2026年11月場所から44代式守伊之助を務めるのは、これまで三役格行司として活動してきた木村晃之助です。
日本相撲協会の公式プロフィールでは、本名を小島俊明、生年月日を1965年4月21日、出身地を岩手県一関市、所属部屋を九重としています。2026年11月5日時点では61歳です。
特に注目したいのは、式守伊之助という名前を襲名するまでに、複数の行司名を経験している点です。公式プロフィールに掲載された行司名の履歴は、次のとおりです。
木村俊明 → 木村晃之助 → 式守伊之助
つまり、木村晃之助と44代式守伊之助は別人ではありません。同一人物が昇進に伴って名跡を改めたものです。
44代への襲名が決まった背景今回の昇進には、39代木村庄之助の定年退職が関係しています。
日本相撲協会は2026年10月1日の理事会で、行司の昇進人事を承認しました。39代木村庄之助が10月30日に定年を迎えることから、当時の43代式守伊之助が40代木村庄之助に昇進し、三役格だった木村晃之助が44代式守伊之助に昇進することになりました。
今回の人事で特徴的なのは、通常の昇進時期よりも1場所早められたことです。裏方の昇進は翌年の初場所からとなるのが一般的ですが、今回は11月の九州場所から新しい体制に移行します。
その理由は、立行司2人がそろった状態を維持するためです。行司の最高位に当たる立行司の空位を避け、庄之助と伊之助の2人が土俵に立てる体制を整えました。
【経歴・昇進経緯】木村晃之助から44代式守伊之助までの歩み

式守伊之助への昇進は、単なる改名ではありません。行司として長年経験を積み、階級を上げてきたことを示す大きな節目です。
小島俊明は1981年4月に日本相撲協会に採用されました。その後、木村俊明、木村晃之助として土俵を務め、十両格、幕内格、三役格へと昇進しています。
44代式守伊之助の経歴年表出典:日本相撲協会の行司プロフィール、昇進発表および歴代行司記録。
約45年の行司人生がたどり着いた最高位1981年の採用から2026年の立行司昇進まで、約45年。長い年月をかけて行司の階級を上がってきたことが分かります。
行司の仕事は、単に力士の勝ち負けを見極めるだけではありません。取組の進行を管理し、力士の仕切りを促し、土俵上の動きを見ながら適切なタイミングで軍配を上げる必要があります。
加えて、行司の昇進には土俵上の判定、姿勢や態度、掛け声、指導力など複数の要素が関係します。長年の経験と技量が求められる職務であり、立行司への昇進は行司人生の大きな到達点です。
【立行司の役割】式守伊之助は土俵で何をしている?
式守伊之助は、大相撲の行司の中でも最高位に位置する立行司です。木村庄之助とともに立行司を構成し、横綱や大関など上位力士の取組を裁く重要な役割を担います。
日本相撲協会の定款や審判規則に示されている行司の職務は、勝負の判定だけに限定されません。力士が土俵に上がってから取組を終えて土俵を下りるまで、進行を主導する立場にあります。
行司の基本的な仕事行司の主な仕事は、次のように整理できます。
- 取組の進行:力士に仕切りを促し、立ち合いを進行させる。
- 勝負の判定:勝ったと判断した力士側に軍配を上げる。
- 勝ち名乗り:勝者に勝ち名乗りを与え、取組の終了を示す。
- 土俵上の安全管理:力士の動きに注意を払い、円滑な競技進行を支える。
- 伝統行事:土俵祭りや土俵入りの誘導などにも携わる。
こうした職務を担う行司は、土俵の上だけでなく、大相撲の伝統や運営を支える存在でもあります。
大相撲の行司階級は全部で8段階行司には、序ノ口格から立行司まで8つの階級があります。力士の番付とは異なる制度ですが、昇進を重ねることで担当する取組や装束にも変化が生まれます。
- 序ノ口行司
- 序二段行司
- 三段目行司
- 幕下行司
- 十枚目行司
- 幕内行司
- 三役行司
- 立行司
最上位の立行司には、木村庄之助と式守伊之助という2つの名跡があります。立行司は定員2人の役職で、庄之助が上位、伊之助が次位です。
【木村庄之助との違い】結びの一番・軍配・房の色を比較
式守伊之助を調べる人が特に疑問に感じやすいのが、木村庄之助との違いです。
両者は同じ立行司ですが、序列と担当する取組が異なります。見分ける際には、軍配の房の色や土俵上の役割に注目すると理解しやすくなります。
木村庄之助と式守伊之助の比較日本相撲協会の公式クイズでも、庄之助の房は総紫、伊之助の房は紫白と説明されています。また、庄之助が結びの一番を裁き、伊之助はその前の二番を担当するという役割分担も示されています。
結び前の二番とは?大相撲の取組は、通常、番付の低い力士から順番に進み、最後に結びの一番を迎えます。
この最後の取組を担当するのが木村庄之助です。一方、式守伊之助は結びの一番に先立つ二番を担当します。
そのため、テレビ中継や会場で行司に注目すると、庄之助が登場する前の終盤の取組で伊之助の姿を見ることができます。これは単なる交代制ではなく、立行司の序列に基づく役割分担です。
軍配の房の色が示す格式行司の軍配に付けられた房は、装飾品であると同時に階級を示す目印です。
立行司の2人には、それぞれ異なる紫色の装飾が認められています。
- 木村庄之助:総紫(紫一色)
- 式守伊之助:紫白(紫と白の組み合わせ)
- 三役行司:朱色
- 幕内行司:紅白
- 十枚目行司:青白
- 幕下以下:黒または青
軍配の房だけでなく、直垂の菊綴や胸元、袖、裾に付く飾りひもにも階級ごとの色が用いられます。つまり、行司の装束は、現在の地位を視覚的に伝える仕組みになっています。
式守伊之助が短刀を差している理由立行司の装束で特に印象的なのが、腰に差された短刀です。
この短刀には、勝負を裁く立行司の重大な責任が象徴されています。日本相撲協会の公式解説では、横綱や大関の勝負を判定する大役において、仮に軍配の差し違えがあれば自ら責任を取るという、切腹の覚悟を示すものと説明されています。
もちろん、これは伝統的な覚悟を象徴する意味合いです。現代の行司に実際の切腹が求められているという意味ではありません。
短刀は、立行司が担う勝負判定の重さと、相撲に受け継がれてきた武家文化的な様式を表すものです。
【歴代式守伊之助一覧】初代から44代目まで続く名跡の歴史
式守伊之助は、2026年の44代目まで受け継がれてきた伝統的な行司名です。
その起源は江戸時代にさかのぼります。日本相撲協会の解説によると、初代式守伊之助は、もともと谷伊之助という名前で力士として入門した人物でした。その後、行司に転じ、安永3年(1774年)には木村庄之助に次ぐ立場を占めるようになります。
式守という行司家の成立には、初代伊勢ノ海五太夫が関係しています。享保14年(1729年)に行司家として式守を名乗ることが認められたことが、その始まりとされています。
初代から8代目までの歴史江戸時代の初期の襲名は、現在のような制度が完全に整う以前の歴史を持っています。主な襲名前の名前を並べると、次のようになります。
- 初代:谷伊之助
- 2代:式守見蔵
- 3代:式守卯之助
- 4代:式守与太夫
- 5代:式守勘太夫
- 6代:式守鬼一郎
- 7代:式守鬼一郎
- 8代:式守与太夫
この時代は、現在のような立行司の序列や名跡の運用が確立していく過渡期でもありました。初代がもともと力士だったという点も、式守伊之助の歴史を知るうえで興味深い事実です。
9代から44代までの襲名前の名前近代以降の9代から44代までについては、襲名前に名乗っていた行司名を整理すると、次のようになります。
9代~20代:式守与太夫、木村庄三郎、木村進、木村誠道、式守与太夫、式守勘太夫、式守与太夫、式守与太夫、木村玉之助、木村玉之助、木村庄三郎、式守鬼一郎。
21代~30代:木村庄九郎、式守勘太夫、木村玉治郎、木村正直、式守錦太夫、木村庄二郎、木村庄太郎、式守錦太夫、木村善之輔、式守勘太夫。
31代~40代:木村容堂、木村庄三郎、木村咸喬、木村光之助、木村朝之助、式守与太夫、木村城之介、式守勘太夫、木村庄三郎、式守錦太夫。
41代~44代:式守勘太夫、木村容堂、木村庄太郎、木村晃之助。
この一覧は、歴代の襲名前の名前を示したものです。同じ名前が複数回登場するのは、行司名が代々受け継がれているためです。
歴代の中でも注目される「ひげの伊之助」歴代の式守伊之助の中で、特に知られているのが19代です。
19代は本名を高橋金太郎といい、木村庄三郎などを経て1951年に式守伊之助を襲名しました。立派なひげを蓄えた姿から「ひげの伊之助」と呼ばれ、大相撲ファンに親しまれた行司です。
小学館の日本人名辞典にも、その経歴が掲載されています。1959年に引退するまで、栃錦や若乃花らが活躍した時代の土俵を支えました。
近年の襲名と昇進の流れ現代の式守伊之助は、木村庄之助へ昇進するための重要な段階として位置付けられています。
- 2019年1月:41代式守伊之助が襲名。
- 2024年9月:42代式守伊之助が襲名。
- 2025年1月:43代式守伊之助が襲名。
- 2026年11月:44代式守伊之助が襲名。
41代、42代、43代はいずれも、その後に木村庄之助へ昇進しています。44代目も、立行司としてのキャリアをスタートさせたことになります。
【プロの結論】式守伊之助の昇進が示す大相撲の伝統と責任
式守伊之助という名跡を理解するうえで、最も大切なのは、単なる有名行司の呼び名ではないという点です。
そこには、江戸時代から続く行司家の歴史、長年にわたる修練、そして土俵上の勝負を裁く責任が凝縮されています。
44代目の昇進で注目すべき3つのポイント1.行司のキャリアは長期的な積み重ねで成り立つ
小島俊明が協会に採用されたのは1981年です。2026年の昇進まで約45年を要しました。行司は力士のように勝ち星や優勝回数だけで評価される職務ではなく、日々の判定や所作、声、進行能力などが問われます。
2.名跡の継承は個人の昇進と伝統の継承を兼ねる
木村晃之助から式守伊之助への改名は、これまでの行司名を捨てるというよりも、次の役割と責任を引き受ける意味を持ちます。44代目という数字は、長い歴史の連続性を示しています。
3.立行司2人体制は土俵の格式を支える
2026年の昇進人事では、39代木村庄之助の定年に合わせて、43代伊之助が40代庄之助へ、木村晃之助が44代伊之助へ昇進しました。1場所前倒しという異例の対応は、立行司の役割を途切れさせないための人事でした。
観戦時に注目したい判断基準式守伊之助をテレビや会場で見る際は、次の点に注目すると大相撲をより深く楽しめます。
- 軍配の房が紫白になっているか。
- 直垂や菊綴などの装束に立行司の格式が表れているか。
- 結び前の二番をどのように進行しているか。
- 力士の仕切りや立ち合いをどのように導いているか。
- 軍配を上げる際の姿勢や勝ち名乗りの所作がどうなっているか。
単に「誰が勝ったか」だけを追うのではなく、行司の動きにも目を向けることで、相撲の伝統的な様式美や技術の奥深さを感じられます。
【式守伊之助に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:2026年現在の式守伊之助は何代目ですか?
A1:2026年11月場所から44代目です。木村晃之助が襲名し、立行司に昇進しました。
Q2:44代式守伊之助の本名は何ですか?
A2:小島俊明です。1965年4月21日生まれで、岩手県一関市出身。九重部屋に所属しています。
Q3:式守伊之助と木村庄之助はどちらが上ですか?
A3:木村庄之助が上位です。庄之助は立行司の首席で結びの一番を担当し、伊之助は次席として結び前の二番を担当します。
Q4:式守伊之助の軍配の房は何色ですか?
A4:紫白です。木村庄之助の総紫と区別され、行司の階級を示す装飾の一つになっています。
Q5:式守伊之助が腰に短刀を差しているのはなぜですか?
A5:勝負を裁く重大な責任に対し、差し違えがあれば自ら責任を取るという覚悟を象徴しています。日本相撲協会も、切腹の覚悟を示す伝統的な意味を説明しています。
Q6:44代式守伊之助は以前、何という名前でしたか?
A6:木村俊明、木村晃之助の順に名乗ってきました。2026年11月場所から44代式守伊之助を襲名しています。
式守伊之助は、大相撲の立行司として木村庄之助に次ぐ地位を担う伝統的な名跡です。
2026年11月場所から44代目を務めるのは、岩手県一関市出身の小島俊明。九重部屋に所属し、木村俊明、木村晃之助を経て、約45年にわたる行司人生の節目として立行司に昇進しました。
木村庄之助との違いは序列と担当する取組にあり、軍配の房は庄之助が総紫、伊之助が紫白です。また、腰の短刀には勝負を裁く責任への覚悟が込められています。
江戸時代から44代にわたり受け継がれてきた式守伊之助の名跡。2026年11月場所では、新しい立行司体制のもと、44代目がどのような所作で土俵を支えるのかにも注目が集まります。
力士の取組だけでなく、軍配の動きや行司の掛け声、伝統的な装束にも目を向けると、大相撲観戦の楽しみはさらに広がります。