女子サッカー選手を取り巻く環境は、この100年で大きく変化した。かつて女性がサッカーをすること自体に社会的な反発があり、イングランドサッカー協会(FA)は1921年12月5日、女子サッカーを加盟クラブのグラウンドから排除する決定を下した。しかし、その時代にも5万人を超える観客を集める試合が存在していた。1970年代の組織化、国際大会の創設、日本代表の世界一を経て、女子サッカーはプロスポーツとして新たな段階に入っている。
2026年現在、日本ではWEリーグが12クラブで運営され、なでしこジャパンは2026年の女子アジアカップで優勝。さらに愛知・名古屋で開催されたアジア競技大会でも大会3連覇を達成した。一方、選手の給与、雇用契約、医療サポート、引退後の生活など、男女格差に関係する課題は残っている。歴代の女子サッカー選手が切り開いた道と、2026年の競技環境を数字と歴史から整理する。
【女子サッカー選手の歴史】19世紀から1921年までに何が起きたのか
女子サッカーの歴史は、現代の女子プロリーグよりもはるかに古い。女性がサッカーに参加した記録は19世紀以前にも見られ、イングランドサッカー協会の歴史資料では、1881年5月7日にエディンバラのイースター・ロードで行われた女性チーム同士の試合が、記録に残る初期の女子サッカーの一つとして紹介されている。
ただし、この試合については参加者の出身地やチームの実態に疑問が残るとされている。女子サッカーの起源を一つの日付だけで説明することは難しく、19世紀後半から各地で女性の競技参加が広がっていったと捉えるのが適切だ。
第一次世界大戦が女子サッカーを大きく広げた女子サッカーが観客を集める競技として成長した大きな転換点は、第一次世界大戦中から戦後にかけての時期だった。
イギリスでは男性が戦地に向かったことで、工場などで女性が働く機会が増えた。工場の従業員によるサッカーチームも誕生し、その代表的存在となったのがディック・カー・レディース(Dick, Kerr Ladies)である。
このチームは1917年から1965年までに800試合を戦い、746勝を記録したとFAの歴史資料は紹介している。所属選手のリリー・パーは、30年にわたる競技生活で約900得点を挙げたとされる、女子サッカー黎明期を象徴する選手だ。
試合は慈善活動とも結びついていた。負傷した元軍人や病院、困窮者を支援するための慈善試合が開催され、サッカーは社会的な注目を集めるイベントへと成長した。選手には経費を補うための報酬も支払われており、ディック・カー・レディースは初期のプロフェッショナルな女子チームの一つとして位置づけられている。
5万人を超える観客が集まった1920年の試合女子サッカーの人気を示す象徴的な出来事が、1920年12月26日にエヴァートンの本拠地グディソン・パークで開催されたディック・カー・レディース対セント・ヘレンズ・レディースの試合だ。
この試合には約5万3,000人が来場したとする記録があり、満員のため入場できなかった観客もいたと伝えられている。試合はディック・カー・レディースが4対0で勝利した。
なお、観客数には資料による違いがある。イギリスの映画機関BFIや当時の新聞を紹介した報道では5万3,000人という数字が広く引用される一方、FAの歴史解説では当時の女子試合の観客数を最大4万5,000人としている。いずれにしても、1920年代初頭に女子サッカーが数万人規模の観客を集めていた事実は重要だ。
この時期、イングランドには約150の女子サッカークラブが存在した。競技人口と観客の双方が増え、女子サッカーは一時的な流行ではなく、継続的なスポーツ文化として根づく可能性を見せていた。
【1921年の排除決定から1970年代の再出発】歴史を変えた転換点
女子サッカーが成長していた時期に、競技環境を大きく後退させる決定が下された。1921年12月5日、イングランドサッカー協会は、加盟クラブに対して女子の試合にグラウンドを提供しないよう求めた。
FAは女性にサッカーは適さないという考え方を示し、競技を奨励すべきではないと表明した。また、慈善試合の収益の使途や運営費用についても問題視した。
ここで重要なのは、この決定が女性のサッカーそのものを法律で全面禁止したわけではない点だ。実際にはFA加盟クラブの競技場を使用できなくなったことが大きな打撃となった。大規模な観客を集める会場や公式な競技環境を失ったことで、女子サッカーは公園などの施設を中心に活動せざるを得なくなった。
排除されても競技を続けた女性たち排除決定の直後にも、選手や関係者は活動を止めなかった。1921年12月10日には約30チームの代表者がリバプールに集まり、イングリッシュ・レディース・フットボール・アソシエーション(ELFA)を組織した。
しかし、設備や資金、公式試合の機会が限られたことで、女子サッカーの発展は長く停滞する。クラブは存続していたものの、観客動員や競技の認知度は徐々に低下していった。
1970年の撤回決議と1971年の制度改正は別の出来事1960年代後半になると、女性の社会参加を求める動きとともに、女子サッカーの再評価が進んだ。1969年11月1日には44クラブの代表者が参加する女子サッカー協会(WFA)の設立会合が開催され、競技を組織的に発展させる動きが本格化した。
1921年の決定については、撤回の時期を正確に理解する必要がある。FAの公式歴史資料によれば、1921年の決議は1970年1月19日のFA評議会で撤回された。その後、競技規則の改正が進められ、1971年6月24日の年次総会で、女子サッカーがFA加盟クラブのグラウンドで開催できるようになり、登録審判員も女子の試合を担当できるようになった。
そのため、1971年7月に女子サッカーの排除が解消されたとまとめられることもあるが、制度上の経緯は1970年の撤回決議と1971年の規則改正に分けて理解するのが正確だ。
1972年にはイングランド女子代表の公式国際試合も開催された。一方、1972年から1978年までの国際試合はわずか25試合だったとFAは記録している。競技場の利用が認められても、代表活動やリーグ運営がすぐに十分な規模へ成長したわけではなかった。
女子サッカーの歴史を変えた主な出来事| 時期 | 出来事・関係者 | 女子サッカーへの影響 |
|---|---|---|
| 1881年 | イングランドとスコットランドを名乗る女性チームの試合 | 19世紀の女子サッカーを示す初期記録 |
| 1917年以降 | ディック・カー・レディースが活動 | 工場チームと慈善試合を通じて人気が拡大 |
| 1920年12月26日 | グディソン・パークで女子試合を開催 | 約5万3,000人の観客を集めたとされる |
| 1921年12月5日 | イングランドサッカー協会が加盟クラブの競技場利用を制限 | 女子サッカーの活動環境が大きく後退 |
| 1969年11月 | 女子サッカー協会(WFA)の設立会合 | 44クラブが参加し、組織化が進展 |
| 1970年1月19日 | FA評議会が1921年の決議を撤回 | 排除方針の正式な撤回 |
| 1971年6月24日 | FA年次総会で規則改正 | 加盟クラブの競技場利用と登録審判員の担当が可能に |
| 1972年 | イングランド女子代表の公式国際試合 | 代表競技としての再出発 |
| 1989年 | 日本女子サッカーリーグ創設 | 日本国内の全国リーグが誕生 |
| 1991年 | 第1回FIFA女子ワールドカップ | 世界規模の公式大会が始まる |
| 2011年 | なでしこジャパンが世界一 | 日本の女子サッカーが世界的な注目を獲得 |
| 2021年 | 日本初の女子プロリーグWEリーグ開幕 | 女子プロサッカー選手という職業の確立を目指す段階へ |
| 2026年 | 女子アジアカップ優勝、アジア競技大会3連覇 | 日本女子サッカーの競技力と国際的存在感を示す |
1970年代の重要性は、単に禁止措置が解除されたことだけではない。競技を運営する組織、全国大会、審判制度、国際試合の仕組みが少しずつ整備され、女子サッカーが継続的に発展するための土台がつくられたことにある。
【歴代女子サッカー選手】世界と日本を代表するレジェンド
女子サッカーの歴史を理解するには、競技環境を切り開いてきた選手の存在が欠かせない。歴代の名選手は、単に得点やタイトルを残しただけではない。女子選手がトップレベルで活躍できることを示し、次世代の選手に目標を与えてきた。
リリー・パー:黎明期の女子サッカーを象徴する選手リリー・パーは、イングランドのディック・カー・レディースで活躍した歴史的なフォワードだ。約900得点という記録が伝えられ、1920年代の女子サッカー人気を支えた選手の一人として知られている。
当時は現在のような女子プロリーグも、安定した選手契約制度も存在しなかった。限られた施設や社会的な制約の中で競技を続けた彼女たちは、女子サッカーの基盤を築いた先駆者だった。
澤穂希:日本女子サッカーを世界一に導いた存在日本の歴代女子サッカー選手を語るうえで、澤穂希の功績は欠かせない。
2011年のFIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会で、日本代表は強豪国を次々と破り、アジア勢として初めて世界一に輝いた。澤はキャプテンとしてチームを牽引し、大会5得点で得点王となっただけでなく、最優秀選手賞にあたるゴールデンボールも受賞した。
決勝のアメリカ戦では延長後半に同点ゴールを決め、日本の初優勝につながる重要な役割を果たした。個人の技術、戦術理解、リーダーシップのすべてを兼ね備えた選手として、現在も日本女子サッカーの象徴的な存在である。
宮間あや・熊谷紗希:世界で戦う日本人選手の系譜2011年の優勝を支えた宮間あやは、正確なキックとゲームを組み立てる能力で知られる選手だった。セットプレーやパスによって試合の流れを変える技術は、日本代表の戦術的な強みを象徴していた。
熊谷紗希は、守備の中心を担い、海外の強豪クラブでも経験を積んだ選手だ。日本人女子選手が国内だけでなく、欧州のトップレベルでキャリアを築く時代を代表する存在の一人である。
こうした世代の選手が国際舞台で実績を残したことは、後に海外クラブへ挑戦する日本人選手の道を広げることにもつながった。
ミア・ハムとマルタ:世界の女子サッカーを変えたスター世界に目を向けると、アメリカのミア・ハム、ブラジルのマルタも歴代の重要な選手として挙げられる。
ミア・ハムは1991年と1999年の女子ワールドカップでアメリカの優勝に貢献し、オリンピックでも金メダルを獲得した。代表通算158得点という記録を残し、女子サッカーの知名度向上にも大きく貢献した。
マルタは2003年から2023年まで6大会の女子ワールドカップに出場し、通算17得点を記録。FIFA女子ワールドカップの歴代最多得点記録を保持する。2006年から2010年、そして2018年に世界最優秀選手に選ばれた実績もあり、長期間にわたり世界のトップで活躍した。
さらに現在の女子サッカーでは、スペインのアイタナ・ボンマティやアレクシア・プテジャスなど、技術と戦術理解を兼ね備えた選手が新しい時代を象徴している。歴代選手の系譜は、得点力だけでなく、ゲーム全体を支配する能力へと評価の幅を広げている。
【女子サッカーの世界大会と国内リーグ】プロ選手になる道はどう変わった?
女子サッカーが世界的な競技として成長した背景には、国際大会と国内リーグの整備がある。代表チームだけが強くても、選手が日常的に高いレベルでプレーできる環境がなければ、競技力を継続的に高めることは難しい。
女子ワールドカップが世界的な競技発展を後押しFIFA女子ワールドカップの第1回大会は1991年に中国で開催された。これにより、女子サッカーは国際的なタイトルを競う舞台を得た。
日本女子代表は1981年のアジア女子選手権で初めて国際大会に参加し、1989年には日本女子サッカーリーグが創設された。1991年には女子ワールドカップへの初出場を果たし、世界との差を経験しながら競技力を高めていった。
2011年の優勝は、その長い取り組みが結実した瞬間だった。2015年大会でも日本は決勝に進出し、準優勝を記録している。
日本の女子サッカーはWEリーグが頂点日本国内の女子サッカーには、プロとアマチュアの異なるリーグが存在する。特に重要なのが、2021年9月に開幕したWEリーグと、長い歴史を持つなでしこリーグだ。
WEリーグは日本初の女子プロサッカーリーグであり、女子プロサッカー選手という職業を確立することを理念の一つに掲げている。2026年時点では12クラブが所属している。
一方、なでしこリーグは1999年に全国リーグとしてスタートした現在のアマチュア最高峰のカテゴリーだ。1部と2部がそれぞれ12チームで構成され、その下には地域リーグや都道府県リーグが続く。
つまり、女子サッカー選手が競技を続ける道は、WEリーグのプロ契約だけではない。アマチュアリーグ、大学、高校、地域クラブなど、複数の環境が選手の育成と競技参加を支えている。
女子プロ選手になるためのキャリア形成女子サッカー選手を目指す場合、一般的には小学生年代から地域クラブやスクールで競技を始め、中学・高校の女子チーム、大学、クラブの育成組織などで経験を積む。
その後、WEリーグや海外のプロクラブとの契約を目指す道がある。大学からプロ入りする選手や、海外でプレーしてから日本へ戻る選手もおり、キャリア形成は一つの型に限られない。
選手として長く活動するには、技術やフィジカルだけでなく、戦術理解、けがの予防、栄養管理、競技外の生活設計も欠かせない。プロ契約を結ぶことがキャリアのゴールではなく、安定した競技生活を続けられる環境を確保することが大切だ。
【女子サッカー2026年最新動向】世界と日本で何が起きている?
2026年の女子サッカーは、国際大会の盛り上がりと国内リーグの成長が同時に進んでいる。特に日本代表の実績と観客動員は、女子サッカーの現在地を知るうえで重要な指標となる。
2026年女子アジアカップで日本が3度目の優勝2026年3月にオーストラリアで開催されたAFC女子アジアカップで、日本女子代表は決勝に進出。開催国オーストラリアを1対0で破り、3度目のアジア制覇を果たした。
決勝の観客数は7万4,357人。大会史上最多となる観客を集めたことも大きな話題となった。日本、オーストラリア、中国、韓国は、この大会を通じて2027年の女子ワールドカップ出場権を獲得している。
アジアの女子サッカーが競技レベルだけでなく、観戦イベントとしても成長していることを示す大会だった。
愛知・名古屋アジア大会でなでしこジャパンが3連覇2026年9月14日から10月2日まで開催された第20回アジア競技大会でも、日本女子代表は優勝を飾った。
10月2日の決勝では朝鮮民主主義人民共和国女子代表と対戦。試合は2対2で終了し、PK戦を5対3で制して金メダルを獲得した。これにより日本は大会3連覇を達成した。
この大会では若手選手の起用も目立った。日本サッカー協会の招集メンバーには、WEリーグ所属選手だけでなく、大学所属選手やスコットランドのレンジャーズFCでプレーする大場朱羽も名を連ねた。国内外に広がる育成経路が、代表チームの選択肢を増やしている。
欧州では女子EUROの観客動員が過去最高に世界的な成長を示すもう一つの数字が、2025年にスイスで開催されたUEFA女子EUROの観客動員だ。
UEFAによれば、大会の総観客数は65万7,291人に達し、女子EURO史上最多を更新した。1試合平均も初めて2万人を超えた。
2022年のイングランド大会では、決勝のウェンブリー・スタジアムに8万7,192人が来場している。女子サッカーの国際大会は、数万人規模の観客を集めるスポーツイベントとして定着しつつある。
WEリーグも2025/26シーズンに年間最多観客数を更新日本国内でも、WEリーグの観客動員は増加している。
WEリーグ公式発表によれば、2025/26シーズンの公式戦は173試合で、年間総入場者数は38万179人。前年比113%となり、リーグ開幕以降の過去最多を記録した。
内訳は次のとおりだ。
- 2025/26 SOMPO WEリーグ:132試合、31万5,747人、1試合平均2,392人。
- 2025/26 WEリーグ クラシエカップ:41試合、6万4,432人、1試合平均1,572人。
- 公式戦合計:173試合、38万179人、1試合平均2,198人。
ただし、ここで注意したいのは、国際大会の決勝で7万人以上を集めることと、国内リーグで毎試合安定した観客を集めることは別の課題だという点だ。
日本の女子サッカーが今後さらに成長するには、代表戦の注目度をクラブの観戦につなげ、地元のファンが継続的にスタジアムへ足を運ぶ仕組みを育てる必要がある。
【女子サッカー選手の実態】プロ化しても残る給与・待遇・男女格差
女子サッカーの発展を評価するとき、観客数や優勝回数だけを見ると実態を見誤る。選手が競技を続けられるだけの収入を得られるか、けがをしたときに適切な治療を受けられるか、出産や育児と競技生活を両立できるかといった問題も重要だ。
2026年FIFPRO調査が示したプロ選手の現実2026年10月12日、国際プロサッカー選手会FIFPROは、世界各国の約800人の女子選手を対象とした雇用環境の調査結果を公表した。
同調査では、女子サッカー選手の待遇に改善が見られる一方、収入や雇用の安定性には大きな地域差が残っていることが明らかになった。
- 平均月給:インフレ調整後で2,601米ドル。
- 中央値:月1,669米ドル。
- 早期引退を検討:調査対象の49%。
- 早期引退を考える理由:そのグループの59%が経済的理由、46%が心理的ストレスを挙げた。
- 雇用契約:雇用契約を持つ選手は56%。
- クラブの人員不足:47%が所属クラブのスタッフ不足を指摘。
- 年金:クラブから年金を受け取る選手は13%。
- メンタルヘルス:57%が精神面の問題を経験し、そのうち半数はクラブから支援を受けていなかった。
平均月給と中央値には大きな差がある。これは一部の高額報酬を得る選手が平均を押し上げていることを示す。世界の女子サッカー市場が拡大していても、その恩恵がすべての選手に均等に行き渡っているわけではない。
男女格差は給与だけでは測れない女子サッカーにおける男女格差は、単純な年俸比較だけでは把握できない。
練習施設、専属スタッフ、医療体制、移動環境、試合の放送・配信、スポンサー収入、育成組織への投資など、競技を支える仕組み全体に関係している。
たとえば、十分なメディカルスタッフがいないクラブでは、選手がけがから復帰するまでの支援が不十分になる可能性がある。短期契約が中心の環境では、将来の生活設計も難しくなる。
FIFPROの報告では、世界の女子サッカー選手の平均契約期間は19か月。10年前の12か月から改善しているものの、長期的な雇用の安定には課題が残る。
また、FIFAが2021年に導入した妊娠・育児に関する保護規則は、女性選手のキャリア継続を支える重要な仕組みとなっている。競技を続けながら人生の選択肢を確保できる環境づくりは、女子プロスポーツの成熟度を測る指標の一つだ。
日本にも残る育成環境と市場規模の課題日本サッカー協会が2026年5月に公表した「JFA成長戦略2026-2031」では、女子サッカーの競技環境と普及について具体的な課題が示されている。
同戦略は、2026年4月時点の日本の女子サッカー市場を、代表成績に比べてプレーする文化や観戦する文化が十分に広がっていない段階と評価している。独自の市場発展段階では「第2.5段階」と位置づけられた。
具体的な課題として挙げられているのは、次のような点だ。
- WEリーグの認知度向上と観客数の増加。
- 女子プロサッカーリーグとしての収益拡大。
- 中学生年代で女子選手が所属できるチームの不足。
- 小学生年代から中学生年代にかけての継続的な育成環境。
- 女子選手を指導できる女性指導者の不足。
特に見逃せないのが、競技を始める入口だけでなく、成長段階ごとの受け皿が必要だという点だ。小学生のときにサッカーを始めても、中学進学時に所属先が見つからなければ競技を続けにくくなる。
トップ選手の活躍と同じくらい、地域のクラブや学校でプレーを続けられる環境が重要なのである。
女子サッカーの成長を判断する5つの基準女子サッカーの現在地を正しく判断するなら、次の5項目を総合的に見る必要がある。
- 競技力:代表チームの国際大会成績、クラブの国際大会での実績。
- 観客動員:代表戦だけでなく、国内リーグの平均入場者数やリピーターの増加。
- 選手の待遇:契約内容、給与、医療、年金、出産・育児支援。
- 育成環境:小学生から大学・プロまで継続してプレーできるチームと指導者の存在。
- 市場の持続性:スポンサー、放映・配信、クラブ収益、地域との連携。
世界一を経験した日本女子サッカーが次の段階へ進むには、代表選手だけが活躍する構造から、幅広い選手が安定して競技を続けられる構造への転換が必要だ。
【女子サッカー選手】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:女子サッカー選手は全員プロなの?
A1:全員がプロではない。日本ではWEリーグが女子プロサッカーリーグであり、なでしこリーグはアマチュア最高峰の全国リーグとして運営されている。大学や地域クラブなどで競技を続ける選手もいる。
Q2:女子サッカーが禁止されたのはいつ?1971年に撤回されたの?
A2:1921年12月5日にイングランドサッカー協会が加盟クラブのグラウンドで女子の試合を開催することを制限した。正式な撤回決議は1970年1月19日で、競技場利用や登録審判員に関する規則改正は1971年6月24日に行われた。
Q3:日本で有名な歴代女子サッカー選手は誰?
A3:澤穂希、宮間あや、熊谷紗希などが代表的な選手として挙げられる。澤穂希は2011年の女子ワールドカップで日本の優勝に貢献し、得点王と最優秀選手賞を獲得した。
Q4:2026年の女子サッカーで日本代表はどのような成績を残した?
A4:2026年3月の女子アジアカップでオーストラリアを1対0で破って優勝し、同年10月のアジア競技大会でも朝鮮民主主義人民共和国との決勝をPK戦で制して大会3連覇を達成した。
Q5:女子サッカー選手になるにはどうすればいい?
A5:地域クラブ、女子中学・高校チーム、大学、クラブの育成組織などで競技経験を積み、WEリーグや海外クラブなどのプロ契約を目指す道がある。技術だけでなく、継続的な練習環境や育成指導者との出会いも重要になる。
女子サッカー選手の歴史は、競技を認められるための長い闘いの歴史でもある。1921年のイングランドサッカー協会による排除決定は、発展しかけていた女子サッカーに大きな打撃を与えた。しかし、1970年の撤回決議と1971年の制度改正、1970年代の組織化を経て、競技は再び成長への道を歩み始めた。
その後、1991年の女子ワールドカップ創設、2011年のなでしこジャパンの世界一、2021年のWEリーグ開幕と、女子サッカーを取り巻く環境は段階的に変化してきた。
2026年には日本代表が女子アジアカップとアジア競技大会で結果を残し、WEリーグも年間総入場者数の過去最多を更新した。欧州でも女子EUROが65万人以上の観客を集め、女子サッカーは世界的なスポーツ市場として存在感を高めている。
しかし、プロ化と選手の生活の安定は同じ意味ではない。給与や契約、医療支援、育成環境、女性指導者の不足など、解決すべき課題は依然として残る。
女子サッカーの本当の発展を判断する基準は、世界大会で何回優勝したかだけではない。トップ選手から地域の若い選手まで、誰もが安心して競技を続けられる環境が整っているかどうかだ。
1921年に競技場から排除された女子サッカーが、2026年には世界各地で大観衆を集めるまでになった。その歴史を次の世代につなぐためには、選手の活躍を称えるだけでなく、選手が長く輝き続けられる仕組みを育てていく必要がある。
主な根拠資料・公式記録