吉岡稔真(よしおか・としまさ)さんは、1990年代の日本競輪界を代表する元競輪選手です。1970年6月15日生まれ、福岡県北九州市小倉南区出身。現役時代は圧倒的なスピードを武器に活躍し、「F1先行」の異名を持つトップレーサーとして競輪ファンの記憶に刻まれています。
2026年11月現在は、現役選手を引退して競輪解説者・評論家として活動。SPEEDチャンネルの専属コメンテーターを務めるほか、後進の育成にも携わっています。2024年には脳梗塞による入院療養が報じられましたが、その後はリハビリを経て競輪界への復帰を進めてきました。
【プロフィール】吉岡稔真とはどんな人物?生年月日・出身地・座右の銘を紹介
吉岡稔真さんは、福岡県北九州市から競輪界の頂点へと駆け上がった元トップレーサーです。1990年にデビューしてから17年間にわたって第一線で活躍し、数々のビッグタイトルを獲得しました。
引退後も競輪界との関係は深く、現在は解説者や評論家としてレースの魅力を伝える立場にあります。まずは、人物像を理解するための基本情報を整理します。
吉岡稔真の基本プロフィール- 名前:吉岡稔真(よしおか としまさ)
- 生年月日:1970年6月15日
- 年齢:56歳(2026年11月現在)
- 出身地:福岡県北九州市小倉南区
- 血液型:A型
- 競輪選手登録:1990年3月5日
- 期別:65期
- 登録番号:012250
- 現役引退日:2007年1月12日
- 引退後の主な活動:競輪解説者・評論家・後進の育成
- 座右の銘:不動心
生年月日や登録番号、引退日などはKEIRIN.JPの公式選手プロフィールと引退発表資料で確認できます。また、北九州市の広報誌でも小倉南区出身であることが紹介されています。
競輪専門チャンネルのSPEEDチャンネル公式プロフィールにも、吉岡さんは福岡県出身の専属コメンテーターとして掲載されています。現役時代の肩書だけでなく、現在の仕事についても公式情報から確認できる人物です。
座右の銘は「不動心」吉岡さんの座右の銘として知られているのが「不動心」です。
不動心とは、周囲の状況や一時的な感情に振り回されず、自分の信念や判断を保つ心のあり方を指します。
競輪は、選手同士の駆け引きや展開の変化が激しい競技です。序盤の位置取り、仕掛けるタイミング、他選手との連係など、わずかな判断の違いが結果を左右します。
そのような競技で長年トップを維持した吉岡さんの座右の銘として、「不動心」は印象的な言葉です。
実際、小倉競輪場で開催される「吉岡稔真カップ」の公式特設サイトでも、この座右の銘が紹介されています。地元競輪場が大会名にその名前を冠していることからも、競輪界における功績の大きさがうかがえます。
【経歴・年表】吉岡稔真の競輪選手時代から引退まで
吉岡稔真さんの競輪人生を語るうえで、1992年は特に重要な年です。デビューからわずか数年で日本選手権競輪、競輪祭、KEIRINグランプリを制覇し、全国的なスター選手へと成長しました。
その後もGⅠタイトルを重ね、1994年にはS級18連勝という記録を打ち立てています。2006年には最後のGⅠタイトルを獲得し、翌2007年に現役を退きました。
吉岡稔真の主な経歴一覧| 時期 | 主な出来事 | 実績・意味 |
|---|---|---|
| 1970年6月15日 | 福岡県北九州市小倉南区で誕生 | 競輪界を代表する選手の原点 |
| 1990年3月 | 競輪選手登録 | 65期・福岡所属 |
| 1990年4月7日 | 小倉競輪場でデビュー | プロ競輪選手としての第一歩 |
| 1992年 | 日本選手権・競輪祭・KEIRINグランプリ優勝 | 年間獲得賞金1億9002万円を記録 |
| 1994年 | S級18連勝を達成 | 当時のS級連勝記録を樹立 |
| 1995年 | KEIRINグランプリ優勝 | 2度目のグランプリ制覇 |
| 1996〜1999年 | 日本選手権・高松宮記念杯・全日本選抜などで優勝 | 長期にわたりトップ戦線で活躍 |
| 2003年 | 共同通信社杯優勝 | ビッグレースで再び頂点に立つ |
| 2006年 | 日本選手権競輪優勝 | 現役最後のGⅠタイトル |
| 2007年1月12日 | 現役引退 | 17年間の競輪選手生活に幕 |
| 2008年2月 | 北九州市民スポーツ大賞を受賞 | 地元への貢献と競技実績が評価される |
この年表はKEIRIN.JPの選手記録、引退時の公式発表、北九州市の広報資料をもとに整理したものです。
1992年に達成した歴史的な快挙吉岡さんの名前を全国に知らしめたのが1992年の活躍です。
この年、吉岡さんは日本選手権競輪、競輪祭、KEIRINグランプリという大きなタイトルを獲得しました。特にデビューから間もない時期に競輪界の最高峰で結果を残したことは、当時の競輪界に大きなインパクトを与えました。
北九州市の広報誌によると、1992年の年間獲得賞金は1億9002万円。当時の史上最高賞金額を塗り替える数字でした。
地元の小倉競輪場で育った選手が、全国の大舞台で結果を残す。その活躍によって吉岡さんは一躍、競輪界を象徴する存在になりました。
競輪界の記録に残るS級18連勝1994年には、吉岡さんがS級18連勝を達成しました。
特に注目されたのが、伊東温泉競輪場で見せた後方からの豪快な捲りです。1994年3月7日の開催では、7番手という厳しい位置から勝利をつかみ、17連勝目を達成しました。この走りは「地獄の7番手捲り」として語り継がれています。
その後も連勝を伸ばし、S級18連勝という記録を樹立。28年間破られなかった記録でしたが、2022年8月に脇本雄太選手が19連勝を達成して更新しました。
記録そのものは更新されても、吉岡さんが長期間にわたってS級の頂点に君臨していた事実は変わりません。特に9車立ての競走で達成した18連勝は、当時の競輪史に残る大記録です。
【競輪選手時代】F1先行と呼ばれた吉岡稔真の強さとは
吉岡稔真さんを説明するときに欠かせない言葉が「F1先行」です。
これは当時の自動車レース、フォーミュラ1(F1)の圧倒的なスピード感になぞらえた呼び名です。競輪のF1という開催グレードを意味する言葉ではありません。
吉岡さんは、強烈な加速力と高いトップスピードを武器に、レースの主導権を握る走りでファンを魅了しました。
競輪のスピード化を印象づけた走り競輪では、単純に自転車を速く走らせるだけでは勝てません。風を受ける位置、ラインの構成、他選手の動き、仕掛けるタイミングなどを総合的に判断する必要があります。
その中で吉岡さんの強みとなったのが、長い距離を高い速度で走り切る能力と、後方から一気に前へ出る捲りの力でした。
2025年に公開された元トップ選手・鈴木誠さんの競輪コラムでも、吉岡さんは競輪のスピード化を先駆けた選手として紹介されています。トップスピードを持続させる走りは、当時の選手たちにも大きな影響を与えました。
現役時代の吉岡さんは、単に勝ち数を積み上げるだけの選手ではありません。観客がその走りを見たいと思い、レースそのものに注目が集まるスター性を持っていました。
神山雄一郎とのライバル関係1990年代の競輪界を振り返るとき、吉岡稔真さんと神山雄一郎さんの存在は外せません。
両者は東西を代表するトップレーサーとして活躍し、競輪界の一時代を築きました。吉岡さんが西の代表的な自力型選手として注目された一方、神山さんも東を代表する強豪として数々のタイトルを獲得しています。
特に1995年のKEIRINグランプリでは、両者が最後まで優勝を争いました。吉岡さんはこのレースを制して2度目のグランプリ優勝を達成しています。
この時代は、選手個人の脚力だけでなく、地域ごとのラインや選手同士の関係性も競輪の大きな見どころでした。吉岡さんと神山さんの対決は、競輪ファンにとって象徴的なカードだったのです。
競輪界での実績を数字で確認KEIRIN.JPの公式通算成績によると、吉岡さんの主な記録は次のとおりです。
- 通算出走回数:1,279回
- 通算1着回数:586回
- 通算優勝回数:106回
- GⅠ優勝:11回
- KEIRINグランプリ優勝:2回
- 通算勝率:45.8%
- 2連対率:56.4%
- 3連対率:64.5%
特に注目したいのは、通算1着586回という数字です。1,279回の出走に対して、約45.8%で1着を獲得しています。
しかも、これは一般的な競走だけでなく、GⅠやグランプリなど強豪が集まる舞台での成績も含む記録です。勝率とタイトル数の両方から、吉岡さんが長期間にわたってトップレベルを維持したことが分かります。
【引退後】吉岡稔真は競輪解説者・評論家として何をしている?
吉岡稔真さんは2007年1月12日に現役を引退しました。しかし、競輪との関わりをそこで終わらせたわけではありません。
引退後は競輪解説者や評論家として活動し、現役時代に培った経験を生かしてレースの見どころや選手の動きを伝える仕事に携わっています。
引退を決断した理由2006年12月30日、吉岡さんはKEIRINグランプリ06を終えた後、現役引退を表明しました。
KEIRIN.JPに掲載された引退会見によると、引退を考え始めたのは前年のオールスター競輪終了後だったといいます。
練習中の落車による負傷や、身体的な負担が積み重なり、4日間を戦い抜く体力を維持することが難しくなっていたことが背景にありました。
一方で、ファンへの感謝を胸に、もう一度特別競輪のタイトルを狙いたいという思いも持っていました。そして2006年3月の日本選手権競輪で優勝を果たし、最後までトップ選手として結果を残しました。
「選手としてやり残したことはありません。」
これは引退会見で語られた言葉です。17年間の選手生活を振り返り、悔いのない形で競技人生に区切りをつけたことが伝わります。
SPEEDチャンネルの専属コメンテーター引退後の吉岡さんを知るうえで重要なのが、SPEEDチャンネルでの活動です。
同チャンネルの公式出演者ページでは、吉岡さんは専属コメンテーターとして紹介されています。出演番組には「チェック&チェック」が掲載されています。
現役時代に実際のレースを走り、勝つ側の立場から競輪を理解していることは、解説者として大きな強みです。
レース映像を見ながら選手の動きを読み解く際にも、単なる結果の説明ではなく、仕掛けの意図や競走中の判断を理解するための視点が生きてきます。
また、競輪スポーツ紙のスポニチでも評論家として紹介されており、レースに関するコラムなどを通じて競輪ファンに情報を届けています。
後進の育成と「不動会」の活動吉岡さんの引退後の活動を語るうえで、後進の育成も見逃せません。
吉岡さんは「不動会」という練習グループを主宰し、若手や中堅選手の育成に関わっています。自身の競技経験を伝えることで、福岡を中心とする競輪選手の成長を支えています。
2026年の第20回吉岡稔真カップの公式レース展望でも、不動会に所属する選手たちが紹介されました。
- 園田匠:福岡87期。不動会を支える中心的な選手。
- 小川勇介:福岡90期。吉岡さんの指導を受けながら長くS級で活躍。
- 岩谷拓磨:福岡115期。先行・捲りを武器に活躍する自力型選手。
- 阿部英斗:福岡125期。若手の注目選手として成長を続ける。
2026年8月の吉岡稔真カップでは、不動会の阿部英斗選手、岩谷拓磨選手、小川勇介選手の3人が決勝に進出しました。師匠の名前を冠した大会で弟子たちが活躍したことは、吉岡さんの現在の活動を象徴する出来事です。
競輪選手として自らタイトルを獲得する立場から、後進を育てて競輪界を支える立場へ。引退後も競輪界で存在感を保ち続ける理由の一つが、この指導者としての活動にあります。
【2026年最新】吉岡稔真の現在は?脳梗塞の療養と復帰後の活動
吉岡稔真さんの現在を調べる人にとって、大きな関心事となっているのが2024年の病気の報道です。
2024年2月15日、日刊スポーツは、SPEEDチャンネルの発表を受けて吉岡さんが脳梗塞を発症し、入院療養に入ったと報じました。このニュースは競輪ファンや関係者にも大きな心配をもたらしました。
2024年2月に脳梗塞を発症報道によると、吉岡さんは2024年2月に脳梗塞を発症し、当分の間、入院して療養することになりました。
これに伴ってスポーツ紙のコラムも休載が続き、関係者や選手の間でも体調を心配する声があったことが、2026年1月のスポニチ記者コラムで振り返られています。
その後、吉岡さんは2024年7月に退院。地元の小倉でリハビリを続ける生活に移りました。
2025年11月にコラム復帰、年末には平塚へ遠征回復に向けた取り組みが続く中、2025年11月には競輪祭の時期からスポニチのコラムが復活しました。
さらに2025年末のKEIRINグランプリシリーズでは、弟子の阿部英斗選手を応援するために平塚競輪場を訪問。退院後、初めて新幹線に乗って小倉以外の競輪場へ遠征したことが、2026年1月8日付のスポニチ記者コラムで紹介されています。
長期間の療養を経て、地元以外の競輪場にも足を運べるようになったことは、活動範囲が広がっていることを示す動きでした。
2026年1月には本人の前向きな思いも紹介2026年1月8日付のスポニチ記者コラムでは、KEIRINグランプリ2025を吉岡さんと一緒に観戦した記者が、本人の回復ぶりを伝えています。
同記事では、吉岡さんが2026年の活動について次のような希望を語ったことも紹介されました。
「今年は多くの競輪場に足を運びたい」
心配してくれた人たちに直接お礼を伝えたいという気持ちも語られています。
この言葉からは、競輪界とのつながりを大切にしながら、少しずつ活動の場を広げようとする姿勢が伝わります。
2026年4月には伊東競輪場で元気な姿2026年4月19日付の日刊ゲンダイ競輪WEBの記事では、伊東記念競輪の会場で行われたトークイベントに吉岡さんが登場したことが報じられました。
記事では、病気から回復した吉岡さんが元気な姿を見せたことにも触れています。
このイベントでは、1994年に伊東競輪場で達成したS級18連勝の話題も取り上げられました。現役時代の記録が、30年以上経過した現在も競輪ファンの記憶に残っていることが分かります。
2026年8月には第20回吉岡稔真カップを開催2026年8月28日から30日にかけて、小倉競輪場では第20回吉岡稔真カップ争奪戦×CTC杯が開催されました。
この大会は吉岡さんの功績を称える冠開催であり、2026年で20回目を迎えています。
大会の公式レース展望では、吉岡さんが立ち上げた不動会の選手たちが中心的な存在として紹介されました。8月29日には不動会の選手3人が決勝進出を決めたことも日刊スポーツが報じています。
2026年11月5日時点で確認できる吉岡さんの現在を整理すると、次のようになります。
- 現役競輪選手としては2007年に引退済み。
- SPEEDチャンネルの公式出演者一覧では専属コメンテーターとして掲載。
- 競輪専門メディアで評論家としての活動を継続。
- 脳梗塞の療養後、競輪場への訪問やイベント出演など活動範囲を広げている。
- 不動会を通じた後進の育成にも関わっている。
したがって、2026年現在の吉岡さんは、競輪界から離れた元選手ではなく、解説・評論・育成という複数の立場から競輪を支えている人物です。
【誤解を整理】吉岡稔真の現在を調べるときに知っておきたいポイント
吉岡稔真さんについて検索すると、現役時代のプロフィールや昔の成績、近年の出演情報などが混在しています。そのため、情報の時期を整理して理解することが大切です。
現在も現役の競輪選手なのか?吉岡さんは現在、現役選手ではありません。
KEIRIN.JPの公式プロフィールには2007年1月12日の引退が明記されています。公式データベースに選手プロフィールや通算成績が残っているのは、過去の競走記録を保存しているためです。
プロフィールにS級1班という表示があっても、それは現役時代の登録情報です。現在もS級で出走しているという意味ではありません。
「F1先行」は競輪の開催グレードなのか?F1先行は競輪の開催グレードを指す言葉ではありません。
吉岡さんの走りの特徴を、当時人気だった自動車レースのF1になぞらえて表現した異名です。高速で力強い走りを象徴する呼び名として理解すると分かりやすいでしょう。
S級18連勝は現在も破られていないのか?吉岡さんのS級18連勝は、2022年8月23日に脇本雄太選手が19連勝を達成したことで更新されました。
したがって、2026年現在のS級連勝記録保持者は吉岡さんではありません。ただし、18連勝を28年間維持した歴史的な記録と、その競走内容は競輪史に残っています。
家族や私生活について公表されているのか?吉岡さんの競輪選手時代の実績や解説者としての活動に比べると、家族構成などの私生活に関する情報は限られています。
競輪関係者としての活動や弟子との関係は報道されていますが、それらを家族関係と混同しないことが大切です。公表されていない結婚歴や家族構成を、確定情報として扱うことはできません。
人物情報を調べる際には、競輪公式情報、所属メディアの出演者情報、本人に関する報道を区別して読むと、古い情報や誤解を避けやすくなります。
【よくある質問】吉岡稔真の現在・経歴に関するFAQ
Q1:吉岡稔真さんは2026年現在何歳ですか?
A1:1970年6月15日生まれのため、2026年11月現在は56歳です。
Q2:吉岡稔真さんは現在何をしていますか?
A2:現役引退後は競輪解説者・評論家として活動しています。SPEEDチャンネルの専属コメンテーターとして公式サイトに掲載されており、不動会を通じた後進の育成にも携わっています。
Q3:吉岡稔真さんの現役時代の主な実績は何ですか?
A3:KEIRINグランプリ2度優勝、GⅠ11度優勝、通算586勝です。1992年には日本選手権、競輪祭、KEIRINグランプリを制覇し、年間獲得賞金1億9002万円を記録しました。
Q4:吉岡稔真さんはなぜ引退したのですか?
A4:落車による負傷や身体的な負担が積み重なり、4日間の競走を戦い抜く体力を維持することが難しくなったためです。2006年12月30日に引退を表明し、2007年1月12日に正式に引退しました。
Q5:吉岡稔真さんの座右の銘は何ですか?
A5:「不動心」です。小倉競輪場の吉岡稔真カップ公式特設サイトでも紹介されている言葉です。
Q6:吉岡稔真さんは脳梗塞から復帰していますか?
A6:2024年2月に脳梗塞を発症して入院療養し、同年7月に退院しました。その後は小倉でリハビリを続け、2025年11月にはスポニチのコラムが復活。2026年には競輪場でのイベント出演も報じられています。
Q7:吉岡稔真カップは2026年も開催されましたか?
A7:はい。2026年8月28日から30日まで、小倉競輪場で第20回吉岡稔真カップ争奪戦×CTC杯が開催されました。吉岡さんの功績を称える大会として継続されています。
吉岡稔真さんは、1970年6月15日生まれ、福岡県北九州市小倉南区出身の元競輪選手です。
1990年にデビューし、1992年には日本選手権競輪、競輪祭、KEIRINグランプリを制覇。その後も数々のタイトルを獲得し、KEIRINグランプリ2度優勝、GⅠ11度優勝、通算586勝という輝かしい実績を残しました。
「F1先行」と呼ばれたスピード感あふれる走りや、1994年のS級18連勝は、現在も競輪史を振り返るうえで欠かせない記録です。
2007年の引退後は競輪解説者・評論家として活動し、SPEEDチャンネルへの出演や不動会を通じた後進の育成にも力を注いできました。
2024年の脳梗塞発症と療養は大きな転機となりましたが、2025年から2026年にかけてコラムや競輪場への訪問、イベント出演など活動の広がりが報じられています。
2026年現在の吉岡稔真さんを理解するうえで大切なのは、現役時代のタイトル数だけを見るのではなく、引退後も競輪界に貢献し続けている点です。
座右の銘である「不動心」を掲げ、競技者から解説者、そして指導者へと役割を変えながら競輪と関わり続ける吉岡さん。その歩みは、競輪界を代表するレジェンドの一つの生き方を示しています。