皇籍離脱後の甯子さんは、皇族としての公務から離れただけでなく、社会との接点を持ち続けてきました。
その歩みを代表するのが、日本赤十字社との関わり、学習院女子部の同窓会「常磐会」での活動、そして1998年の長野オリンピックです。
日本赤十字社副総裁という肩書の真相甯子さんについて調べると、「日本赤十字社副総裁」という肩書が紹介されていることがあります。
ただし、ここには母・百合子妃との肩書の混同に注意が必要です。
日本赤十字社の2024年の広報資料では、百合子妃が日本赤十字社の名誉副総裁を長年務め、赤十字活動を支えてきたことが紹介されています。同じ資料では、甯子さんについて、近衞忠煇名誉社長の夫人という関係が説明されています。
加えて、2026年4月1日現在の日本赤十字社公式組織概要に記載されている名誉副総裁は、秋篠宮皇嗣妃殿下、常陸宮殿下・同妃華子殿下、寬仁親王妃信子殿下、高円宮妃久子殿下です。甯子さんの名前は掲載されていません。
したがって、甯子さん自身を2026年現在の日本赤十字社副総裁と紹介するのは正確ではありません。母の百合子妃の役職と、夫の忠煇氏の赤十字での経歴を分けて理解する必要があります。
夫・近衞忠煇氏の日本赤十字社での功績甯子さんの社会活動を語るうえで、夫の近衞忠煇氏の経歴も欠かせません。
忠煇氏は1964年12月に日本赤十字社へ入社。その後、ジュネーブにある国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)でも勤務しました。
主な経歴は次のとおりです。
- 1964年:日本赤十字社に入社
- 1972年:国際赤十字・赤新月社連盟に勤務
- 1981年:同連盟の災害対策部長に就任
- 1991年:日本赤十字社副社長に就任
- 2005年:日本赤十字社社長に就任
- 2009年:国際赤十字・赤新月社連盟会長に就任
- 2019年:日本赤十字社名誉社長に就任
国内の災害救護だけでなく、国際的な人道支援の分野でも活動してきた人物です。
甯子さん自身も、夫の海外勤務に伴ってジュネーブで暮らした経験があると、講談社の人物紹介資料に記されています。
皇族時代から培ってきた国際的な環境や人とのつながりは、結婚後の生活にも関係していたと考えられます。
常磐会会長を20年間務め、2021年に退任甯子さんの経歴で、本人の活動として特に確認しやすいのが常磐会です。
常磐会は、学習院女子中等科・高等科の卒業生による同窓会組織です。1895年に前身となる組織が設立され、卒業生の交流や母校への支援、奨学金、チャリティー活動などを行っています。
甯子さんは長年、同会の会長を務めました。
2021年5月25日の総会で竹田恭子さんが第8代会長に選任され、甯子さんは会長を退任しています。
注目したいのは、退任時に本人が寄せた挨拶です。そこでは、会長を務めた期間について「いつの間にか20年経ちました」と振り返り、講演会、バスツアー、チャリティーコンサート、バザーなどを通じて会員と交流してきたことへの感謝を記しています。
退任後は名誉会長となりました。
加えて、2026年度の常磐会公式役員名簿にも、近衞甯子さんは名誉会長として掲載されています。つまり、会長職は退いても、母校の同窓会とのつながりは現在まで続いているのです。
1998年の長野オリンピックでは選手村名誉村長甯子さんの社会的な活動として、もう一つ知られているのが1998年の長野冬季オリンピックです。
この大会で、甯子さんは選手村の名誉村長を務めました。
1998年1月24日に行われた選手村の開村式では、名誉村長として開村を宣言。選手や大会関係者を迎える場に立ち会いました。
当時の共同通信の記事を収録した記録によると、選手村は大会期間中に約3000人の選手・役員が生活する施設として運営されました。
この役割は、単なる名誉職という肩書だけでなく、国際的なスポーツ大会を迎える地域と選手たちをつなぐ象徴的な役割でもありました。
【近衞甯子さんの現在】2026年の年齢・夫との別れ・今後の活動

2026年11月5日現在、甯子さんは82歳です。
現在の状況を考えるうえで、2026年に起きた大きな出来事が夫・忠煇氏の逝去です。
2026年5月、夫の近衞忠煇氏が87歳で逝去日本赤十字社は2026年5月25日、近衞忠煇氏の訃報を公式発表しました。
発表によると、忠煇氏は同月23日午後9時45分、解離性大動脈瘤のため日本赤十字社医療センターで亡くなりました。87歳でした。
葬儀・告別式は6月1日に築地本願寺第二伝道会館で執り行われ、喪主は妻の近衞甯子さんが務めました。
この発表で重要なのは、忠煇氏が亡くなる直前まで、日本赤十字社の元社長・名誉社長として公式に紹介されていたことです。
1966年の結婚から約60年。皇族時代から民間人としての生活へ移り、夫の国際的な仕事を支えてきた甯子さんにとって、大きな人生の節目となりました。
現在の公的な活動はどうなっている?2026年現在、公式資料から確認できる甯子さんの役職として、特に明確なのは常磐会の名誉会長です。
一方、現在の生活拠点や日常の過ごし方、夫の逝去後の具体的な活動計画などについて、詳細な公式発表はありません。
元皇族であっても、結婚によって皇籍を離れた後は民間人です。現在の活動を知る際には、過去の役職と現職を区別することが大切です。
少なくとも、2026年度の常磐会名誉会長という立場は公式名簿から確認できます。
また、夫が長年関わった日本赤十字社については、現在の社長は清家篤氏です。忠煇氏が社長だった時代と現在の組織体制は異なっています。
【近衞甯子さんに関するよくある質問(FAQ)】
Q1:近衞甯子さんは2026年現在何歳ですか?
A1:1944年4月26日生まれのため、2026年11月5日現在で82歳です。
Q2:近衞甯子さんの夫は誰ですか?
A2:日本赤十字社の元社長・名誉社長だった近衞忠煇氏です。1966年12月18日に結婚しました。忠煇氏は2026年5月23日に87歳で逝去しています。
Q3:近衞甯子さんと千容子さんは姉妹ですか?
A3:はい。千容子さんは甯子さんの妹です。1983年に茶道裏千家の千宗室氏と結婚し、皇籍を離れました。
Q4:近衞甯子さんはなぜ皇籍を離れたのですか?
A4:1966年当時の皇室典範第12条により、皇族以外の男性と結婚した女性皇族は皇族の身分を離れることになっていたためです。
Q5:近衞甯子さんに子供はいますか?
A5:講談社のデジタル版日本人名大辞典+Plusでは、1男の母と紹介されています。子どもの詳細なプロフィールや私生活については、広く公表されていません。
Q6:近衞甯子さんは常磐会の会長を続けていますか?
A6:いいえ。2021年5月25日に会長を退任し、名誉会長に就任しました。2026年度の公式役員名簿でも名誉会長として掲載されています。
Q7:近衞甯子さんは日本赤十字社の副総裁ですか?
A7:2026年現在の日本赤十字社公式組織概要では、甯子さんは名誉副総裁として掲載されていません。母の百合子妃が同社の名誉副総裁を務めていたことや、夫が長年同社の社長を務めたことと混同しないよう注意が必要です。
近衞甯子さんは、三笠宮崇仁親王と百合子妃の長女として生まれ、1966年の結婚を機に皇籍を離れた人物です。
その後の歩みを振り返ると、単に「元皇族」という肩書だけでは説明できない経歴が見えてきます。
- 皇族時代は三笠宮家の長女として成長した。
- 学習院で学び、大学在学中に近衞忠煇氏と結婚した。
- 結婚によって当時の皇室典範に基づき皇籍を離れた。
- 日本赤十字社に関わる夫の国際的な活動を身近で支えた。
- 長野オリンピック選手村の名誉村長を務めた。
- 常磐会の会長を約20年間務め、現在は名誉会長である。
- 2026年には夫の忠煇氏と死別した。
第一に、皇族時代と結婚後の経歴を分けて考えること。
甯子さんは皇族として生まれましたが、1966年の結婚後は民間人です。現在の活動を語る場合も、皇族時代の身位と結婚後の立場を混同してはいけません。
第二に、夫の経歴と本人の役職を混同しないこと。
近衞忠煇氏は日本赤十字社の社長・名誉社長を務めましたが、その役職がそのまま妻の甯子さんの役職になるわけではありません。母・百合子妃の名誉副総裁という肩書についても同様です。
第三に、2026年の変化を歴史的な視点から捉えること。
甯子さんが結婚した1966年と、女性皇族の結婚後の身分に関する制度が改正された2026年では、皇室を取り巻く制度が大きく異なります。その変化を知ることで、彼女の人生の転換点が持つ歴史的な意味も理解できます。
近衞甯子さんの歩みは、皇室と旧華族のつながりだけでなく、戦後日本における女性皇族の結婚、社会参加、そして民間人としての人生を考えるうえでも興味深い事例です。
2026年現在も常磐会の名誉会長として名前が残る甯子さん。その経歴は、皇族時代から結婚後まで、一貫して人とのつながりを大切にしてきた人生を映し出しています。