1970年7月、北海道の日高山脈で発生した「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件」。福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の学生5人が登山中にヒグマの襲撃を受け、3人が命を落とした。生還したのは、わずか2人だった。
それから56年が経過した2026年現在、生き残った2人はどのような人生を歩んでいるのだろうか。現在の職業や生活、事件後の証言、トラウマについて関心を持つ人は多い。しかし、公開されている資料から確認できるのは、事故直後の行動や記録が中心であり、2人の現在の生活については詳しい情報が公表されていない。
一方、事件の経過については、1970年8月に福岡大学ワンダーフォーゲル同好会が作成した『北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書』をはじめ、当時の手記や山岳関係者の証言が残されている。事故の真相と後世に広まった情報を照らし合わせながら、生存者2人のその後を整理する。
【1】福岡大ワンゲル部事件の生き残り2人はその後どうなった?2026年現在の状況

最初に、検索する人が最も知りたい生存者2人の現在について整理する。
生き残った2人は無事に下山して救助された1970年7月25日から27日にかけて発生したヒグマ襲撃事件では、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の5人のうち3人が犠牲になった。
生き残った2人は、1970年7月27日にヒグマから逃れて山を下り、山麓の工事現場を経由して中札内の駐在所に到着している。
当時の遭難報告書には、下山後に警察で事情聴取を受けたことや、大学・家族への連絡が行われたことも記録されている。
つまり、2人は単に生き残っただけではない。仲間3人を失った直後、自分たちが経験した出来事を救助関係者や警察に伝える役割も担った。
その後の職業や生活は公表されているのかここが、事件の生存者について調べる際に最も情報が限られる部分だ。
公開されている遭難報告書には、事故当時の行動、証言、手記などが収録されている。しかし、事故後の就職先、勤務先、結婚、家族構成、居住地といった個人的な情報は、継続的に公表されているわけではない。
また、2026年11月現在、2人それぞれの現在の消息や生活状況を確認できる、信頼性の高い近年の本人インタビューや公式発表は確認できない。
そのため、2人が現在も存命であるかどうかについても、公開情報だけで断定することはできない。
ネット上では年齢を推測した記事や、その後の人生を紹介する記事も見られるが、本人の近況を直接確認した情報とは区別する必要がある。
2016年のNHKインタビュー説は本当?ネット上の一部記事では、生存者2人が2016年にNHKの取材を受けたという情報が紹介されている。
ただし、NHKの番組名、放送日、公式番組情報、映像アーカイブなどを確認できる一次資料は見当たらない。
そのため、2016年に2人がそろってNHKのインタビューに出演したという話は、現段階では確定情報として扱えない。
仮に過去にテレビ取材を受けていたとしても、それだけで現在の生活や健康状態まで分かるわけではない。
事件から半世紀以上が経過した今、当事者が公の場で発言するかどうかは本人の意思に委ねられるべき問題でもある。
【2】1970年7月25日から27日まで何が起きた?ヒグマ襲撃事件の全経緯
福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件を理解するには、最初の遭遇から最後の襲撃までを時系列で追う必要がある。
舞台となったのは、北海道の日高山脈にあるカムイエクウチカウシ山。通称カムエクと呼ばれる山である。
5人が挑んだ日高山脈の長期縦走1970年7月、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の5人は、北海道の日高山脈を縦走する夏季合宿に出発した。
7月12日に博多を出発し、14日に芽室岳から入山。北から南へ山々を縦走し、最終的にはペテガリ岳を目指す計画だった。
途中の七ツ沼カールに到着した7月23日には、残りの食料や日程を考慮し、カムイエクウチカウシ山を今回の合宿の最終地点とする方針に変更している。
この時点では、通常の山岳縦走として計画が進んでいた。
7月25日:最初のヒグマとの遭遇7月25日午後4時30分ごろ、5人が九ノ沢カール付近でテントを設営していたところ、ヒグマが姿を現した。
最初、学生たちはテントの中からクマの様子を観察していた。
しかし、ヒグマはテントの外に置いてあったキスリング(大型の登山用ザック)に近づき、中に入っていた食料をあさり始めた。
5人はクマの隙を見て荷物をテント内に移動させ、たき火を起こし、ラジオの音量を上げ、食器を鳴らすなどして追い払おうとした。
ヒグマはいったん姿を消した。
ところが、午後9時ごろに再び現れ、テントに穴を開けた。
この夜、学生たちは2人ずつ交代で見張りをすることになった。
7月26日:再び襲撃され、5人が分断される翌26日午前4時30分ごろ、ヒグマが再び現れた。
今度はテントに侵入しようとするような動きを見せ、5人はテントを離れて逃げることになった。
リーダーは、ハンターを呼ぶために2人を下山させた。
2人は途中で北海学園大学の登山グループと遭遇し、救援要請を依頼する。その後、残った仲間と合流するために引き返した。
午後1時ごろ、5人は再び合流している。
しかし、午後5時10分ごろ、ヒグマが再び姿を現した。
5人は鳥取大学の登山グループがいる八ノ沢カール方面へ避難しようとしたが、移動中にヒグマに追われ、散り散りになってしまう。
この襲撃で最初の犠牲者が出た。
7月27日:最後の襲撃と2人の生還翌27日朝、岩場に避難していた3人は、濃い霧の中で行動を再開した。
ところが、下山を始めて約15分後、目の前にヒグマが現れた。
3人はその場に伏せたが、ヒグマが再び接近。1人が立ち上がって逃げ、クマもその後を追っていった。
残った2人は別方向へ逃れ、八ノ沢を下りた。
午後1時ごろには五ノ沢の工事現場に到着。その後、警察に事件を報告した。
捜索活動によって行方不明だった3人の遺体が発見され、事件は3人死亡、2人生還という結果になった。
事件の時系列まとめ| 日時 | 出来事 | 要点 |
|---|---|---|
| 1970年7月12日 | 博多を出発 | 5人で北海道へ |
| 7月14日 | 芽室岳から入山 | 日高山脈の縦走開始 |
| 7月23日 | 計画変更 | カムエクで合宿を終了する方針 |
| 7月25日16時30分ごろ | 最初のヒグマ出現 | キスリングの食料をあさられる |
| 7月25日21時ごろ | 2度目の出現 | テントに穴を開けられる |
| 7月26日早朝 | 3度目の襲撃 | 5人がテントから避難 |
| 7月26日午後 | 4度目の襲撃 | 逃走中に仲間が分断される |
| 7月27日朝 | 最後の襲撃 | 3人のうち2人が下山に成功 |
| 7月27日午後 | 駐在所に到着 | 生存者2人が事件を報告 |
| 7月29日以降 | 捜索活動 | 行方不明者の遺体を発見 |
この時系列は、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の遭難報告書と日高山脈山岳センターの事故解説を基礎に整理したものだ。
【3】生存者の証言と興梠メモに残された事件の記録
この事件が現在まで語り継がれている理由の一つは、事故当時の記録が残されていることだ。
特に重要なのが、1970年8月に作成された『北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書』である。
生存者2人が残した事故当時の報告この報告書には、事故の経過だけでなく、現場で行動していたメンバーの記録も収録されている。
公開された報告書の再録には「高橋の報告」「佐藤の報告」という項目があり、当時の状況が具体的に記されている。
そこには、ヒグマの襲撃を受けた後、仲間と合流できなくなったことや、岩場に避難して夜を過ごしたこと、翌朝に再びクマと遭遇したことなどが記録されている。
特に印象的なのは、下山中にも周囲を警戒せざるを得なかったという記述だ。
「遠くに見える切り株、大きな岩が、何度も熊に見え」
これは佐藤の報告に記された内容の一部である。
山中で実際に襲撃を受けた後、視界に入るものまでヒグマに見えてしまうほど緊張した状況だったことが伝わる。
ただし、これらは事故直後の記録であり、数十年後の心理状態を直接証明するものではない。
興梠メモに残された「早く博多へ帰りたい」もう一つ、事件を語るうえで欠かせない資料が、犠牲となった興梠盛男さんの手帳に残された記録だ。
興梠さんは当時、福岡大学工学部の学生だった。
襲撃によって仲間とはぐれた後、鳥取大学の登山グループが使用していたテントに避難した。しかし、そこには誰もいなかった。
興梠さんはテント内で救助を待つことになり、周囲の状況やヒグマの動きを手帳に記録した。
その手記には、次の言葉が残されている。
「ああ、早く博多に帰りたい。」
また、別の記述には次の言葉もある。
「すべて、不安で恐ろしい。」
これらは生存者の発言ではなく、亡くなった興梠さんの手帳に残された記録である。
生存者の証言と犠牲者の手記を混同してはいけない。
興梠メモは、襲撃の恐ろしさだけでなく、山中で孤立した学生がどのような状況に置かれていたのかを伝える貴重な資料になっている。
遭難報告書は現在も確認できる国立国会図書館サーチには、1970年8月刊行の『北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書』が登録されている。
著者は福岡大学ワンダーフォーゲル同好会、発行者は福岡大学体育会ワンダーフォーゲル同好会。全38ページの資料である。
また、登山専門メディアのYAMA HACKは、当時の報告書を公開している。
同メディアによれば、資料の公開には当時のメンバーやOB会の了承があったという。
事件を調べる際には、後年の再現記事だけでなく、この遭難報告書を基準にすることが大切だ。
【4】生存者2人の名前や年齢は?ネット上の情報を検証
生存者の名前や年齢についても、検索結果にはさまざまな情報が掲載されている。
しかし、事故当時の報告書とネット上の記事では、人物の扱いに違いがある。
生存者の実名は公式資料で確認できるのか一部の個人ブログやまとめ記事では、生存者2人の実名を挙げている。
一方、YAMA HACKが公開している遭難報告書には、重要な注意書きがある。
それは、死亡した3人だけでなく、生存メンバーや関係者についても仮名で記載しているというものだ。
つまり、公開された報告書の再録にある人物表記を、そのまま実名と受け取ることはできない。
また、ネット上に掲載されている氏名についても、原資料や公式発表との照合が必要になる。
生存者の年齢は計算できる?事故当時の報告書には、死亡したメンバーの生年月日や学部、学年などが記載されている。
一方、生存者2人については、現在の年齢を確実に計算できるだけの本人確認済みの生年月日が、広く公開されているわけではない。
そのため、2026年現在の年齢を具体的に断定することは難しい。
事件後に後遺症やトラウマは残ったのかこの点も多くの読者が気にしている部分だろう。
ヒグマに追われ、仲間3人を失った経験が精神的に大きな負担となった可能性は考えられる。
しかし、生存者本人による継続的な医療・心理状態の公表や、専門家による個別の診断情報は確認できない。
したがって、PTSDを発症した、長年眠れなかった、登山をやめたなどの具体的な話を2人の確定した経歴として扱うことはできない。
事件を生き延びたことと、その後どのような心理的影響を受けたかは別の問題である。
【5】2026年の生存者告白報道と福岡大の生存者を混同してはいけない
2026年10月28日、スポーツ・ノンフィクション媒体のNumber Webに、福岡大ワンゲル部ヒグマ事件に関連する新しい証言記事が掲載された。
記事の見出しには、事件の生存者である87歳の男性が抱えるトラウマという趣旨の表現が使われている。
そのため、福岡大学の生き残り2人のどちらかが、現在になって初めて告白したのではないかと考える人もいるかもしれない。
しかし、ここには重要な違いがある。
取材対象は福岡大学の5人とは別の登山グループNumber Webの記事で取り上げられた男性は、事件当時、北海学園大学の関係者と行動していた別グループの参加者である。
記事では、男性が当時37歳で、北海学園の学生とともに日高山脈に入っていた経緯が説明されている。
つまり、福岡大学ワンダーフォーゲル同好会の5人のうちの生存者2人ではない。
同じヒグマと遭遇した別グループの体験者なのである。
「今でも思い出すと眠れなくなる」という証言文春オンラインが2023年に再掲載した記事では、別グループの体験者が事件について語った言葉が紹介されている。
その男性は、過去の体験を長く封印してきたと説明し、思い出すと夜も眠れなくなるという趣旨の証言をしている。
この告白は、同じ山域で起きたヒグマ襲撃が、遭遇した人々に長く影響を残し得ることを示すものだ。
ただし、この証言を福岡大学の生存者2人の発言として引用するのは誤りである。
なぜ別グループの証言も重要なのかこの事件では、福岡大学以外にも、北海学園大学、鳥取大学、帯広畜産大学など複数の登山グループが同じ山域に入っていた。
北海学園大学のグループも福岡大学のメンバーが襲われる前にヒグマに遭遇している。
そのため、事件を検証する際には、福岡大学の5人だけでなく、周囲にいた登山者や救助関係者の記録も重要になる。
ただし、別グループの証言は、福岡大学の生存者本人の近況を示す資料ではない。
この区別が、2026年現在の情報を正しく読み解くうえで欠かせない。
【6】福岡大学の公式記録と事件の真相・後世の脚色の違い
この事件は、テレビ番組、書籍、ウェブ記事などで何度も取り上げられてきた。
その過程で、当時の記録に基づく情報と、後年の再構成や推測が混在するようになった。
福岡大学ワンダーフォーゲル部の公式見解福岡大学ワンダーフォーゲル部の公式サイトには、部の歴史を紹介するページがある。
同ページによれば、同好会は1964年に創設され、大学公認のスポーツ系サークルとして活動してきた。
1970年のヒグマ事故についても触れられており、テレビ番組やウェブサイトで紹介される際に、事実に基づかない脚色が含まれていることへの懸念が示されている。
また、同部は当時の事故に真摯に向き合い、犠牲を伴った経験を今後の活動に生かしていると説明している。
この姿勢は、事件を単なる恐怖の物語として消費するのではなく、山岳活動の安全を考えるための記録として残そうとするものだ。
事実と推測を分けて考える事件をめぐっては、いくつかの情報が繰り返し紹介されている。
| 情報・論点 | 確認できる内容 | 判断 |
|---|---|---|
| 5人中3人が死亡 | 遭難報告書や山岳センターの記録にある | 事実 |
| 生存者は2人 | 2人が下山して駐在所に到着 | 事実 |
| 興梠メモの存在 | 手帳の記録が公開されている | 事実 |
| 生存者の現在の職業 | 近年の本人確認済み情報が見当たらない | 不明 |
| 2016年のNHK取材 | 個人ブログなどに記述がある | 一次資料で未確認 |
| 生存者2人の現在の健康状態 | 公開された確かな情報がない | 不明 |
| 2026年の87歳男性の告白 | 別グループの参加者についての取材 | 福岡大生存者とは別人 |
この事件のヒグマが、なぜ学生たちを執拗に追跡したのかという疑問も残っている。
食料への執着、過去の人間との接触、個体特有の行動など、さまざまな観点から考察されてきた。
しかし、当該個体の行動の原因を現在から完全に特定することはできない。
YAMA HACKも、クマが特別に異常な個体だった可能性について、現在では誰にも分からないという趣旨の説明をしている。
事件の恐ろしさを強調するために、ヒグマの行動に人間のような意図や復讐心を与える必要はない。
実際に残された記録だけでも、事故の重大さは十分に伝わる。
【7】【プロの結論】生存者のその後を調べるときに大切な3つの判断基準
福岡大ワンゲル部ヒグマ事件について調べるとき、特に重要なのは、情報の出所を見極めることだ。
① 1970年の一次資料を優先する事故の発生経緯については、1970年8月刊行の『北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書』が重要な基礎資料になる。
当時の行動、時間経過、救援要請、捜索活動などが具体的に記録されているからだ。
後年の解説記事を読む場合も、報告書との整合性を確認することで、事実と再構成を区別しやすくなる。
② 生存者の証言と犠牲者の手記を区別する事件では、複数のメモや報告が残されている。
しかし、すべてが生存者によって書かれたものではない。
生還したメンバーの報告と、興梠さんのように命を落としたメンバーの手帳は、それぞれ別の証言資料である。
発言者や記録者を正しく把握することが、事件を理解するうえで欠かせない。
③ 現在の生活は本人の公開情報で判断する生存者2人の現在を知りたいという関心は自然なものだ。
しかし、事件後の人生について本人が公表していない情報を、年齢や過去の肩書だけから推測することはできない。
特に、健康状態、家族、居住地などは個人的な情報であり、本人が公表していないのであれば、無理に明らかにする必要はない。
生存者の人生を知ることと、プライバシーを尊重することは両立する。
【福岡大ワンゲル部生き残りのその後】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:福岡大ワンゲル部ヒグマ事件の生き残りは何人ですか?
A1:5人の登山パーティーのうち2人です。1970年7月27日にヒグマから逃れて下山し、警察に事件を報告しています。残る3人はヒグマの襲撃によって命を落としました。
Q2:生き残った2人は2026年現在どうしていますか?
A2:現在の職業、居住地、健康状態などを確認できる信頼性の高い公開情報は見当たりません。ネット上には年齢やその後の人生についての情報もありますが、本人の近況として確定できるものではありません。
Q3:生存者2人は2016年にNHKの取材を受けたのですか?
A3:一部の個人ブログではそのように紹介されています。ただし、NHKの公式番組情報や放送記録など、裏付けとなる一次資料は確認できていません。
Q4:興梠メモを書いたのは誰ですか?
A4:福岡大学ワンダーフォーゲル同好会のメンバーだった興梠盛男さんです。襲撃から逃れて鳥取大学のテントに避難した後、周囲の状況や恐怖を手帳に書き残しました。
Q5:事件が起きた山はどこですか?
A5:北海道の日高山脈にあるカムイエクウチカウシ山です。最初のヒグマとの遭遇は九ノ沢カール付近で起こり、その後、八ノ沢カール方面でも襲撃が発生しました。
Q6:2026年に報道された87歳の生存者は福岡大学のメンバーですか?
A6:いいえ。2026年10月28日のNumber Webの記事で紹介された男性は、福岡大学の5人とは別の登山グループに参加していた人物です。同じ山域でヒグマに遭遇した体験者ですが、福岡大学の生存者2人とは区別する必要があります。
福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件は、1970年7月25日から27日にかけて北海道の日高山脈で発生した、3人の学生が犠牲となった重大な山岳遭難事故だった。
5人のうち生還したのは2人。彼らは下山して警察に事件を報告し、事故直後の記録にも、そのときの行動が残されている。
一方、2026年現在の2人の生活や健康状態、職業などについては、確かな近況を示す公開情報が限られている。2016年のNHK取材説やネット上の実名情報も、公式資料による裏付けが十分ではない。
事件を理解するためには、1970年の遭難報告書、興梠さんの手帳、福岡大学ワンダーフォーゲル部の公式サイト、日高山脈山岳センターの事故記録を基準にすることが重要だ。
そして忘れてはならないのは、3人の犠牲者と、長い年月を経ても記録に残る当事者たちの経験である。
福岡大学ワンダーフォーゲル部が公式サイトで事故への反省と安全への取り組みを伝え続けていることにも、その意味がある。
この事件は、単なる過去の怪談や恐怖の物語ではない。山と自然に向き合う人々が、これからも学び続けるべき実際の遭難事故なのである。
主な確認資料
- 福岡大学ワンダーフォーゲル部公式サイト「部の足跡」
- 国立国会図書館サーチ『北海道日高山脈夏季合宿遭難報告書』(1970年8月)
- YAMA HACK「まとめ・福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件報告書」
- 日高山脈山岳センター「教訓としての山岳事故」
- 文春オンライン・Number Webの事件検証記事