきっかけとなる
1974年2月〜3月 本田路津子・東京放送児童合唱団 NHK「みんなのうた」で放送 子どもたちにも広く親しまれる
2007年 文化庁・日本PTA全国協議会 「日本の歌百選」に選定 世代を超えて歌い継ぐ日本の歌として評価

この年表から分かるのは、1966年の誕生と1967年のレコード発売は別の出来事だということです。また、ジョーン・バエズの日本公演と森山良子のシングル発売も、別々のレコード会社・作品として整理する必要があります。

【森山良子の歌唱】「恋はみずいろ」のB面だったという意外な事実

現在、「今日の日はさようなら」と聞いて森山良子の歌声を思い浮かべる人は少なくありません。しかし、最初からこの曲がシングルの表題曲だったわけではありません。

1967年8月25日、日本ビクターから発売

森山良子の公式ディスコグラフィーとソニーミュージックの公式プロフィールには、1967年8月25日にシングル「恋はみずいろ」が発売された記録があります。

収録内容は次のとおりです。

  • A面:恋はみずいろ
  • B面:今日の日はさようなら
  • 発売日:1967年8月25日
  • レコード番号:FS-1021
  • 作詞・作曲:金子詔一(今日の日はさようなら)

「恋はみずいろ」は1967年のユーロビジョン・ソング・コンテストでも知られる楽曲です。森山良子のシングルではこちらがA面となり、「今日の日はさようなら」はB面に収録されました。

しかし、後年まで歌い継がれることになったのは、むしろB面の楽曲でした。

森山良子のために書き下ろされた曲ではない

ここは誤解されやすいポイントです。

森山良子の歌唱によって広く知られるようになったため、彼女のために金子詔一が作った曲だと思われることがあります。しかし、実際には1966年にハーモニィサークルのオリジナルソングとして誕生しており、森山良子のシングル収録はその翌年です。

つまり、森山良子はこの曲の誕生に関わった人物というより、作品を広く世の中へ届けた重要な歌い手です。

また、森山良子の公式ディスコグラフィーには、当時のシングル発売日と収録曲が明確に記録されています。発売日を確認する際は、この公式記録が重要な基準になります。

1966年と1967年、どちらが発売年なのか

検索結果には1966年と1967年の両方が登場することがありますが、これは情報の対象が違うためです。

  • 1966年:金子詔一による楽曲の誕生年。
  • 1967年7月:ジョーン・バエズの日本盤シングルに関する発売記録。
  • 1967年8月25日:森山良子の「恋はみずいろ」B面としての発売日。

特に森山良子のレコード発売日を調べる場合、正しい日付は1967年8月25日です。1966年は作品が生まれた年であり、森山盤の発売年ではありません。

【歌詞の意味と歴代歌唱】なぜ世代を超えて愛されるのか

「今日の日はさようなら」の魅力は、別れを扱いながら、聴き終わったときに前向きな気持ちが残るところにあります。

歌詞に込められた意味は「別れ」ではなく「再会への約束」

歌詞には、友情を大切にする気持ち、明日への希望、自由に生きること、互いを信じる喜びが描かれています。

曲名にある「さようなら」は、二度と会えないことを意味する別れではありません。今日という一日が終わっても、友情や思い出は続いていく。そして、また会える日を楽しみに、それぞれの道を歩いていくという意味合いを持っています。

この構成が、卒業式や卒園式、キャンプ、学校行事など、さまざまな場面に合う理由です。

卒業式では友人や先生との別れに重なり、キャンプでは仲間と過ごした時間の締めくくりになります。地域の交流会では、次回の再会を願う歌としても機能します。

歌詞が特定の恋愛関係や一つの人生の場面に限定されていないため、歌う人それぞれが自分の経験を重ねられるのです。

代表的な歴代歌唱と作品の広がり

この曲は、複数の歌手や合唱団によって歌い継がれてきました。代表的な記録を整理します。

1. ジョーン・バエズ

1967年の来日公演で日本語歌唱を披露。アメリカのフォークシンガーが日本の楽曲を日本語で歌ったという点でも興味深い記録です。

2. 森山良子

1967年8月25日発売のシングル「恋はみずいろ」のB面として収録。一般に広く知られるきっかけになった代表的な歌唱です。

3. 本田路津子・東京放送児童合唱団

1974年2月から3月にかけてNHK「みんなのうた」で放送された歌唱です。ソニーミュージックが紹介する60周年記念ベストにも、当時の放送歌唱が収録されています。

このほかにも、さまざまな歌手によるカバーや合唱で親しまれています。歌い手が変わっても、作品の中心にある友情や再会への願いは変わりません。

「日本の歌百選」に選ばれた理由

2007年、「今日の日はさようなら」は文化庁と日本PTA全国協議会による「日本の歌百選」に選定されました。

この選定は、単に一時代のヒット曲だったという評価とは異なります。家庭や学校などで歌い継がれてきた作品として、文化的な価値が認められたことを意味します。

また、NHK「みんなのうた」での放送は、森山良子のレコードを知らない世代にも作品が届く機会になりました。個人の歌唱から児童合唱へと表現の幅が広がったことも、長く親しまれている理由の一つです。

【金子詔一の経歴】名曲を生んだ作者とハーモニィセンターの現在

「今日の日はさようなら」の作者、金子詔一は、作詞・作曲だけにとどまらず、青少年活動や教育、国際交流などにも携わった人物です。

金子詔一の主な経歴

金子詔一の公式プロフィールを掲載するFIA(金子詔一オフィス)の情報によると、主な経歴は次のとおりです。

  • 1964年:青少年団体ハーモニィセンターの設立のため大学院を中退。
  • 1972年:英語トレーニングクラブおよび株式会社エフ・アイ・エーを設立。
  • 1975年:選挙制度の改革を訴え、東京都知事選挙に立候補。
  • 1981年:総理府主催の第8回東南アジア青年の船でナショナルリーダーを務める。
  • 1985年:英語九九推進ムーブメントのため株式会社地球人村を設立。

代表的な作詞・作曲作品には「今日の日はさようなら」のほか、「チャーリーブラウンの歌」などがあります。また、公立小学校の校歌制作にも携わっています。

こうした経歴を見ると、金子詔一の活動は音楽業界だけに収まるものではなかったことが分かります。人と人との交流や教育、若者の成長を支える活動が、作品の背景にもつながっています。

作者・金子詔一は2025年に83歳で死去

金子詔一については、2025年4月18日付の朝日新聞が追悼記事を掲載しています。同紙の報道によると、金子詔一は2025年4月1日に83歳で亡くなりました。

同記事では、1960年代に集団就職で上京した若者たちを支えた活動と、歌が生まれた背景にも触れられています。

作品の誕生から長い年月が経過した現在も、学校や地域の集まりなどで歌われ続けていることは、作者が大切にしていた人と人とのつながりが、作品を通して受け継がれていることを示しています。

ハーモニィセンターは現在も活動を継続

曲の誕生に関わったハーモニィサークルは、その後、公益財団法人ハーモニィセンターへと発展しました。

現在の同法人は、子どもたちの自然体験やキャンプ、ポニーとの交流などを通じた青少年育成活動を行っています。

公式サイトによると、1972年の北海道とかちポニーキャンプを出発点として、50年以上にわたって自然体験活動を続けています。

1966年に生まれた「今日の日はさようなら」は、単独の音楽作品というだけでなく、こうした青少年活動の歴史を伝える存在でもあります。

【今日の日はさようなら】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:今日の日はさようならは誰が作詞・作曲した曲ですか?
A1:金子詔一です。1966年、ハーモニィサークルのオリジナルキャンプソングとして作詞・作曲されました。

Q2:今日の日はさようならの発売日はいつですか?
A2:森山良子の歌唱によるシングル収録版は、1967年8月25日発売です。「恋はみずいろ」のB面に収録されました。

Q3:ジョーン・バエズも今日の日はさようならを歌ったのですか?
A3:はい。1967年の日本公演で日本語歌唱を披露しています。2月1日の東京厚生年金ホール公演の音源がレコードとして残っています。

Q4:今日の日はさようならは森山良子のために作られた曲ですか?
A4:いいえ。森山良子が歌う以前の1966年に、ハーモニィサークルのオリジナルソングとして誕生しています。

Q5:今日の日はさようならが「みんなのうた」で放送されたのはいつですか?
A5:1974年2月から3月です。本田路津子と東京放送児童合唱団による歌唱で放送されました。

Q6:今日の日はさようならの歌詞にはどのような意味がありますか?
A6:友情を大切にし、希望を持って生き、今日の別れを次の再会につなげようという意味が込められています。単なる別れの歌ではなく、前向きな再会の歌です。

「今日中日」という検索からたどり着く「今日の日はさようなら」は、1966年に金子詔一がハーモニィサークルのために作詞・作曲したキャンプソングです。

その後、1967年のジョーン・バエズの日本公演で披露され、同年7月には日本盤シングルの記録が残り、8月25日には森山良子の「恋はみずいろ」のB面として発売されました。1974年にはNHK「みんなのうた」で放送され、2007年には「日本の歌百選」に選定されています。

【プロの結論】この曲が長く歌い継がれてきた本当の理由

この作品を理解するうえで押さえておきたいのは、森山良子のヒット曲という側面だけでは、その本質を十分に説明できないということです。

誕生の原点は、集まった人たちが一日の終わりに歌い、次に会う日を楽しみにしながら別れるという、ごく身近な交流でした。そのため、卒業式でもキャンプでも、学校行事でも地域の集まりでも、歌う人が自分の状況に重ねられます。

また、1967年のジョーン・バエズによる日本語歌唱、森山良子によるレコード化、本田路津子と児童合唱団によるNHK放送という異なる広がり方も、この曲の歴史を特徴づけています。

発売年を調べるときは1966年の誕生と1967年のレコード発売を区別すること、歌手を調べるときは作詞・作曲者の金子詔一と代表的な歌唱者を区別することが大切です。

「今日の日はさようなら」は、今日の別れを明日の希望へとつなぐ歌です。作者の活動や誕生の背景を知ると、なぜこれほど長く歌い継がれてきたのか、その理由がより深く伝わってきます。

主な参照資料・確認記録

- 公益財団法人ハーモニィセンター「ハーモニィセンターのこと」
- 調布市「今日の日はさようなら誕生秘話」
- 森山良子公式ディスコグラフィー
- ソニーミュージック公式プロフィール
- 金子詔一オフィス公式プロフィール
- NHK「みんなのうた」60周年記念ベスト収録記録
- ジョーン・バエズの日本公演・レコード資料
- 金子詔一の訃報に関する朝日新聞報道の紹介記録

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各務 亮

アニメ・漫画の制作発表を担当。制作会社・出版社の公式告知と原作者コメントを確認してから記事化します。

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