1977年11月、フォークデュオ・紙ふうせんが発売した「冬が来る前に」。秋から冬へと移り変わる季節を背景に、別れた恋人との再会を願う心情を描いたこの曲は、昭和のフォークソングを代表する一曲として、現在も多くの人に親しまれている。作詞は後藤悦治郎、作曲は浦野直。紙ふうせんにとって最大のヒット曲となり、レコード売上は45万枚を記録したと紹介されている。
この曲の誕生には、意外にも石油ストーブの手入れという日常的な出来事が関係していた。加えて、二人がかつて所属したフォークグループ「赤い鳥」の解散、関西を拠点とした紙ふうせんの再出発、そしてバックバンドのベーシストだった浦野直との音楽的な出会いも欠かせない。2026年11月、発売から49年を迎えた今、制作の経緯やヒットの背景、歌詞に込められた季節感を改めて振り返る。
【基本情報】「冬が来る前に」はいつ発売された?作詞・作曲・編曲を解説

「冬が来る前に」は、紙ふうせんが1977年11月1日に発売したシングルである。レコード会社はCBS・ソニー。昭和52年の音楽シーンに登場し、翌1978年にかけて幅広いリスナーに浸透していった。
作詞・作曲・編曲の担当者を整理すると、楽曲がどのような分業によって完成したのかが見えてくる。
- 歌唱:紙ふうせん
- 作詞:後藤悦治郎
- 作曲:浦野直
- 編曲:梅垣達志
- 発売日:1977年11月1日
- 発売レーベル:CBS・ソニー
- 収録形態:シングルレコード
- オリコン最高順位:4位
ソニーミュージックの公式作品紹介でも、作詞・後藤悦治郎、作曲・浦野直、編曲・梅垣達志という制作クレジットが確認できる。同社は2014年の結成40周年記念アルバムの紹介でも、この曲を1977年のオリコン最高4位の大ヒット曲として取り上げている。
注目したいのは、作曲者の浦野直が紙ふうせんの二人とは異なる立場から楽曲制作に参加していたことだ。浦野は当時、二人のバックバンドでベースを担当していた人物である。つまり、歌い手と作詞者だけで完結した作品ではなく、ステージをともにする音楽仲間との共同作業から生まれた楽曲だった。
【結成の経緯】赤い鳥の解散理由と後藤悦治郎・平山泰代の再出発
「冬が来る前に」の背景を理解するには、紙ふうせん結成以前の歴史を知る必要がある。
後藤悦治郎と平山泰代は、紙ふうせんとして知られる以前から音楽活動をともにしていた。紙ふうせん公式サイトのプロフィールによると、二人は1967年にデュエットを結成。その後、1968年に始まったコンサート活動などを経て、フォークグループ「赤い鳥」の結成へとつながっていった。
赤い鳥はどのようなグループだったのか赤い鳥は1969年に結成されたフォークグループで、同年の第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストでグランプリを獲得。1970年にメジャーデビューを果たした。
代表曲には「竹田の子守唄」や「翼をください」がある。美しいコーラスワークとフォークを基調とした音楽性で知られ、1970年代の日本の音楽シーンに大きな足跡を残した。
1974年の解散とメンバーそれぞれの道赤い鳥は1974年9月に解散した。CDジャーナルのアーティスト解説では、解散の背景としてメンバー間の音楽的な路線対立が挙げられている。
解散後、メンバーはそれぞれ別の音楽活動へ進んだ。後藤悦治郎と平山泰代は紙ふうせんを結成し、ハイ・ファイ・セットなども独自の活動を展開した。赤い鳥という一つのグループから異なる音楽的方向性が生まれたのである。
ソニーミュージックの公式プロフィールでも、1974年に後藤悦治郎と平山泰代が紙ふうせんを結成したことが紹介されている。二人は関西を拠点に、伝承歌やオリジナル曲を大切にする音楽活動を続けていった。
赤い鳥時代の知名度があったとはいえ、新しいデュオとして全国的な人気を獲得するまでには時間が必要だった。1974年から1976年にかけて発表した「いかつり唄」「ささぶね」「別れの鐘」「愛と自由を」などは、後の大ヒットに比べると全国的な浸透には至っていなかった。
紙ふうせんにとって「冬が来る前に」は、単なるヒット曲ではない。赤い鳥という大きなグループを離れ、二人ならではの音楽を確立する過程で生まれた、重要な転換点だった。
【制作秘話】冬が来る前にの作詞・作曲はどうやって生まれた?
この曲の誕生には、後藤悦治郎と浦野直の偶然の共同作業が関係している。紙ふうせんの二人が地域情報紙「な~る」のインタビューで語った制作エピソードには、一般的なヒット曲の制作過程とは少し違う、日常生活から音楽が生まれる瞬間が記録されている。
最初に生まれたのは浦野直のメロディーだったインタビューによると、「冬が来る前に」の原型となるメロディーは1975年に生まれていた。
作曲を担当した浦野直は、当時、紙ふうせんのバックバンドでベースを担当していた。彼がステージで演奏するために作った曲が、後の大ヒット曲の土台になったのである。ただし、この段階では歌詞はまだ完成していなかった。
つまり、最初から完成された作品として存在していたわけではない。演奏者が生み出したメロディーに、後から言葉と物語が加わることで、楽曲としての輪郭ができていった。
石油ストーブの掃除が歌詞の着想につながった転機となったのは、浦野が後藤の自宅を訪れたときのことだった。
浦野がベースでメロディーを奏でている横で、後藤は石油ストーブの掃除をしていた。その際、ストーブの芯を冬が来る前にきれいにしておかなければならないという日常的な感覚から、自然に「冬が来る前に」という言葉が口をついて出たという。
この言葉が浦野のメロディーと結びつき、楽曲の中心となるフレーズが生まれた。冬支度という現実的な行動が、結果として恋愛の切なさを表現する言葉へと変化したのである。
ライブ音源を経てレコード作品へ地域情報紙のインタビューでは、1976年に大阪のフェスティバルホールで録音したライブ音源をソニーに持ち込んだ経緯も紹介されている。
その音源をきっかけに、学生時代からの友人だった梅垣達志へ編曲を依頼し、レコード作品として完成させた。1977年11月の発売までには、ライブでの演奏やアレンジの調整という段階があった。
制作過程を整理すると、次のようになる。
- 1975年:浦野直がステージ用のメロディーを制作。
- その後:後藤悦治郎の自宅で、石油ストーブの掃除中に歌詞の着想が生まれる。
- 1976年:ライブで演奏し、フェスティバルホールで録音した音源をソニーに持ち込む。
- 完成段階:梅垣達志が編曲を担当。
- 1977年11月1日:シングル「冬が来る前に」として発売。
この制作秘話から分かるのは、作詞と作曲が別々の場所で独立して完成したのではなく、演奏、生活、言葉が自然に交差して生まれたということだ。偶然の出来事を作品に変える後藤の感性と、メロディーを生み出した浦野の音楽性が結びついた結果だった。
【売上45万枚の真相】紙ふうせん最大のヒット曲になった理由
「冬が来る前に」は、紙ふうせんの代表曲として広く知られている。レコード売上については45万枚とする回顧記事があり、同グループ最大のヒット曲として紹介されている。
ソニーミュージックの公式発表によると、オリコンでは最高4位を記録した。1977年11月の発売から翌年にかけて人気を広げた作品であり、一時的な話題にとどまらない実績を残している。
関係者・作品・ヒットの構造を整理| 人物・組織 | 役割・関係 | 作品とのつながり |
|---|---|---|
| 紙ふうせん | フォークデュオ | 楽曲を歌唱したグループ |
| 後藤悦治郎 | メンバー・作詞者 | 歌詞の着想と物語を担当 |
| 平山泰代 | メンバー・歌唱者 | 後藤とともにデュオの歌声を形成 |
| 浦野直 | バックバンドのベーシスト・作曲者 | 楽曲の原型となるメロディーを制作 |
| 梅垣達志 | 編曲者 | レコード作品としてのアレンジを担当 |
| 赤い鳥 | 二人が以前所属したフォークグループ | 紙ふうせん結成につながる前身の活動 |
| CBS・ソニー | レコード会社 | 1977年のシングル発売に関係 |
売上を調べる際に注意したいのが、資料によって数字の表現に違いがある点だ。
2022年のコモレバWEBの昭和歌謡回顧記事では、レコード売上45万枚と紹介されている。一方、紙ふうせんの公式プロフィールでは、1977年の「冬が来る前に」をミリオンセラーと表記している。
この二つは同じ数字ではない。集計期間や販売実績の定義を示す詳細な内訳も、これらの紹介資料からは確認できない。そのため、45万枚という数字を紹介する場合には、回顧記事に基づく数値であることを踏まえる必要がある。
ただし、数字の表記に違いがあっても、この曲が紙ふうせんの代表的な商業的成功であったことは変わらない。ソニーミュージックがオリコン最高4位の実績を記載していることからも、全国的なヒットとなった事実は明確だ。
ラジオを通じて広がったヒットヒットの背景として見逃せないのがラジオの存在である。
コモレバWEBの記事では、この曲がラジオを通じて徐々に人気を広げたと紹介されている。テレビ番組での露出だけに依存するのではなく、リスナーが日常生活の中で繰り返し耳にすることによって、楽曲が浸透していった。
また、同記事が紹介する当時の新聞社のランキング資料では、1978年1月の総合的な人気集計で7位に入っている。レコード売上や有線放送、テレビのランキング番組での順位、話題性などを加味したデータであり、発売後も注目を集めていたことがうかがえる。
紙ふうせんは、代表曲を求めていた時期に大きな成功を手にした。赤い鳥の知名度を引き継ぐだけでなく、紙ふうせん独自の音楽を全国に届けるきっかけになったのである。
【歌詞の魅力】冬が来る前にが描く別れと再会への願い
「冬が来る前に」の歌詞を読み解くと、単なる失恋ソングとは少し違った魅力が見えてくる。
物語の中心にいるのは、夏の思い出を抱えながら、別れた相手との再会を願う一人の女性だ。歌詞には、細い坂道、海、夕暮れ、秋風、コスモス、落ち葉といった情景が登場する。
これらの風景は、恋愛の物語を説明するための背景にとどまらない。季節が進んでいくことと、過去の恋愛を忘れられない心の状態が重ねられている。
夏から秋へ移る風景が心の変化を表現する楽曲の前半では、夏の記憶が色濃く残っている。ところが、時間が経過するにつれて、風景は秋の色彩へと移っていく。
ここで重要なのは、自然の季節は確実に進んでいるのに、主人公の心は過去にとどまっているという対比だ。夏の思い出は美しいまま残っている一方、現実には相手と別れた状態が続いている。
そのため、秋の風景は単純な季節描写ではなく、時間の経過や寂しさを感じさせる装置として機能している。
「冬が来る前に」という言葉が持つ二重の意味タイトルの「冬が来る前に」には、季節的な意味と心理的な意味が重なっている。
文字どおりに考えれば、冬が訪れるまでの限られた時間を表す言葉だ。しかし歌の物語に置き換えると、相手との関係を取り戻したいという願いにもつながる。
冬は寒さだけでなく、夏の思い出が遠ざかっていくことや、心の距離が広がることを象徴するようにも受け取れる。だからこそ、再会への願いが切実に響く。
この解釈は、制作時のストーブ掃除という日常的な着想とも興味深く結びついている。現実の冬支度から生まれた言葉が、楽曲の中では恋愛における時間的な期限のような役割を果たしているのである。
女性の視点で描かれた歌詞の普遍性この曲では、別れた相手を忘れられない女性の心情が中心に描かれている。相手を責めたり、別れの理由を細かく説明したりするのではなく、現在の風景と記憶を通じて感情を伝える構成だ。
そのため、聴く人は主人公の事情をすべて知らなくても、自分自身の過去の恋愛や大切な人との別れを重ね合わせることができる。
歌詞に余白があるからこそ、年齢や経験によって受け取り方が変わる。若い頃には恋愛の切なさとして、大人になってからは過ぎ去った時間や取り戻せない記憶として響く。長く歌い継がれてきた理由の一つは、こうした解釈の幅にある。
【1977年のフォークソング】当時の音楽シーンと紙ふうせんの独自性
「冬が来る前に」が発売された1977年は、フォークソングやニューミュージックが幅広い支持を集めていた時代である。
テレビ、ラジオ、レコード店が音楽との主要な接点だった当時、人気曲が全国へ広がるには、メロディーの親しみやすさや歌詞への共感に加えて、繰り返し聴きたくなる魅力が必要だった。
伝承歌を大切にしていた紙ふうせん紙ふうせんは結成当初から、伝承歌を大切にする姿勢を持っていた。ソニーミュージックの公式紹介でも、関西を拠点として伝承歌やオリジナル曲を歌い続けてきたことが説明されている。
一方、紙ふうせんの二人が地域情報紙「な~る」のインタビューで語ったところによると、当時の音楽界ではニューミュージックの流れが強く、ノリのよい曲にも人気が集まっていた。
二人は弦楽カルテットとの編成でステージに立つこともあり、観客が真剣に聴き入る雰囲気になっていたという。そこで、もっと気軽に楽しめて、手拍子もできるような曲が必要ではないかという考えが生まれた。
「冬が来る前に」の原型となったメロディーがステージ用に作られたことも、この背景とつながっている。伝承歌へのこだわりを持ちながら、観客との距離を縮めるオリジナル曲にも挑戦した結果が、この作品だった。
ヒット後も続いた紙ふうせんの音楽活動「冬が来る前に」の成功によって紙ふうせんの活動は大きく広がった。インタビューでは、発売後に仕事が急増し、東京と大阪の間を1日に2往復したこともあったと語られている。
しかし、二人の音楽活動は一曲のヒットだけに限定されなかった。1983年には伝承歌を中心としたアルバム「リターン」を発表。1990年代には海外でのコンサートにも参加するなど、活動の幅を広げていった。
2014年には結成40周年記念アルバム「冬が来る前に ~なつかしい未来~」を発売。赤い鳥時代の代表曲「翼をください」「竹田の子守唄」のライブ音源なども収録され、二人の歩みを振り返る作品となった。
このアルバムの存在は、「冬が来る前に」が単独のヒット曲としてだけでなく、紙ふうせんの長い音楽活動を象徴する作品として位置づけられていることを示している。
【プロの結論】「冬が来る前に」が49年後も聴き継がれる本当の理由
2026年11月、「冬が来る前に」は発売から49年を迎えた。昭和のフォークソングとして知られるこの曲が今も季節の変わり目に思い出されるのは、単に懐かしいメロディーだからではない。
作品の背景には、赤い鳥解散後の再出発、グループの音楽性を模索する時間、バックバンドの仲間との共同制作、そして日常生活から生まれた言葉という複数の要素が存在している。
この曲を聴くときに注目したい3つのポイント1. 歌詞と季節の関係
夏の記憶から秋の風景へ移る歌詞の流れに注目したい。季節が進むほど、主人公の心に残る過去の記憶が際立ってくる。秋から冬へ移る時期に聴くと、作品の情景がより鮮明に感じられる。
2. 作詞と作曲の共同作業
後藤悦治郎の言葉と浦野直のメロディーが、別々に作られた後に自然な形で結びついた点が重要だ。完成された作品だけを聴くのではなく、その誕生過程を知ることで、楽曲への理解が深まる。
3. 赤い鳥から続く音楽的な歩み
紙ふうせんは赤い鳥の解散を経て結成された。二人の音楽活動を振り返ると、「冬が来る前に」は過去の実績に依存せず、新しいグループとしての存在感を確立した作品だったことが分かる。
どんな人におすすめできる作品なのかこの曲は、1970年代のフォークソングや昭和歌謡に親しんできた人だけでなく、季節の情景を大切にした音楽が好きな人にもおすすめできる。
- 昭和のフォークソングやニューミュージックを知りたい人。
- 赤い鳥や紙ふうせんの音楽的な歴史に興味がある人。
- 後藤悦治郎や浦野直の制作エピソードを知りたい人。
- 秋から冬にかけて聴きたい叙情的な楽曲を探している人。
- 歌詞の情景描写や季節を使った表現を楽しみたい人。
一方、最新のサウンドやテンポの速い現代的なポップスを中心に聴いている人には、当時のフォークソング特有の表現やアレンジが少し懐かしく感じられるかもしれない。しかし、1970年代の音楽を知る入口としては非常に優れた一曲である。
【よくある質問】「冬が来る前に」に関するFAQ
Q1:「冬が来る前に」の発売日はいつですか?
A1:1977年11月1日です。紙ふうせんがCBS・ソニーから発売したシングルで、2026年11月で発売から49年になります。
Q2:「冬が来る前に」の作詞・作曲は誰ですか?
A2:作詞は紙ふうせんの後藤悦治郎、作曲はバックバンドのベーシストだった浦野直です。編曲は梅垣達志が担当しました。
Q3:「冬が来る前に」の売上は何枚ですか?
A3:コモレバWEBの回顧記事では45万枚と紹介されています。一方、紙ふうせん公式プロフィールにはミリオンセラーという表記もあります。資料によって数字の扱いに違いがあるため、45万枚は回顧記事に基づく数値として理解するのが適切です。
Q4:紙ふうせんはなぜ結成されたのですか?
A4:後藤悦治郎と平山泰代が以前所属していた赤い鳥が1974年に解散した後、二人で独自の音楽活動を続けるために結成されました。二人は1967年からデュエットとしても活動していました。
Q5:赤い鳥の解散理由は何ですか?
A5:CDジャーナルの解説では、メンバー間の音楽的な路線対立が理由として挙げられています。解散後はメンバーがそれぞれ別のグループや音楽活動へ進みました。
Q6:「冬が来る前に」の歌詞はどのような内容ですか?
A6:夏の思い出を抱えた女性が、別れた恋人との再会を願う物語です。秋の風景や季節の移り変わりを通じて、過ぎ去った恋愛への未練や切なさが描かれています。
Q7:紙ふうせん最大のヒット曲は何ですか?
A7:「冬が来る前に」です。オリコン最高4位を記録し、紙ふうせんを代表する楽曲として知られています。
「冬が来る前に」は、1977年11月1日に発売された紙ふうせんの代表曲である。作詞は後藤悦治郎、作曲は浦野直、編曲は梅垣達志が担当した。
その誕生には、浦野直が作ったメロディー、後藤悦治郎が石油ストーブを掃除していたときの着想、そして梅垣達志による編曲という、複数の人間の音楽的な関わりがあった。
また、1974年の赤い鳥解散後、後藤と平山が紙ふうせんとして歩み始めた歴史を考えると、この曲は二人の新たな音楽人生を代表する作品でもある。
45万枚とする売上記録やオリコン最高4位という実績は、その人気を示す重要な指標だ。資料によって売上表記に違いはあるものの、紙ふうせん最大のヒット曲としての存在感は揺るがない。
夏の思い出を抱えたまま秋を迎え、冬が来る前にもう一度会いたいと願う。その普遍的な感情は、発売から49年が経過した2026年にも色あせていない。
この曲を聴くときは、歌詞の情景だけでなく、赤い鳥から紙ふうせんへと続く歴史や、浦野直との共同制作にも思いを巡らせてほしい。そうすることで、「冬が来る前に」は単なる懐かしいフォークソングから、人と人との出会いが生み出した音楽の物語へと姿を変える。
主な取材・参照資料
- 紙ふうせん公式サイト「プロフィール」
- ソニーミュージック公式プロフィール・結成40周年記念アルバム紹介
- 地域情報紙「な~る」紙ふうせん本人インタビュー
- CDジャーナル「赤い鳥」アーティスト解説
- コモレバWEB「わが昭和歌謡はドーナツ盤」