百合子さまは、昭和天皇の末弟にあたる三笠宮崇仁親王の妃であり、上皇さまの叔母にあたる皇族です。正式なお名前は「崇仁親王妃百合子(たかひとしんのうひ・ゆりこ)」といいます。
1923年6月4日、旧華族の高木正得子爵の次女として誕生されました。幼少期から華族の家庭環境で育ち、女子学習院本科を卒業されています。
宮内庁の三笠宮家に関する公式プロフィールには、次のように記録されています。
- お名前:百合子(ゆりこ)
- 生年月日:1923年6月4日
- お印:桐(きり)
- 父:高木正得
- 配偶者:三笠宮崇仁親王
- 学歴:女子学習院本科卒業
- 主な公職:日本赤十字社名誉副総裁
- 逝去:2024年11月15日
1941年10月22日に崇仁親王と結婚され、三笠宮家の妃として皇室生活を始められました。夫の三笠宮さまは大正天皇の第4皇男子で、昭和天皇の弟にあたります。
百合子さまは皇族としての公務だけでなく、社会福祉や医療、文化活動にも長く携わりました。とりわけ母子の健康と福祉を支える活動、日本赤十字社への貢献は、その生涯を語るうえで欠かせないものです。
これらの経歴は宮内庁の公式プロフィールや日本赤十字社の追悼資料でも確認できます。
【崇仁親王妃百合子さまの生涯】1923年の誕生から101歳の逝去まで

百合子さまの生涯には、日本の近代史と皇室の変化が重なっています。18歳で皇族となり、戦中・戦後の激動期を経て、昭和から平成、令和まで3つの時代を歩まれました。
主な出来事を時系列で整理すると、次のようになります。
| 年月 | 主な出来事 | 背景・意味 |
|---|---|---|
| 1923年6月4日 | 高木家の次女として誕生 | 大正時代に生まれる |
| 1941年3月 | 結婚の勅許 | 崇仁親王との婚姻が認められる |
| 1941年10月3日 | 納采の儀 | 婚約に関する儀式 |
| 1941年10月22日 | 崇仁親王と結婚 | 三笠宮家の妃となる |
| 1944~1954年 | 3男2女をもうける | 5人の子どもを育てる |
| 1948年 | 母子愛育会の総裁に就任 | 母子保健・福祉に長年尽力 |
| 1953年 | 日本赤十字社名誉副総裁に就任 | 赤十字活動への関与が本格化 |
| 2016年10月27日 | 三笠宮さま逝去 | 長年連れ添った夫との別れ |
| 2023年6月4日 | 100歳を迎える | 百寿を迎えられる |
| 2024年3月 | 聖路加国際病院に入院 | 脳梗塞の症状や誤嚥性肺炎で療養 |
| 2024年11月15日 | 101歳で逝去 | 死因は老衰 |
| 2024年11月26日 | 斂葬の儀 | 豊島岡墓地で本葬 |
| 2025年12月17日 | 天皇皇后両陛下が墓所で拝礼 | 一周年祭の儀後のご拝礼 |
この年表は、宮内庁の皇室プロフィール、日本赤十字社の記録、当時の報道を基に整理したものです。
5人の子どもと三笠宮家の家族関係百合子さまと三笠宮さまの間には、3男2女、合わせて5人のお子さまがいらっしゃいました。
宮内庁の公式記録に掲載されている家族構成は以下のとおりです。
- 長女:甯子(やすこ)さま
- 長男:寬仁(ともひと)親王
- 次男:宜仁(よしひと)親王(桂宮)
- 次女:容子(まさこ)さま
- 三男:憲仁(のりひと)親王(高円宮)
長男の寬仁親王は2012年、次男の桂宮は2014年、三男の高円宮は2002年に、それぞれ亡くなられています。
百合子さまは夫だけでなく、3人の息子にも先立たれるという家族の別れを経験されました。その一方、長女や次女、孫たちとのつながりは続き、孫の彬子さまは後年、百合子さまの葬儀で喪主を務めることになります。
家族の生年月日や続柄、結婚・逝去の記録は宮内庁の三笠宮家の公式資料に掲載されています。
【社会貢献】母子福祉と日本赤十字社に捧げた長い年月
百合子さまの生涯を理解するうえで、皇族としての公務と並んで注目したいのが、社会福祉への取り組みです。
母子の健康と福祉を支えた活動百合子さまは1948年から恩賜財団母子愛育会の総裁を務められました。衆議院議長の追悼謹話では、母子の保健と福祉の向上に長年尽力されたことが紹介されています。
この役割は、単に団体の名誉職に就くということではありません。母子保健という、妊産婦や子どもの健康に直結する分野を長期にわたって支援する立場でした。
1960年代から2000年代にかけて、日本の生活環境や医療・保健制度は大きく変化しました。百合子さまの活動期間は、こうした社会の変化と重なっています。母子の健康を守る活動を長く支えられたことは、皇族の社会的役割を考えるうえでも重要な実績です。
日本赤十字社の名誉副総裁として71年間活動もう一つの大きな柱が、日本赤十字社での活動です。
日本赤十字社の追悼資料によると、百合子さまは1953年に名誉副総裁に推戴され、逝去されるまで71年間にわたり赤十字の活動を支えられました。
その活動は、全国赤十字大会や地方赤十字大会への出席にとどまりません。
- 災害救護演習の視察
- 献血運動推進全国大会への臨席
- 赤十字病院への訪問
- 裁縫奉仕活動
- 募金活動などのチャリティー活動
こうした取り組みを通じて、医療や福祉の現場に関心を寄せ続けられました。
特筆すべきなのは、71年という活動期間です。1953年から2024年まで、昭和・平成・令和の3時代を通して赤十字の活動を支えたことになります。
また、三笠宮さまは戦後、古代オリエント史の研究に取り組まれました。百合子さまは夫の研究活動や史跡調査、資料収集なども長年支えられたと、nippon.comの人物紹介記事は伝えています。
皇族として表に立つ公務だけではなく、家族を支える役割と社会福祉への取り組みを並行して続けられた点に、百合子さまの歩みの特徴があります。
【逝去の理由と最期】2024年11月15日、聖路加国際病院で何があったのか
三笠宮妃百合子さまは、2024年11月15日午前6時32分、東京都中央区の聖路加国際病院で亡くなられました。101歳でした。
宮内庁が公表した死因は老衰です。皇室最高齢だった百合子さまの逝去は、国内外で大きく報じられました。
2024年3月から続いた入院生活百合子さまは2024年3月、軽い脳梗塞の症状と誤嚥性肺炎のため、聖路加国際病院に入院されました。
入院後は一般病室で療養され、ベッドから車椅子への移動や筋肉のマッサージなど、リハビリにも取り組まれていました。
しかし、同年11月7日の検査で、心臓や腎臓を含む全身の機能が低下していることが判明しました。
宮内庁は11月8日、容体の悪化を公表。その後も全身の機能低下が進み、意識も低下していたことが報道されています。
亡くなられた当日の状況2024年11月15日早朝、百合子さまの血圧は徐々に低下し、午前6時32分に息を引き取られました。
宮内庁の医務主管による説明では、死因は老衰でした。報道によれば、亡くなられる直前には、声をかけても目を開ける時間が少なくなるなど、全身の機能低下が進んでいたとされています。
同日午前、入院先の聖路加国際病院からご遺体が赤坂御用地の三笠宮邸に戻られました。天皇皇后両陛下や皇族方が弔問され、皇室全体に深い悲しみが広がりました。
なお、逝去理由については区別して理解する必要があります。入院のきっかけとなったのは脳梗塞の症状や誤嚥性肺炎でしたが、宮内庁が発表した死因は老衰です。両者は同じ意味ではありません。
101歳という年齢が持つ意味百合子さまが亡くなられた当時、101歳という年齢は皇室でも特別な記録でした。
2016年に100歳で亡くなられた三笠宮さまを上回り、明治以降の皇族の中で最も長寿となりました。報道では「皇室最高齢」と紹介されています。
1923年に生まれ、2024年まで生きられた百合子さまは、大正・昭和・平成・令和の4つの時代を経験されました。皇室の歴史だけでなく、日本社会の大きな変化を見つめてこられた生涯でもありました。
【彬子さまが喪主を務めた葬儀】豊島岡墓地での斂葬の儀
百合子さまの本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は、2024年11月26日、東京都文京区の豊島岡墓地で営まれました。
喪主を務められたのは、孫の彬子さまです。
なぜ彬子さまが喪主を務めたのか彬子さまは百合子さまの長男・寬仁親王の第1女子です。宮内庁の公式プロフィールによると、1981年12月20日生まれで、学習院大学文学部史学科を卒業後、英国オックスフォード大学で学ばれました。
2024年11月の葬儀では、百合子さまの孫として喪主を務められました。2025年には三笠宮家の当主となられています。
長年三笠宮家を支えてこられた百合子さまの逝去後、彬子さまが家を受け継ぐ立場になったことは、三笠宮家の歴史における大きな節目です。
豊島岡墓地で行われた葬儀2024年11月26日の斂葬の儀には、皇族方や政府関係者、各国大使など約480人が参列しました。
天皇皇后両陛下や上皇ご夫妻は、皇室の慣例により本葬には参列されませんでした。一方、両陛下はその前日の25日に三笠宮邸を訪れ、安置された棺に最後のお別れをされています。
葬儀では、彬子さまをはじめ皇族方が拝礼されました。その後、百合子さまのご遺体は火葬され、豊島岡墓地で墓所の儀が行われました。
百合子さまは、2016年に亡くなられた夫の三笠宮さまと同じ墓所に納められました。
また、墓所の近くには、先に亡くなられた3人の息子である寬仁親王、桂宮、高円宮の墓所もあります。家族の歴史を感じさせる場所となっています。
【2025年12月17日の皇室】天皇皇后両陛下が豊島岡墓地で拝礼
百合子さまの逝去後も、皇室による追悼は続いています。その中でも注目されたのが、2025年12月17日に天皇皇后両陛下が豊島岡墓地を訪問されたことです。
宮内庁の「天皇ご一家のご日程」には、同日の両陛下の行幸啓について、次のように記録されています。
故崇仁親王妃百合子喪儀 一周年祭の儀後のご拝礼(豊島岡墓地)
これは宮内庁が公表した公式日程上の記載です。両陛下が2025年12月17日に豊島岡墓地を訪れ、百合子さまの墓所で拝礼されたことが確認できます。
2025年11月の一周年祭と12月の拝礼ここで押さえておきたいのは、2025年12月17日が逝去からちょうど1年の日ではないという点です。
百合子さまが亡くなられたのは2024年11月15日です。2025年11月15日に墓所一周年祭の儀が行われ、その後の12月17日に天皇皇后両陛下が改めて豊島岡墓地を訪問されました。
つまり、12月17日の訪問は、一周年祭の儀を終えた後の拝礼として位置付けられます。
テレビ朝日系の報道によると、両陛下は同日午後2時ごろ豊島岡墓地に到着されました。墓所を訪問されるのは同年3月以来、約9か月ぶりだったと伝えられています。
さらに拝礼後には、三笠宮家の当主となった彬子さまにお声を掛けられたことも報じられました。百合子さまの追悼と、三笠宮家を引き継ぐ彬子さまへの心遣いが重なる場面でした。
天皇皇后両陛下の拝礼が示すもの皇族の葬儀や追悼には、それぞれの儀式に応じた慣例があります。2024年11月の斂葬の儀では両陛下は参列されず、前日に三笠宮邸で弔問されました。
その後も、宮内庁の公表資料には百合子さまをめぐる皇室の動きが記録されています。2025年12月17日の訪問は、逝去後も両陛下が百合子さまを大切に思われていることを示す出来事として受け止められます。
また、彬子さまが三笠宮家を引き継いだ時期と重なることにも意味があります。百合子さまの生涯を振り返ることは、単に一人の皇族の歴史をたどるだけではなく、三笠宮家が次の世代へと受け継がれていく過程を理解することにもつながります。
【三笠宮百合子さまに関するよくある質問(FAQ)】
Q1:三笠宮百合子さまは現在どうされていますか?
A1:百合子さまは2024年11月15日に101歳で逝去されています。2026年現在、ご存命ではありません。最後は東京都中央区の聖路加国際病院で療養されていました。
Q2:三笠宮妃百合子さまの死因は何ですか?
A2:宮内庁が発表した死因は老衰です。2024年3月から脳梗塞の症状や誤嚥性肺炎のため入院され、晩年には全身の機能低下が進んでいました。
Q3:百合子さまは何歳で亡くなられましたか?
A3:101歳です。1923年6月4日に誕生され、2024年11月15日に逝去されました。逝去当時の皇室最高齢であり、明治以降の皇族で最も長寿だったとされています。
Q4:百合子さまの夫である三笠宮さまはいつ亡くなりましたか?
A4:三笠宮崇仁親王は2016年10月27日に逝去されました。百合子さまは夫の逝去後も皇族としての活動を続け、2024年に101歳で亡くなられました。
Q5:百合子さまの葬儀で喪主を務めたのは誰ですか?
A5:孫の彬子さまです。百合子さまの長男である寬仁親王の第1女子にあたります。2024年11月26日に豊島岡墓地で営まれた斂葬の儀で喪主を務められました。
Q6:2025年12月17日に天皇皇后両陛下は何をされたのですか?
A6:東京都文京区の豊島岡墓地を訪れ、百合子さまの墓所で拝礼されました。宮内庁の公式日程には、一周年祭の儀後のご拝礼として記録されています。
Q7:百合子さまはどのような社会貢献をされましたか?
A7:恩賜財団母子愛育会の総裁として母子保健・福祉に長年携わり、日本赤十字社の名誉副総裁としても71年間活動されました。災害救護演習の視察や赤十字病院への訪問など、幅広い社会貢献を続けられました。
三笠宮百合子さまは、1923年6月4日に高木家の次女として誕生し、1941年に三笠宮崇仁親王と結婚されました。その後、3男2女を育てながら、母子福祉や日本赤十字社の活動に長年取り組まれました。
2024年11月15日、聖路加国際病院で老衰のため101歳で逝去され、皇室最高齢としての生涯を閉じられました。11月26日の斂葬の儀では、孫の彬子さまが喪主を務め、夫の三笠宮さまと同じ豊島岡墓地に埋葬されました。
そして2025年12月17日には、天皇皇后両陛下が同墓地を訪問し、百合子さまの墓所で拝礼されました。宮内庁の公式記録に残るこの出来事は、逝去後も続く皇室の追悼を伝えています。
百合子さまの生涯を振り返る際に大切なのは、101歳という長寿だけに注目しないことです。三笠宮さまを支えた家族としての歩み、母子福祉と赤十字を通じた社会貢献、そして次世代の彬子さまへと受け継がれる三笠宮家の歴史。その3つの側面を合わせて見ることで、百合子さまが皇室と社会に残された足跡がより鮮明になります。
2026年現在も、百合子さまの功績は宮内庁や日本赤十字社などの記録を通じてたどることができます。昭和から令和までを生きた一人の皇族の生涯は、皇室の歴史を知るうえでも重要な記憶として残されています。