2026年現在、テレビ朝日『報道ステーション』のメインキャスターとして活躍する大越健介さん。NHKで長年政治記者やニュースキャスターを務めた実力派ジャーナリストですが、実は家庭では3人の息子を育てた父親でもあります。なかでも注目されるのが、長男の大越遼介さんです。日大三高の左腕エースとして2005年夏の甲子園に出場し、ベスト8まで進出。その後、明治大学硬式野球部、光シーガルズでプレーし、現役引退後はグラフィックデザイナーを経て、現在は日本製鉄山口硬式野球部のスカウト兼アナライザーを務めています。
大越健介さんの息子は何人なのか、長男・遼介さんはどのような野球人生を歩んできたのか。そして、デザインの仕事から再び野球界に関わるようになった経緯とは何だったのでしょうか。妻との出会いや家族構成も含め、2026年の最新情報を交えて整理します。
【家族構成】大越健介の息子は3人!妻との出会いは大学時代だった

大越健介さんには、妻との間に3人の息子がいます。本人がテレビ朝日のトーク番組『徹子の部屋』に出演した際にも、3人の息子について語っています。
2021年11月15日の放送を紹介したスポニチアネックスやテレビ朝日の番組関連情報によると、大越さんは24歳で結婚。息子たちは全員野球経験者で、長男は高校時代に甲子園出場を果たしています。
妻は看護実習生だった女性大越健介さんと妻の出会いは、東京大学在学中にさかのぼります。
当時、大越さんは野球部の投手として活動していましたが、左肩の脱臼を繰り返していました。野球に本格的に打ち込むため、肩の手術を受けることを決意し、整形外科に入院します。
その病院で看護実習生として担当になったのが、後に妻となる女性でした。
退院時にお礼を伝えようと手紙を書いたことが、2人の交流のきっかけになったと大越さん自身が振り返っています。
大学時代の野球への情熱が、人生の伴侶との出会いにもつながったというエピソードです。
妻への感謝を公に語った大越健介『徹子の部屋』では、妻への感謝の気持ちも明かしています。
NHKの政治記者や海外特派員、ニュースキャスターとして長年多忙な生活を送っていた大越さん。仕事で家を空けることが多く、子育てを妻に任せる場面も少なくなかったと振り返っています。
特に子育てが大変だった時期に、妻が家庭を支えてくれたことへの感謝を口にしていました。
大越さんの家族構成を整理すると、次のようになります。
| 家族 | 公表されている情報 |
|---|---|
| 本人 | 大越健介。元NHK記者、テレビ朝日キャスター |
| 妻 | 大学時代に看護実習生として出会った女性 |
| 長男 | 大越遼介。日大三高出身の元高校球児 |
| 次男 | 息子3人のうちの1人。野球経験者 |
| 三男 | 息子3人のうちの1人。野球経験者 |
妻と3人の息子という家族構成です。次男と三男については、長男ほど詳しい職歴や現在の活動が公表されていません。
【甲子園出場】長男・大越遼介は日大三高の左腕エースだった
大越健介さんの息子のなかで、特に野球歴が詳しく知られているのが長男の大越遼介さんです。
遼介さんは日本大学第三高等学校、通称・日大三高の野球部に所属し、左腕投手として活躍しました。
2005年、第87回夏の甲子園に出場遼介さんが高校野球で大きな実績を残したのは、2005年の第87回全国高等学校野球選手権大会です。
日大三高は西東京大会を勝ち抜いて甲子園に出場。遼介さんは左腕エースとしてチームの投手陣を支えました。
明大スポーツ新聞部の過去記事では、高校時代の遼介さんについて、甲子園1回戦で14奪三振を記録したことが紹介されています。
日大三高は甲子園でも勝ち進み、準々決勝まで進出しました。
しかし、準々決勝で山口県代表の宇部商業高校に敗れ、最終成績はベスト8となりました。
この大会は、父・健介さんにとっても特別な出来事だったと考えられます。
大越さん自身も学生時代に野球に打ち込み、甲子園を目指していました。しかし、自身は高校時代に甲子園出場を果たせませんでした。
その夢の舞台に長男が立ち、実際にベスト8まで勝ち進んだのです。
テレビ朝日の『徹子の部屋』関連の記事でも、長男が甲子園に出場した際、大越さんが球場まで応援に駆け付けたことが紹介されています。
早稲田実業の斎藤佑樹とも対戦遼介さんの高校時代を語るうえで興味深いのが、後にプロ野球でも活躍する斎藤佑樹さんとの関係です。
明大スポーツ新聞部の過去記事によると、遼介さんは高校時代、早稲田実業の斎藤佑樹投手と対戦経験がありました。
加えて、投手でありながら打者としても力を発揮し、斎藤投手から本塁打を放ったことも紹介されています。
左腕投手としての実力だけでなく、打撃面でも能力を見せていた選手だったことが分かります。
日大三高での活躍は、遼介さんがその後も野球を続ける大きな土台になりました。
【明治大学・光シーガルズ】大学野球から社会人野球へ進んだ遼介
甲子園ベスト8という実績を残した大越遼介さんは、高校卒業後、明治大学に進学します。
父・健介さんの母校は東京大学ですが、遼介さんが選んだのは明治大学でした。
明治大学硬式野球部で投手として活動明治大学では政治経済学部に在籍し、体育会硬式野球部でプレーしました。
2006年6月9日には、東京六大学野球春季新人戦の東京大学戦で神宮球場のマウンドに立っています。
この試合は、父がかつてプレーした東京大学との対戦でもありました。
明大スポーツ新聞部の記事では、遼介さんが2イニングを無失点に抑えたことが紹介されています。
父親が東京大学野球部の投手として活躍していたことを考えると、親子の野球人生が神宮球場で交差した印象的な出来事です。
また、2009年4月発行の明治大学広報でも、遼介さんの大学野球での歩みが取り上げられています。
当時は大学4年生で、投手リーダーを務めていました。
高校時代には甲子園で活躍した遼介さんですが、大学野球では思うように結果を残せない時期も経験しています。
明治大学の広報記事では、下級生投手の台頭などによって苦しい立場に置かれながらも、最上級生として自分を奮い立たせ、練習に取り組む姿が描かれています。
高校時代の実績だけで大学野球を勝ち抜けるわけではありません。競争の激しい東京六大学野球で、改めて自分の課題と向き合っていたのです。
光シーガルズでは内野手としてプレー大学卒業後、遼介さんは社会人野球の世界へ進みます。
所属したのは山口県を拠点とする光シーガルズです。
高校時代から大学時代までは主に投手として活動していましたが、光シーガルズでは内野手としてプレーしました。
ポジションの変化も、遼介さんの野球人生を振り返るうえで見逃せないポイントです。
高校野球のエース、大学野球の左腕投手という経歴を経て、社会人野球では内野手として競技を続けました。
その後、2012年に現役選手としての野球生活に区切りをつけています。
【経歴年表】大越遼介の甲子園からデザイナー、野球界復帰まで
大越遼介さんの経歴は、単純な野球選手の引退で終わっていません。
野球からデザインの世界へ進み、さらに社会人野球の運営を支える仕事へと活動領域を広げています。
これまでの主な転換点を時系列で整理します。
| 時期 | 所属・出来事 | 主な実績・役割 |
|---|---|---|
| 高校時代 | 日本大学第三高等学校 | 左腕エースとして活躍 |
| 2005年 | 第87回夏の甲子園 | 甲子園ベスト8進出 |
| 2006年 | 明治大学硬式野球部 | 春季新人戦の東大戦で登板 |
| 2009年 | 明治大学4年 | 投手リーダーに就任 |
| 大学卒業後 | 光シーガルズ | 内野手として社会人野球に参加 |
| 2012年 | 現役引退 | 選手生活に区切りをつける |
| 引退後 | デザイン分野へ転身 | グラフィックデザインを学び、デザイナーとして活動 |
| 2018年 | 小金井市の市制施行60周年 | 記念シンボルマークを制作 |
| 2025年 | 日本製鉄山口硬式野球部 | アナライザーに就任 |
| 2026年 | 日本製鉄山口硬式野球部 | スカウト兼アナライザー |
特に注目したいのは、現役引退後にデザインを学び、再び野球界に関わる立場になったことです。
選手としての経験を持ちながら、異なる専門分野にも挑戦してきた経歴は、遼介さんのキャリアを特徴づけています。
【グラフィックデザイナー】小金井市の市制施行60周年シンボルマークを担当
2012年に野球選手としての活動を終えた遼介さんは、その後、デザインの分野へ進みました。
デザイン学校でグラフィックデザインを学び、グラフィックデザイナーとして活動するようになります。
野球とは異なる世界への転身ですが、そこで手がけた仕事の一つが、東京都小金井市の市制施行60周年記念シンボルマークです。
小金井市の公式広報にも名前が掲載2018年1月15日発行の小金井市の市報では、市制施行60周年記念シンボルマークの制作者として、大越遼介さんの名前が紹介されています。
同市の広報によると、遼介さんは当時、市内在住でした。
作品の中心的なモチーフは、小金井市民に親しまれている桜の木です。
また、木の幹には丸い模様を配置し、小金井市の豊かな湧水や川も表現するなど、地域の特徴をデザインに取り入れていました。
このシンボルマークは市民投票を経て決定されたものです。
市制施行60周年という自治体の節目に使われる記念デザインを担当したことは、デザイナーとしての活動を示す具体的な実績です。
野球選手からデザイナーへの転身が意味するもの遼介さんの経歴で興味深いのは、野球選手としての実績を持ちながら、まったく異なる分野で専門性を身につけたことです。
甲子園に出場した選手が、その後も野球だけを仕事にするとは限りません。
競技を引退した後には、新しい知識や技術を学び直し、別の職業に進む道もあります。
遼介さんの場合、グラフィックデザインを学び、自治体の記念事業に携わるという形で、新たなキャリアを築きました。
その後、再び野球に関わる仕事に戻っている点も特徴的です。
【2026年最新】大越遼介の現在は日本製鉄山口のスカウト兼アナライザー
大越遼介さんの現在を知るうえで、最も重要な資料が日本製鉄山口硬式野球部の公式発表です。
2026年1月8日に発表された「2026年の体制について」には、スタッフの一人として大越遼介さんの名前が掲載されています。
肩書きは、スカウト兼アナライザーです。
2025年はアナライザーとして新任日本製鉄山口硬式野球部の2025年2月18日付の公式発表では、大越遼介さんはアナライザーとして新任スタッフに掲載されていました。
そして2026年1月8日の新体制発表では、肩書きがスカウト兼アナライザーになっています。
この変化は見逃せません。
アナライザーは、試合や選手に関する情報を分析する役割を担う立場です。一方、スカウトは選手の発掘や評価に関わります。
つまり遼介さんは、選手としてプレーする立場から、チームを支え、将来の戦力を見極める立場へと活動の幅を広げています。
選手経験がスカウト・分析業務につながる遼介さんは、日大三高で甲子園を経験し、明治大学の硬式野球部で東京六大学野球を経験しました。
さらに社会人野球でもプレーしています。
高校、大学、社会人という異なるカテゴリーを経験してきたことは、野球に関わる仕事をするうえで大きな背景になります。
選手として試合に出る側の視点と、チームを運営する側の視点は同じではありません。
実際に競技を経験した人物が、選手の特徴や試合の状況をどのように捉えるのか。その経験をスカウトや分析の仕事に生かしている点が、現在の遼介さんのキャリアの見どころです。
2026年の所属・肩書きは公式発表で確認できる2026年11月現在、日本製鉄山口硬式野球部の公式発表で確認できる遼介さんの肩書きは、スカウト兼アナライザーです。
一方、グラフィックデザイナーとしての活動を現在も並行しているかどうかなど、仕事全体の詳細までは公式発表に記載されていません。
そのため、2026年現在の職業を紹介する際には、少なくとも日本製鉄山口硬式野球部のスタッフとして活動していることを押さえるのが適切です。
【家族の疑問を整理】大越健介の息子3人に関する噂と事実
大越健介さんの息子について調べると、長男の野球歴やデザイナーとしての仕事に加え、次男・三男の職業、妻の名前、孫の情報なども検索されています。
ただし、3人の息子の情報量には差があります。
息子3人は全員野球経験者テレビ朝日の『徹子の部屋』関連情報では、息子3人が全員野球経験者だったことが紹介されています。
ただし、全員が長男と同じように甲子園に出場したわけではありません。
甲子園出場や明治大学硬式野球部、光シーガルズでの競技歴が詳しく紹介されているのは長男の遼介さんです。
次男と三男については、野球経験があること以上の詳しい経歴が広く公表されているわけではありません。
長男の実績を、そのまま弟たちの経歴として紹介するのは誤りです。
妻の名前や現在の生活について大越健介さんの妻については、大学時代に看護実習生として出会ったことや、24歳で結婚したことが本人のエピソードとして報じられています。
一方、妻の現在の仕事や日常生活など、詳しいプロフィールは広く公表されていません。
著名なキャスターの家族であっても、本人が報道活動をしているわけではありません。家族の情報と本人の仕事上の経歴は分けて考える必要があります。
大越健介自身も野球経験者もう一つ見逃せないのが、父・健介さん自身の野球歴です。
大越さんは東京大学野球部で投手として活躍し、東京六大学野球に出場。さらに日米大学野球の日本代表にも選ばれています。
テレビ朝日の公式プロフィールでも、東大野球部で投手として活躍した経歴が紹介されています。
父親が野球に打ち込んできた経験を持ち、息子たちも野球を経験してきたという点は、大越家の特徴です。
ただし、長男の進路は父親の東京大学とは異なり、明治大学でした。親子で共通する競技への情熱がありながら、それぞれ異なる進路を選んでいることも興味深いところです。
【大越健介の息子】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:大越健介の息子は何人いますか?
A1:大越健介さんには3人の息子がいます。2021年の『徹子の部屋』出演時に、本人が家族について語っており、息子3人は全員野球経験者です。
Q2:大越健介の長男・大越遼介は甲子園に出場しましたか?
A2:出場しています。日大三高の左腕エースとして2005年の第87回全国高等学校野球選手権大会に出場し、チームはベスト8に進出しました。その後、明治大学硬式野球部や光シーガルズでプレーしました。
Q3:大越遼介は2026年現在、何をしていますか?
A3:2026年1月8日に発表された日本製鉄山口硬式野球部の新体制で、スカウト兼アナライザーとして掲載されています。選手としての競技生活を終えた後、デザイン分野を経験し、現在は野球チームを支える立場で活動しています。
大越健介さんには3人の息子がおり、全員が野球を経験しています。
その長男である大越遼介さんは、日大三高の左腕エースとして2005年夏の甲子園に出場。チームをベスト8に導いた後、明治大学硬式野球部、光シーガルズでプレーしました。
2012年に現役を引退してからは、デザイン学校でグラフィックデザインを学び、小金井市の市制施行60周年記念シンボルマークを制作するなど、クリエイティブ分野でも実績を残しています。
そして2026年現在は、日本製鉄山口硬式野球部のスカウト兼アナライザーです。
遼介さんの経歴を理解するうえで重要なのは、単に「甲子園に出場した有名キャスターの息子」という肩書きだけで捉えないことです。
高校野球、大学野球、社会人野球、デザイン、そしてチームの分析や選手発掘へと、複数の分野を経験してきた歩みそのものに価値があります。
また、父・健介さんも東京大学野球部の投手として活躍した人物です。親子で野球に打ち込んできた背景は共通していますが、その後の進路はそれぞれ異なります。
2026年時点で確実に押さえておきたいのは、大越健介さんの息子は3人で、長男・遼介さんは日本製鉄山口のスカウト兼アナライザーとして活動しているということです。
父親の報道キャリアと、長男の野球・デザイン・分析という異なるキャリア。それぞれの道を歩みながら活躍する大越家の歩みは、今後も注目されます。
主な確認資料
- テレビ朝日「報道ステーション」公式プロフィールおよび『徹子の部屋』関連記事。
- スポニチアネックス(2021年11月15日)の結婚・家族に関する報道。
- 明治大学広報(2009年4月1日)、明大スポーツ新聞部の大越遼介選手紹介記事。
- 小金井市の市報(2018年1月15日)。
- 日本製鉄山口硬式野球部「2025年の体制について」「2026年の体制について」。