高木ブーの現在は?93歳の活動、ドリフ加入秘話と妻・家族の歩みを解説
2026年11月現在、ザ・ドリフターズのメンバーとして親しまれてきた高木ブーさんは、93歳を迎えた現在も現役のコメディアン・ミュージシャンとして活動しています。 テレビ出演だけでなく、ウクレレの演奏やハワイでの音楽イベント、YouTubeなど、活動の場は今も広がっています。
一方、プライベートでは1962年に結婚した妻・喜代子さんを1994年に亡くしており、現在は娘のかおるさんをはじめとする家族に支えられた生活を送っています。妻との出会い、江戸川公園での日課、ハワイ旅行、90歳で出版した自伝などを振り返ると、テレビで見せてきた姿とは異なる一面も浮かび上がります。
この記事では、2026年の最新活動を中心に、本名や年齢、ザ・ドリフターズへの加入理由、ウクレレ奏者としての歩み、妻との結婚生活、娘や家族との現在までを詳しく紹介します。
高木ブーさんは、2026年3月8日に93歳の誕生日を迎えました。
所属事務所イザワオフィスの公式プロフィールでも、生年月日は1933年3月8日と掲載されています。
93歳となった現在も、単に過去のドリフの映像で懐かしまれる存在ではありません。音楽活動を続けながら、テレビやラジオ、インターネットの番組にも登場しています。
2026年の主な活動
特に注目されたのが、2026年7月のハワイでの音楽活動です。
高木さんは、ウクレレ奏者によるバンド「1933ウクレレオールスターズ」の一員として、7月12日にワイキキのカピオラニ公園で開催された「インターナショナル・ウクレレ・フェスティバル・オブ・ハワイ」に出演しました。
同グループは、高木さんの生まれ年である1933年を名前に冠した7人編成の音楽ユニットです。
メンバーは次のとおりです。
- 高木ブー
- 関口和之(サザンオールスターズ)
- 野村義男
- 荻野目洋子
- 分山貴美子
- はたけやま裕
- ヤナギマン
2026年のステージでは、ハワイアンの名曲に加え、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」にも挑戦しました。
高木さんは歌入りの演奏にも参加し、最後にはドリフの代表曲「いい湯だな」へとつなぐ構成で会場を盛り上げています。
出発前の取材では、「100歳まで現役でハワイでのライブを続けたい」という目標も語っていました。
2026年のハワイでの演奏活動
加えて、2026年10月にもニッポン放送の番組『中山秀征の有楽町で逢いまSHOW』に出演。ウクレレの弾き語りで、大橋節夫さんのハワイアンソング「サヨナラと云わないで」「夕映えの彼方に」を披露しました。
この番組関連の10月14日公開記事では、高木さんのウクレレ歴が78年に及ぶことも紹介されています。
テレビ・YouTubeでも活動を継続
テレビでは、2026年8月11日にフジテレビ系列で放送された『ドリフに大挑戦スペシャル』に出演しました。
加藤茶さんとともに、ドリフの笑いを現在の世代へつなぐ番組への参加です。
また、YouTubeでは加藤茶さんやゲストとともに『ドリフ麻雀』を配信しています。
2026年8月18日には、地元・柏との縁を生かした「高木ブー×柏神社」のコラボ御朱印も登場しました。高木さん自身が描き下ろした雷様とハワイアンをテーマにした2種類のイラストが採用されています。
このように、93歳の現在も音楽、テレビ、インターネット、イラスト制作と活動は多方面にわたっています。
# 【プロフィール】高木ブーの本名は高木友之助!ドリフ加入の理由とは?
高木ブーさんの本名は、高木友之助(たかぎ・とものすけ)です。
1933年3月8日に東京都で生まれ、中央大学経済学部を卒業しました。
コメディアンとして知られていますが、もともとは音楽を専門とするバンドマンです。ギターやウクレレなどの演奏を得意とし、学生時代からハワイアン音楽に親しんできました。
高木ブーの基本プロフィール
- 本名:高木友之助
- 生年月日:1933年3月8日
- 年齢:93歳(2026年11月現在)
- 出身地:東京都
- 身長:160cm
- 最終学歴:中央大学経済学部
- 所属:イザワオフィス
- 職業:コメディアン・ミュージシャン
- 主な活動:ザ・ドリフターズ、ウクレレ演奏
ザ・ドリフターズに加入したのはなぜ?
高木さんがザ・ドリフターズに加入したのは1964年です。
加入前は自分自身のバンドを持ち、プロのミュージシャンとして活動していました。そのため、最初からドリフに入りたかったわけではありません。
転機となったのは、ジャズ喫茶での出会いです。
当時、ドリフターズではメンバーの交代によって欠員が生じていました。そこで、いかりや長介さんと当時のリーダーだった桜井輝夫さんが高木さんに声をかけたのです。
高木さんは後年の文春オンラインのインタビューでも、いかりやさんらに引き抜かれた経緯を振り返っています。
当初は自分の音楽活動を続けるか、新しいコミックバンドに移るかで迷っていました。
そこで相談したのが妻の喜代子さんでした。
喜代子さんは、新しい挑戦を勧め、高木さんの背中を押したといいます。
この妻の一言が、後に国民的人気を獲得するドリフ加入の大きなきっかけとなりました。
『8時だョ!全員集合』で国民的な人気者に
1969年10月、TBS系で『8時だョ!全員集合』がスタートしました。
高木さんは、いかりや長介さん、加藤茶さん、荒井注さん、仲本工事さん、後に加入した志村けんさんらとともに、番組を代表するメンバーとして活躍します。
番組の魅力は、生放送ならではの臨場感と、音楽・コント・舞台装置を組み合わせた大掛かりな演出でした。
高木さんは、独特のおっとりした雰囲気と存在感を生かし、雷様のコントなどで人気を集めました。
『8時だョ!全員集合』は平均視聴率27.3%、1973年4月7日には最高視聴率50.5%を記録したと女性自身のインタビュー記事でも紹介されています。
高木さんは、メンバーの中心で強烈な個性を打ち出すというより、ほかのメンバーとの掛け合いによって笑いを生み出す役割も担っていました。
この絶妙なバランスが、ドリフのコントに欠かせない魅力の一つでした。
# 【年表】高木ブーの経歴と人生の転機を一覧で紹介
高木さんの人生を振り返ると、音楽家としての出発、ドリフ加入、妻との結婚、そしてウクレレ奏者としての再出発という大きな節目があります。
| 時期 | 出来事 | 内容・意味 |
|---|---|---|
| 1933年3月 | 誕生 | 東京都生まれ |
| 1948年 | ウクレレとの出会い | 15歳の誕生日に兄からウクレレを贈られる |
| 1962年2月 | 結婚 | 喜代子さんと結婚 |
| 1964年 | ドリフ加入 | いかりや長介さんらの誘いで加入 |
| 1969年10月 | 全員集合開始 | 国民的人気を獲得 |
| 1990年1月 | 夫婦旅行 | クイーン・エリザベス2世号で一泊 |
| 1994年3月 | 妻との死別 | 喜代子さんが58歳で逝去 |
| 1996年 | ソロアルバム | 『ハワイアン・クリスマス』発売 |
| 1998年 | ソロコンサート | 65歳で初のソロコンサート |
| 2023年 | 自伝出版 | 『アロハ 90歳の僕』刊行 |
| 2026年 | 93歳で現役 | ハワイの国際イベントやテレビ、ラジオに出演 |
この年表で特に注目したいのは、妻との死別後に音楽活動が再び大きく動き出したことです。
1996年には初のソロアルバムを発表し、1998年には65歳で初のソロコンサートを開催。1999年からはNHK教育のウクレレ番組で司会・講師も務めました。
ドリフのコメディアンとして長年親しまれた高木さんが、ミュージシャンとして新たな評価を得ていった時期です。
# 【妻との結婚生活】高木ブーと喜代子さんの馴れ初め・ハワイ旅行の思い出
高木ブーさんの人生を語るうえで欠かせないのが、妻・福本喜代子さんとの結婚生活です。
2人は1962年2月1日に結婚しました。
喜代子さんは高木さんより3歳年下で、芸能人ではなく一般の女性でした。高木さんの回想によると、眼科の秘書をしていた女性です。
妻との出会いはダンスパーティー
2人が知り合ったのは、知人が関係したダンスパーティーでした。
当時の高木さんはバンドマンとして活動しており、喜代子さんのすらりとした姿やモダンな雰囲気に惹かれたといいます。
高木さんは一目惚れし、その後交際を始めました。
交際期間は約5年。デートでは喜代子さんの実家を訪れることも多く、祖母が三味線を弾き、妹が日本舞踊を披露してくれるなど、温かく迎えられていたそうです。
しかし、結婚には大きな壁がありました。
喜代子さんの実家は由緒ある家柄で、安定した職業とは言いにくいバンドマンの高木さんとの結婚に、両親は反対していました。
結婚式当日の朝にも、母親から思いとどまるように言われたほどです。
それでも喜代子さんは高木さんとの結婚を決意しました。祖母も高木さんの味方になり、2人の結婚を後押ししたといいます。
1962年に結婚、娘のかおるさんが誕生
1962年2月1日、当時28歳の高木さんと25歳の喜代子さんは結婚しました。
結婚当初の生活は決して裕福ではありませんでした。
高木さんは音楽活動で収入が安定しない時期を経験しており、喜代子さんは洋裁の内職をして家計を支えていました。
高木さん自身も洋裁を手伝ったことがあると、女性自身のインタビューで振り返っています。
そして、1964年1月2日に長女のかおるさんが誕生しました。
家族が増えたことは、高木さんがドリフ加入を決断する際にも大きな意味を持っていました。
江戸川公園の散歩が夫婦の日課だった
『8時だョ!全員集合』が終了した後、高木さんは家族と過ごす時間を取り戻したいと考えるようになりました。
その象徴的な思い出が、夫婦で続けていた江戸川公園への散歩です。
当時は毎朝6時に起き、ペアのトレーナーを着て自宅近くの江戸川公園まで歩き、ラジオ体操をして帰るのが日課でした。
散歩中に交わす会話は、特別な話題ではありません。
日常の出来事や、何気ない世間話です。
しかし高木さんにとっては、その時間こそが大切でした。
仕事に追われていた現役時代には、妻の話をゆっくり聞く時間が十分になかったことに気づいたと振り返っています。
ここで大切なのは、この散歩が『全員集合』終了後の夫婦の思い出であり、2026年現在も毎朝続いている習慣という意味ではないことです。
ハワイ旅行とクイーン・エリザベス2世号の思い出
高木さんは『全員集合』終了後、妻を毎年ハワイに連れて行ってあげたいと考え、夫婦でハワイ旅行を楽しむようになりました。
ハワイは高木さんにとって音楽的な原点でもあります。
ハワイアン音楽を愛する高木さんにとって、妻と一緒に過ごすハワイは、仕事とは違う特別な場所だったのでしょう。
加えて、夫婦にとって忘れられない出来事があります。
それが、1990年1月の豪華客船クイーン・エリザベス2世号での一泊旅行です。
2人は船内でディナーやショーを楽しみました。
当時、喜代子さんは記念写真の裏に「パパ57歳、ママ54歳、夢のようです」と書き添えています。
高木さんは、この日のことを夫婦にとって一番の思い出として大切にしていました。
妻・喜代子さんは1994年に58歳で死去
幸せな夫婦生活に突然訪れたのが、喜代子さんの病気でした。
1992年春、夫婦でいちご狩りに出かけた際、喜代子さんはめまいや吐き気を訴えました。
その後の検査で脳腫瘍が見つかります。
高木さんは妻のためにバリアフリーの家を建て直し、車いすでも生活できるようホームエレベーターまで設置しました。
しかし、病状は思うように回復しませんでした。
1993年秋の3回目の手術後、喜代子さんは身体を動かすことも、声を出すことも難しくなりました。
そして、1994年3月25日、58歳で亡くなりました。
高木さんにとって、最愛の妻との別れは人生で最もつらい出来事の一つだったといいます。
このエピソードは女性自身や介護ポストセブンの本人インタビューでも詳しく語られています。
妻を亡くした後、高木さんは大きく落ち込みました。
そんなとき、学生時代のバンド仲間からハワイアン音楽を一緒に演奏しようと誘われます。
この誘いが、再び音楽に向き合うきっかけとなりました。
1990年代後半からのウクレレ奏者としての活躍には、こうした人生の転機も関係しています。
# 【娘・家族】高木ブーの現在の家族構成は?娘のかおるさんとの関係
高木ブーさんには、妻・喜代子さんとの間に生まれた一人娘がいます。
名前は高木かおるさんです。
1964年1月2日生まれで、父親の活動を長年支えてきました。
娘のかおるさんは父親を支える存在
高木さんは、妻を亡くした後、娘のかおるさんと家族の支えを受けながら生活してきました。
介護ポストセブンの2023年のインタビューでは、娘夫婦と孫との4人暮らしについて本人が語っています。
また、2026年1月の『ゆうゆうtime』でも、娘のかおるさん夫妻と孫のコタロウさんを含めた4人で暮らしていると紹介されました。
2026年7月のハワイ旅行にも、長女のかおるさんが同行しています。
ハワイでのライブ後には、家族や友人と4か月遅れの誕生日会を楽しんだことも報じられました。
娘さんは父親の健康状態や生活を気遣いながら、活動を支える存在となっています。
娘との親子共作曲「ブルーメモリー」
高木さんと娘の関係を象徴するエピソードとして、音楽での親子共作もあります。
ニッポン放送の2026年10月の記事では、高木さんの定番曲「ブルーメモリー」が紹介されています。
この曲は、高木さんが作曲し、娘のかおるさんが作詞した作品です。
父親が演奏と音楽を担当し、娘が歌詞を担当するという形で生まれました。
芸能人としての父と娘という関係だけではなく、音楽を通じた共同作業があることも興味深い点です。
高木さんは妻を亡くした後も、喜代子さんとの思い出を大切にしています。
2020年の介護ポストセブンのインタビューでは、娘と家の中で妻の気配を感じることがあり、「今日、ママが家に来ていたね」と話すこともあると明かしていました。
妻との死別から長い年月がたった現在も、家族の記憶の中に喜代子さんが生き続けていることが伝わるエピソードです。
# 【90歳の自伝】高木ブーが『アロハ 90歳の僕』に込めた人生観
『アロハ 90歳の僕~ゆっくり、のんびり生きましょう~』
- 著者:高木ブー
- 出版:小学館
- 刊行:2023年4月
- 出版時の年齢:90歳
- 内容:ドリフでの思い出、家族、音楽活動、人生観など
高木さんは90歳を迎えた2023年、20年ぶりとなる自伝を出版しました。
タイトルは『アロハ 90歳の僕~ゆっくり、のんびり生きましょう~』です。
前作『第5の男 どこにでもいる僕』から約20年ぶりの自伝となりました。
本書には、ドリフ時代のエピソードだけでなく、家族による座談会や、加藤茶さんをはじめとする関係者の証言も収録されています。
出版の背景には、志村けんさんや仲本工事さん、いかりや長介さんら仲間たちを亡くしたことも関係していました。
自分が経験してきたドリフの歴史を、当事者として後世に残しておきたいという思いが強くなったと、編集関係者がよろず〜ニュースの取材で語っています。
【プロの結論】高木ブーの現在を理解する3つのポイント
高木さんの93年間を振り返ると、単なる人気コメディアンという説明だけでは、その人物像を十分に捉えられません。
特に注目したいのは、次の3点です。
1.コメディアンとミュージシャンの二つの顔
高木さんはドリフ加入前から音楽家として活動していました。
ウクレレ歴は78年。15歳で兄から楽器を贈られたことが始まりで、2026年現在も演奏を続けています。
つまり、ウクレレは晩年に始めた趣味ではなく、人生の大部分をともにしてきた音楽です。
2.妻との別れが音楽活動の再出発につながった
喜代子さんを亡くした後、学生時代の音楽仲間との再会が転機になりました。
ドリフでの仕事とは異なる、自分自身の好きな音楽に向き合う時間が生まれたのです。
妻との思い出と音楽活動は、別々の話ではなく、高木さんの人生の中でつながっています。
3.過去の人気に頼らず、新しい世代と交流している
2026年のハワイ公演や若いミュージシャンとの共演、YouTubeでの活動は、ドリフの懐かしい映像だけでは見えてこない現在の姿です。
93歳という年齢を考えると、活動の規模や形が変わることは自然です。しかし、音楽を続け、仲間と舞台に立ち、新しい企画に参加する姿勢は変わっていません。
高木さんの魅力は、昔の人気を保つことだけではなく、長年培った音楽とユーモアを現在進行形で届けている点にあります。
# 【高木ブーの現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高木ブーは2026年現在何歳ですか?
1933年3月8日生まれで、2026年11月現在93歳です。2026年7月にはハワイの国際ウクレレフェスティバルにも出演しました。
Q2:高木ブーの妻は現在も健在ですか?
妻の福本喜代子さんは1994年3月25日に58歳で亡くなっています。1962年に結婚し、約32年間夫婦として歩みました。ハワイ旅行やクイーン・エリザベス2世号での一泊旅行は、高木さんにとって大切な思い出です。
Q3:高木ブーは現在も芸能活動をしていますか?
はい。2026年もウクレレ奏者として活動し、ハワイの音楽イベントやテレビ番組、ラジオに出演しています。加藤茶さんとのYouTube番組『ドリフ麻雀』などにも参加しています。
# まとめ:高木ブーは93歳でも現役!音楽と家族を大切にする人生
高木ブーさんは2026年11月現在93歳。ザ・ドリフターズの一員として『8時だョ!全員集合』で人気を獲得した後も、ウクレレ奏者として音楽活動を続けています。
1962年に結婚した妻・喜代子さんとは、江戸川公園の散歩やハワイ旅行など、かけがえのない思い出を重ねてきました。1994年に妻を亡くした後は、娘のかおるさんや家族に支えられながら、自分の音楽を再び追求するようになりました。
2023年には90歳の自伝を出版し、2026年には93歳でハワイの国際音楽イベントに出演。100歳まで現役でハワイのステージに立ちたいという目標も語っています。
高木ブーさんの現在を知るうえで大切なのは、ドリフ時代の懐かしさだけに注目しないことです。
笑いを届けたコメディアンであり、長年ウクレレを愛し続ける音楽家。そして家族や仲間との縁を大切にする一人の男性。
その多彩な顔こそが、93歳になった今も高木ブーさんが多くの人に愛され続ける理由なのです。