2026年現在、創価学会と日本共産党は組織的な協力関係にあるのでしょうか。両者には、かつて激しい政治的対立を経た後、1974年12月に秘密裏に協定を結び、翌1975年に公表したという意外な歴史があります。この合意は「創共協定」と呼ばれ、宗教団体と共産主義政党が相互の立場を認め合った異例の出来事として知られています。
しかし、協定が結ばれたからといって、両者が政治的な共闘を続けたわけではありません。公明党との関係、池田大作と宮本顕治の思惑、協定が事実上機能しなくなった経緯を整理すると、当時の合意と現在の関係には大きな違いがあることが分かります。
- 現在の関係: 創価学会と日本共産党に、創共協定に基づく継続的な組織協力や選挙共闘は確認できない。
- 歴史的事実: 1974年12月28日に創共協定が締結され、1975年7月27日に公表された。
- 破綻の背景: 相互不干渉と政治的共闘をめぐる解釈の違い、公明党の反発、政治的圧力などが重なった。
【結論】創価学会と日本共産党は現在、協力関係にあるのか?

最初に答えると、2026年現在、創価学会と日本共産党が1974年の創共協定を基盤として組織的な協力関係を維持している事実は確認できません。
かつて両組織は、互いの立場を尊重し、相手への敵視や誹謗中傷を避けるという合意を交わしました。しかし、その後、政治的な共闘関係が成立することはなく、協定も事実上機能しなくなりました。
ここで混同してはいけないのが、創価学会と公明党の関係です。
創価学会・日本共産党・公明党の関係は別々に考えるそれぞれの立場を整理すると、次のようになります。
| 組織 | 基本的な立場・関係 |
|---|---|
| 創価学会 | 仏教系の宗教法人。公明党の支持母体 |
| 日本共産党 | 独立した政党。創価学会とは1974年に協定を締結 |
| 公明党 | 1964年に結成された政党。創価学会を支持団体とする |
| 創共協定 | 創価学会と日本共産党が締結した相互理解・共存の合意 |
公明党の公式説明では、創価学会は支持団体、公明党は支持を受ける政党という関係です。また、現在も両者の間では不定期に連絡協議会が開催されています。
つまり、創価学会と公明党の関係は現在も継続している一方、日本共産党との関係は歴史的な協定を経て、別の政治的関係に戻っています。
2026年の政治状況から見える両者の距離2026年1月19日、日本共産党は、立憲民主党と公明党が関係する新党「中道改革連合」との衆議院選挙での選挙協力を行わない方針を表明しました。
その理由として、日本共産党の小池晃書記局長は、安全保障政策などの基本政策の違いを挙げています。
加えて、同年8月31日には、中道改革連合・立憲民主党・公明党の3党による合流協議がまとまらなかったことも明らかになりました。
これらは創価学会と日本共産党の直接交渉ではありませんが、2026年の政治状況においても、両者の間にかつての創共協定を思わせる政治的な共闘が成立していないことを示す材料です。
【歴史の真相】創共協定とは何だったのか?1974年12月28日の合意
創共協定とは、正式には「創価学会と日本共産党との合意についての協定」と呼ばれる文書です。
1974年12月28日、創価学会と日本共産党の代表者が署名・押印して締結しました。
当時、創価学会と日本共産党は政治的にも思想的にも異なる立場にあり、決して友好的な関係ではありませんでした。
その両者が、なぜ協定を結ぶに至ったのでしょうか。
池田大作と宮本顕治をつないだ松本清張協定成立の背景には、作家の松本清張がいました。
松本は創価学会の池田大作会長と、日本共産党の宮本顕治委員長の双方と交流があり、両者の関係改善を仲介しました。
協議は1974年10月末に始まり、松本清張の立ち会いのもとで進められました。
当初の会談には、次の人物が参加しています。
- 池田大作: 創価学会会長(当時)
- 宮本顕治: 日本共産党幹部会委員長(当時)
- 松本清張: 両組織の仲介役
- 上田耕一郎: 日本共産党側の協議担当者
- 野崎勲: 創価学会側の協議担当者
実際の協定文書に署名したのは、創価学会代表の野崎勲と、日本共産党代表の上田耕一郎です。
池田と宮本が直接協議を重ねて協定書に署名したわけではありません。両組織の代表者が文書をまとめ、正式な手続きを経て締結したものです。
創共協定の目的は何だったのか?協定の中心にあったのは、相互不干渉・双方共存という考え方です。
宗教を信仰する創価学会と、科学的社会主義を掲げる日本共産党は、思想的な違いを抱えていました。
そこで、相手の組織や運動の独立性を尊重し、互いの立場を不当に攻撃しないことを確認しました。
協定の主な内容は次のとおりです。
| 項目 | 協定の主な内容 |
|---|---|
| 相互理解 | 双方の自主性を尊重し、相互理解に努める |
| 思想・信仰 | 創価学会は共産主義を敵視せず、共産党は信教・布教の自由を擁護する |
| 誹謗中傷 | 政治的態度を含め、互いへの誹謗中傷を行わない |
| 民衆福祉 | 社会的不公平を取り除き、民衆の福祉向上を目指す |
| 世界平和 | 核兵器全廃など、恒久平和に向けて努力する |
| 民主主義 | ファシズムによる基本的人権や自由の侵害に反対する |
| 有効期間 | 10年間。期間満了後に再協定を協議する |
特に注目されるのが、創価学会が共産主義を敵視しないことと、日本共産党が宗教活動の自由を擁護することを相互に確認した点です。
これは、思想的な違いを解消するのではなく、違いがあることを認めたうえで共存するという発想でした。
また、協定には10年間という期間が設定され、満了後には再協議することも盛り込まれていました。
【人物・時系列】創共協定はいつ結ばれ、いつ破綻したのか?
創共協定の歴史を理解するには、締結日だけでなく、締結前の対立、公表までの空白期間、公表後の政治的混乱を時系列で確認する必要があります。
1970年代の重要な出来事| 時期 | 出来事 | 歴史的な意味 |
|---|---|---|
| 1969年12月 | 言論出版妨害問題が政治問題化 | 日本共産党が創価学会・公明党を批判 |
| 1970年5月3日 | 池田大作が政教分離などの方針を表明 | 創価学会と公明党の関係が議論される |
| 1974年10月末 | 松本清張の仲介で協議開始 | 上田・野崎らが交渉 |
| 1974年12月28日 | 創共協定を締結 | 上田耕一郎と野崎勲が署名 |
| 1974年12月29日 | 池田・宮本が松本宅で懇談 | 両組織のトップ同士が協定を確認 |
| 1975年7月8日 | 読売新聞が協定を報道 | 公表前に存在が広く知られる |
| 1975年7月27日 | 両組織が協定を公表 | 相互理解と共存の合意が明らかになる |
| 1979年12月 | 宮本顕治が協定の死文化に言及 | 実質的な機能停止が明確になる |
| 1984年 | 10年間の期間満了 | 再協定による関係発展には至らず |
この経緯は、法政大学大原社会問題研究所の歴史資料や、法政大学の政治学博士論文『戦後革新勢力の対立と分裂』などから確認できます。
なぜ締結から約7か月も公表されなかったのか?ここが創共協定の歴史で特に興味深い部分です。
協定は1974年12月28日に成立していましたが、すぐには公表されませんでした。
公表時期については双方で協議することになっており、創価学会側には公明党との調整を進めたい事情もあったとされています。
ところが、1975年7月8日、読売新聞が協定の存在を報道しました。
その後、7月27日に双方から正式に公表され、翌28日付の資料や報道で内容が紹介されました。
つまり、7月8日の報道による表面化と、7月27日の正式公表は別の出来事です。
この区別をしないと、協定がいつ世間に知られたのかについて誤解が生じます。
池田大作と宮本顕治の会談が意味したもの1974年12月29日、池田と宮本は松本清張の自宅を訪問し、懇談しました。
また、1975年7月には毎日新聞主催による両者の人生対談も行われています。
この一連の出来事は、長く対立していた宗教団体と政党が、対話によって関係を改善しようとした歴史的な試みでした。
ただし、トップ同士が会談したことと、両組織が政治的に共闘することは同じではありません。
実際には、公明党と日本共産党の選挙協力や共同政権構想が実現することはありませんでした。
【破綻の理由】創共協定はなぜ機能しなくなったのか?
創共協定が機能しなくなった理由は、一つではありません。
最大の問題は、協定を結んだ両組織が、その政治的な意味を同じように理解していなかったことです。
1. 相互共存と政治的共闘の解釈が違った日本共産党側は、協定を政治的な関係改善や野党勢力の連携につなげる可能性を期待していました。
当時は自民党政権が政治的に不安定になり、野党間で連合政権構想が議論されていた時期です。
仮に公明党と共産党が協力し、さらに社会党が加われば、大きな政治勢力が生まれる可能性もありました。
一方、創価学会側は、協定を基本的に相互不干渉と共存のためのものとして位置付けていました。
つまり、共産党側が期待した政治的な連携と、創価学会側が重視した組織間の関係改善には、温度差があったのです。
2. 公明党が協定に反発した創共協定は、創価学会と日本共産党の間で結ばれたものであり、公明党が直接締結した協定ではありません。
当時の公明党指導部は、協定の締結を事前に十分知らされていなかったとされます。
法政大学の及川智洋氏による政治学博士論文では、創価学会が公明党に事後承諾を求めた経緯や、当時の委員長だった竹入義勝らが反発した状況が分析されています。
公明党は従来、日本共産党と政治的に対立しており、協定によってその関係が急に変わることには慎重でした。
加えて、公明党側は協定を理由に共産党との選挙協力を行うことを否定しました。
3. 政府・保守勢力からの反発も影響した当時、日本共産党と創価学会が接近することは、保守勢力にとって政治的な意味を持つ出来事でした。
創価学会・公明党が共産党と連携すれば、従来の政治勢力のバランスが変化する可能性があったからです。
法政大学の研究論文では、当時の公明党関係者や協定交渉に携わった野崎勲らの後年の証言をもとに、政府・公安関係者などからの圧力が協定の空洞化に影響した可能性を分析しています。
ただし、こうした証言は関係者の回顧に基づくものであり、破綻の原因を一つの圧力だけに帰することはできません。
4. 1979年には事実上の死文化が明らかに協定の機能停止を示す重要な出来事が1979年12月です。
日本共産党の宮本顕治は、協定がさまざまな妨害によって死文化しているという趣旨の認識を明らかにしました。
また、仲介役だった松本清張も協議の経過に関する記録を公表しています。
協定は10年間の期間を定めていましたが、実際には1979年の段階で関係の進展が止まっていました。
その後、1984年の期間満了時にも再協定は成立していません。
したがって、創共協定は正式な政治同盟として発展することなく、事実上の機能停止を経て終了したと理解するのが適切です。
【公明党との関係】創価学会の支持母体と政教分離の問題
創価学会と日本共産党の関係を考えるうえで、公明党の存在は欠かせません。
なぜなら、創価学会と日本共産党が協定を結んだ当時も、創価学会は公明党の支持母体だったからです。
公明党はいつ創価学会との関係から生まれたのか?公明党は、1964年11月17日に結成大会を開催しました。
公明党の公式沿革によれば、1961年に公明政治連盟が結成され、その後、政党としての公明党が発足しています。
池田大作が創価学会会長だった時代に党の結成が提案されたという歴史があります。
公明党自身は、創価学会との関係を支持団体と支持を受ける政党という形で説明しています。
日本国憲法20条と政教分離はどう関係する?創価学会と公明党の関係を議論するとき、必ず登場するのが日本国憲法第20条です。
同条は、信教の自由を保障するとともに、宗教団体が国から特権を受けたり、政治上の権力を行使したりすることを禁じています。
また、国およびその機関による宗教的活動も禁止しています。
ここで重要なのは、政教分離の原則と、宗教団体が政治活動を支援することを区別することです。
1993年11月5日の衆議院政治改革に関する調査特別委員会では、当時の石田幸四郎総務庁長官が、創価学会と公明党の関係について、政党と支持団体の関係として考えるべきだとの見解を示しました。
宗教団体が特定の政党を支持すること自体が、直ちに憲法違反になるわけではないという説明です。
ただし、宗教団体と政治権力の関係については、具体的な活動や国家との関係を個別に検討する必要があります。単に支持母体が宗教団体であるという事実だけで、すべての憲法上の問題が解決するわけではありません。
創価学会の言論出版妨害問題と共産党の対立創価学会と日本共産党の歴史を理解するうえで、もう一つ外せないのが1960年代後半から1970年にかけての言論出版妨害問題です。
当時、政治学者の藤原弘達が著書『創価学会を斬る』を出版しようとした際、出版をめぐる圧力や妨害が問題になりました。
日本共産党は、この問題を言論・出版の自由に関わる重大な問題として追及しました。
法政大学大原社会問題研究所の歴史資料によると、1969年12月13日のNHK討論番組で、日本共産党の松本善明が出版物の流通をめぐる問題を取り上げています。
さらに1970年には国会でも取り上げられ、同年5月3日、池田大作会長が言論出版問題への反省や創価学会と公明党の政教分離に関する方針を表明しました。
この問題が重要なのは、創価学会と日本共産党の関係が、単純な思想対立だけで説明できないことです。
日本共産党は創価学会・公明党の政治活動を批判する立場にありました。一方、創価学会は自らの宗教活動や組織の独立性を守る必要がありました。
創共協定は、こうした過去の対立を背景として、互いの批判や干渉を抑えるために成立した側面を持っていたのです。
【2026年最新】創価学会と共産党の評判・実態をどう見るべきか?
創価学会と日本共産党の関係について、インターネットではさまざまな見方があります。
しかし、歴史的な事実と政治的な評価を混同すると、実態を正しく理解できません。
よくある3つの誤解誤解1:創価学会と共産党は現在も裏で協力している
1974年に協定が締結されたことは事実です。しかし、その協定は政治的な共闘を確立したものではなく、1979年には事実上の死文化が明らかになっています。
2026年の政治状況を見ても、両者が組織的な協力を続けていると判断できる材料はありません。
誤解2:創共協定は公明党と共産党が結んだ協定だった
これは正確ではありません。
協定の当事者は創価学会と日本共産党です。公明党は創価学会の支持を受ける政党でしたが、協定の直接の締結主体ではありません。
誤解3:協定によって創価学会と共産党の思想が一致した
これも違います。
協定では、両組織の思想や運動の独立性を尊重することが重視されました。創価学会が宗教団体であることも、日本共産党が科学的社会主義を掲げる政党であることも変わっていません。
評判と実態を分けて考える両者に対する評価は、見る立場によって異なります。
| 観点 | 主な評価・論点 | 実際の確認ポイント |
|---|---|---|
| 創価学会側 | 宗教活動の自由と組織の独立性 | 信教の自由、協定の相互尊重 |
| 日本共産党側 | 言論・出版の自由や政治的民主主義 | 1970年の言論出版問題 |
| 公明党側 | 創価学会は支持団体であり政党とは別組織 | 公明党の公式説明と党の沿革 |
| 歴史研究の視点 | 協定の成立と政治的な破綻 | 1974~1979年の経緯 |
| 2026年の政治状況 | 両者の政策的・政治的距離 | 選挙協力や公式発表の有無 |
創価学会と日本共産党の評判を考える際には、党や団体自身が発信する主張と、第三者による歴史研究を分けて読むことが大切です。
例えば、言論出版妨害問題については、日本共産党の公式説明だけでなく、法政大学大原社会問題研究所の歴史資料も確認できます。
創共協定についても、締結したという事実と、双方が協定にどのような政治的意図を持っていたかは別の問題です。
【プロの結論】創共協定から読み取れる政治と宗教の本質創共協定が示したのは、思想や信条が異なる組織でも、相互の独立性を認め、共存のための合意を形成できるという可能性です。
しかし、実際の政治では、組織間の合意だけでなく、支持基盤、政党の政策、選挙戦略、周囲の政治勢力との関係が複雑に絡み合います。
創価学会と日本共産党の場合も、協定の理念と政治的な利害が一致しませんでした。
特に、公明党という第三の政治主体が存在していたことは、協定を実際の政治協力に発展させるうえで大きな制約になりました。
歴史を評価する際には、次の3点が判断基準になります。
1. 文書上の合意と実際の行動を区別する。 協定を締結したことは、継続的な政治共闘を意味しません。
2. 宗教団体と政党の関係を区別する。 創価学会と公明党の関係を、そのまま日本共産党との関係に当てはめることはできません。
3. 現在の政治的な協力関係は現在の資料で判断する。 1970年代の出来事だけで2026年の組織関係を断定することはできません。
【よくある質問】創価学会と日本共産党の関係に関するFAQ
Q1:創価学会と日本共産党は現在も協力していますか?
A1:2026年現在、創共協定を基盤とした継続的な組織協力や選挙共闘は確認できません。両者は1974年に協定を結びましたが、その後、関係は事実上停滞しました。
Q2:創共協定はいつ結ばれましたか?
A2:1974年12月28日です。創価学会代表の野崎勲と、日本共産党代表の上田耕一郎が署名しました。翌1975年7月27日に公表されました。
Q3:池田大作と宮本顕治は何を話し合ったのですか?
A3:松本清張の仲介で両者の交流が実現し、組織間の関係改善について懇談しました。協定の中心は相互の自主性の尊重、信教の自由、相互不干渉などでした。
Q4:創共協定が破綻した理由は何ですか?
A4:政治的共闘を期待する日本共産党側と、相互共存を重視する創価学会側の解釈の違い、公明党の反発、政治的圧力などが重なったためです。1979年には事実上の死文化が明らかになりました。
Q5:公明党は創価学会とどのような関係にありますか?
A5:公明党は創価学会を支持団体とする政党です。公明党の公式説明では、両者は支持団体と支持を受ける政党という関係で、現在も不定期に連絡協議会を開催しています。
創価学会と日本共産党の関係は、長年の対立から相互理解を目指す協定締結へと進み、その後、政治的な思惑や組織間の意見の違いによって停滞した歴史を持っています。
重要な出来事を振り返ると、次のようになります。
- 1969~1970年: 言論出版妨害問題をめぐって両者の対立が顕在化。
- 1974年12月28日: 池田大作と宮本顕治の関係改善を背景に創共協定が締結。
- 1975年7月27日: 協定が正式に公表。
- 1979年: 協定の死文化が明らかになる。
- 1984年: 10年間の協定期間が満了し、再協定には至らず。
- 2026年: 過去の協定に基づく継続的な組織協力は確認できない。
最も大切なのは、創価学会と日本共産党が過去に協定を結んだ事実と、現在も協力しているかどうかは別問題だということです。
また、公明党と創価学会の関係、日本共産党と創価学会の歴史的な関係も、それぞれ分けて考える必要があります。
創共協定は、単なる政治的な和解ではなく、宗教と政治、思想の違い、組織の独立性が交差した戦後政治史の重要な出来事です。その成立と破綻を理解することは、2026年の日本政治における宗教団体と政党の関係を考えるうえでも、大きな手掛かりになります。
主な参考資料:法政大学大原社会問題研究所『社会・労働運動大年表』、及川智洋『戦後革新勢力の対立と分裂』(法政大学博士論文、2019年)、公明党公式サイト・党沿革・FAQ、衆議院会議録、日本国憲法、文藝春秋、TBS NEWS DIG、しんぶん赤旗。