シンガーソングライター・玉置浩二の現在の妻は、タレントの青田典子です。2人は2010年7月16日に結婚し、2026年11月現在、結婚から16年を迎えています。青田は元C.C.ガールズのメンバーとして知られ、タレントや女優としても活動してきました。
一方、玉置浩二には青田典子と結婚する以前にも複数の結婚歴があります。最初の妻は同郷の一般女性、2人目は女優の薬師丸ひろ子、3人目はキーボード奏者の安藤さと子です。また、2009年には石原真理との復縁・婚姻届提出が報じられたため、結婚回数の数え方に混乱が生じることもあります。ここでは、結婚と離婚の時系列、出会いの経緯、軽井沢での生活、そして2026年現在の夫婦関係を整理します。
【2026年最新】玉置浩二の嫁は青田典子!現在も夫婦関係は続いている
玉置浩二の現在の妻は、タレントの青田典子です。2010年7月16日、玉置の故郷である北海道旭川市で婚姻届を提出しました。
結婚当時、玉置は51歳、青田は42歳。安全地帯のボーカリストとして音楽活動を続けていた玉置と、元C.C.ガールズのメンバーとして知名度を得ていた青田の結婚は、芸能界でも大きな話題になりました。
2026年11月現在、2人の離婚や別居を裏付ける公表情報はなく、夫婦としての関係が続いていることが確認できます。
2026年も夫婦の近況が伝えられている2026年3月には、青田が自身のInstagramで夫の玉置や俳優の佐藤浩市との写真を公開したことが日刊スポーツで報じられました。NHKの『玉置浩二ショー』に関連する投稿で、夫婦の近況をうかがわせる内容でした。
加えて、2026年10月14日にはテレビ朝日系の報道で、青田が前日の10月13日に玉置との夫婦ショットを公開したことが紹介されています。青田の59歳の誕生日を祝う写真で、玉置と一緒にバースデーケーキを手にする姿が掲載されました。
このように、2026年も夫婦そろった写真が公開され、メディアでも夫婦として紹介されています。ただし、SNSに公開される写真だけで日常生活のすべてが分かるわけではありません。現在の生活拠点や家庭内の詳しい事情については、公表された情報と区別して考える必要があります。
【結婚歴一覧】玉置浩二の歴代妻3人と現在の妻を時系列で整理
玉置浩二の結婚歴を理解するうえで大切なのは、結婚相手と交際相手を混同しないことです。
これまでに正式な結婚相手として確認できる女性は4人です。青田典子以前の3人は、一般女性、薬師丸ひろ子、安藤さと子。2009年に関係が報じられた石原真理は、婚姻届が受理されなかったと報道されており、別の扱いになります。
| 時期 | 相手 | 結婚・離婚の経緯 |
|---|---|---|
| 1983年5月 | 同郷の一般女性 | 最初の結婚。1986年4月に離婚。 |
| 1991年1月 | 薬師丸ひろ子 | ハワイで挙式。1998年6月に離婚。 |
| 1995年ごろ | 安藤さと子 | 1995年のツアーで出会い、1999年12月に結婚。2007年12月に離婚。 |
| 2009年 | 石原真理 | 婚姻届提出が報じられたが、受理されなかったと報道。 |
| 2010年7月16日 | 青田典子 | 北海道旭川市で婚姻届を提出。2026年現在も夫婦。 |
この一覧から分かるように、玉置は1983年から2010年までの間に、結婚や離婚、復縁などを経験しています。
特に注意したいのは、石原真理との関係です。2010年の結婚報道では、過去の事実婚を含めて「5度目」と紹介したメディアもありました。しかし、法律上の婚姻と報道上の結婚回数は必ずしも一致しません。
そのため、青田典子は正式な結婚相手としては4人目と整理するのが分かりやすいでしょう。
【薬師丸ひろ子との結婚・離婚】1991年の再婚から1998年の別れまで
玉置浩二の歴代妻の中でも、特に大きな注目を集めたのが女優の薬師丸ひろ子です。
薬師丸は映画『野性の証明』『セーラー服と機関銃』『Wの悲劇』などで知られる女優・歌手です。玉置との関係は、音楽を通じて始まりました。
出会いのきっかけは楽曲「胸の振り子」2人の接点として知られているのが、玉置が薬師丸に楽曲を提供したことです。音楽を通じて関係を深め、1991年1月7日にはハワイ・マウイ島で挙式しました。
人気歌手と人気女優の結婚は当時大きな話題となり、玉置にとっては最初の離婚後の再婚でした。
結婚後、薬師丸は一時的に芸能活動を控え、家庭生活に専念した時期もありました。玉置の音楽活動を支える姿も報じられています。
1998年6月5日に離婚を発表約7年半の結婚生活を経て、2人は1998年6月5日に離婚を発表しました。発表の場となったのは薬師丸の誕生日を祝うパーティーです。
当時の報道によると、玉置は長い話し合いを経て、それぞれの生き方を選ぶことになったという趣旨を説明しました。薬師丸も離婚を認め、今後の人生に向けて新たなスタートを切る姿勢を示しています。
では、具体的な離婚理由は何だったのでしょうか。
夫婦間の詳しい事情について、双方が詳細な説明を公表したわけではありません。仕事や生活環境、家族との関係などを原因として取り上げる記事もありますが、それらを離婚の確定した理由として扱うことはできません。
少なくとも、公に伝えられた説明の中心は、長い話し合いの末に別々の生き方を選んだというものでした。
薬師丸との離婚後、玉置は軽井沢へ生活の拠点を移します。この転換期は、後に結婚する安藤さと子との関係が始まる時期とも重なっていきます。
【安藤さと子との結婚】正義の味方ツアーでの出会いと軽井沢移住
玉置浩二の3人目の妻は、歌手・キーボード奏者の安藤さと子です。安藤は玉置の音楽活動に参加していたミュージシャンで、2人の関係は仕事を通じて始まりました。
1995年の正義の味方ツアーで出会う2人の出会いとして報じられているのが、1995年の玉置のコンサートツアーです。
安藤はキーボード奏者としてツアーに参加していました。このツアーは、アルバム『LOVE SONG BLUE』に関連する「正義の味方(ヒーロー)ツアー」として知られています。
玉置浩二の公式ディスコグラフィーにも、1995年のライブを収録したアルバム『T』が掲載されています。日刊スポーツの2007年の離婚報道でも、安藤が1995年のツアーにキーボード奏者として参加したことが出会いのきっかけとして紹介されました。
音楽という共通の仕事を通じて関係を深めた2人は、1999年12月に結婚しました。
1998年の軽井沢移住と新しい生活玉置浩二の人生における大きな転換点が、1998年の軽井沢移住です。
同年2月2日、玉置はウッドストック軽井沢レコーディングスタジオを訪問しました。そこで環境を気に入り、軽井沢町へ生活の拠点を移したとされています。
文春オンラインの人物・音楽活動に関する記事では、東京での生活に疲れたことが移住の背景として紹介されています。自然に囲まれた環境で暮らし始めた当初は、鳥の声を聞きながら目覚める生活に充実感を感じていたといいます。
その後、玉置は軽井沢で制作活動を続け、マンションを借りた後に家を建てたことも知られています。
1998年6月には薬師丸ひろ子と離婚し、1999年12月には安藤さと子と結婚。仕事と生活の両面で新しい環境へ移行していきました。
なお、玉置は2005年に東京へ活動拠点を戻しています。そのため、現在も軽井沢だけを生活の中心にしていると決めつけることはできません。
2007年、安藤さと子との離婚を発表安藤との結婚生活は約8年間続きましたが、2007年12月1日、2人は離婚届を提出しました。
当時、玉置は公式ホームページを通じて、次のようなコメントを発表したと日刊スポーツが報じています。
「結婚してから8年の年月がたち、2人の生活スタイルが異なるようになりました。お互いに話し合い、仲良しでいるために選んだ道です」
このコメントから読み取れるのは、少なくとも公表された説明では、互いに話し合ったうえで別々の道を選んだということです。
一部報道では、音楽を最優先する玉置と、夫婦としての時間を大切にしたい安藤との間に生活スタイルの違いが生まれたとも伝えられました。ただし、個人的な事情のすべてが公表されたわけではありません。
安藤との離婚後、玉置は2008年に体調不良による活動休止を発表。その後、2009年には石原真理との復縁が報じられ、再び芸能ニュースの中心となりました。
【青田典子との馴れ初め】過去の交際と20年ぶりの再会、2010年の再婚
現在の妻である青田典子との関係は、2010年に突然始まったものではありません。実は2人には、結婚よりかなり前に交際していた過去があります。
初めて出会ったのは結婚より20年以上前青田は2013年に出演した日本テレビ系『メレンゲの気持ち』で、玉置とは20年以上前に出会っていたことを明かしています。
当時、青田はまだC.C.ガールズとしてデビューする前の時期でした。2人は4〜5カ月ほど一緒に過ごしたと青田本人が説明しています。
その後、2人は長い間会うことも連絡を取ることもありませんでした。
2016年のTBS系『サワコの朝』でも、青田が20歳ごろに玉置と交際していたことが改めて紹介されました。短い交際ではあったものの、結婚前から互いを知っていたという点は、2人の関係を理解するうえで重要な背景です。
2009年末から2010年にかけて再び距離が縮まる日刊スポーツの2010年5月の報道によると、2人は2009年末に知人の紹介で再び知り合い、2010年初めから結婚を視野に入れた交際を始めました。
2013年の青田の番組出演時の説明では、玉置から突然連絡があり、再会につながったとされています。
約20年の空白期間を経て再び会った2人は、お互いの過去や近況について話し合い、関係を深めていきました。
2010年7月16日、北海道旭川市で入籍交際から半年ほどで結婚を決めた2人は、2010年7月16日に北海道旭川市役所へ婚姻届を提出しました。
旭川は玉置の故郷です。安全地帯の全国ツアーの合間を縫って故郷へ戻り、青田とともに入籍したことが当時の日刊スポーツなどで報じられました。
結婚に際して、玉置は音楽と2人の愛を届けていきたいという趣旨のコメントを発表。青田も2人で生きていく決意を伝えました。
2011年7月には挙式・披露宴も行われています。
青田にとっても、玉置との結婚は再婚でした。2010年以前に結婚歴があり、2004年11月に結婚した飲食店経営の男性とは2005年秋に離婚しています。
つまり、2人とも過去の結婚生活を経験したうえで、新たな人生をともに歩むことを決めた夫婦です。
結婚当初の周囲の反応と夫婦の変化2024年9月、青田はテレビ朝日系『徹子の部屋』に出演し、玉置との結婚生活について語りました。
当時は周囲から結婚を反対する声も多かったと振り返り、結婚から14年が経過したことへの感慨を明かしています。
また、結婚当初は玉置の体調や安全地帯の活動再開を支えるため、芸能活動を一時休止して家庭でのサポートに力を入れていたことも報じられました。
青田は夫の食生活を整えるために料理を作り続けるなど、生活面で支えていたといいます。一方で、夫を支えることに集中しすぎて、自分自身を顧みる時間が少なくなった時期もあったと振り返っています。
こうした発言からは、結婚後の夫婦生活が単なる華やかな芸能人同士の結婚ではなく、仕事や健康、生活を調整しながら築かれてきたことがうかがえます。
【石原真理との関係】2009年の婚姻届と「5度目の結婚」の真相
玉置浩二の結婚歴を調べると、必ずといってよいほど名前が挙がるのが女優の石原真理です。
石原と玉置には1980年代からの交際歴があり、2009年には復縁が報じられました。2人は当時、婚姻届を提出したと報道され、結婚を公表する会見も行っています。
1980年代の交際から2009年の復縁へ石原と玉置の関係が最初に大きく報じられたのは1980年代です。当時、玉置にはすでに別の妻がいたため、2人の関係は不倫として報じられました。
その後、1986年に破局。長い年月を経た2009年2月14日に再会し、同月25日には都内の区役所へ婚姻届を提出したと日刊スポーツが報じました。
当時の2人は結婚する意思を公にし、玉置は再会を大切にしたいという心境を語っています。
婚姻届は受理されなかったと報道しかし、2009年9月のスポニチの報道では、石原には以前の米国人男性との婚姻関係が残っていたため、玉置との婚姻届は受理されなかったと説明されています。
このため、2人の関係は短期間で終わり、法律上の正式な結婚としては成立しなかったと整理されています。
当時、一部メディアでは事実婚を含めて結婚回数を数え、玉置が5度目の結婚をしたと紹介する記事もありました。
しかし、正式な婚姻と事実婚、婚姻届の提出と受理はそれぞれ異なる概念です。これらを同じものとして数えると、玉置の結婚歴を誤解する原因になります。
玉置浩二の離婚理由に共通する事実はあるのか玉置の離婚理由については、さまざまな報道や憶測が存在します。しかし、相手によって公表された説明は異なります。
最初の一般女性との離婚については、詳しい事情が広く公表されていません。
薬師丸ひろ子との離婚については、長い話し合いを経て、それぞれの生き方を選んだという説明が中心です。
安藤さと子との離婚では、生活スタイルの違いと話し合いが公式コメントとして伝えられました。
石原真理との2009年の関係は、婚姻届の受理をめぐる問題があり、正式な結婚歴とは区別する必要があります。
青田典子とは2010年に正式に結婚し、2026年現在も夫婦として公に紹介されています。
こうして整理すると、玉置の結婚歴は単純に離婚回数だけで語れるものではありません。音楽活動の転換期、生活環境の変化、過去の交際関係など、異なる背景を持つ出来事が重なっています。
【プロの結論】玉置浩二の結婚歴から見える人生の転換点
玉置浩二の結婚歴を振り返ると、音楽家としての活動と私生活の変化が密接に重なっていることが分かります。
1980年代は安全地帯の人気が高まり、音楽活動が大きく発展した時期でした。1990年代にはソロ活動を進めながら薬師丸ひろ子との結婚生活を送り、1998年には軽井沢へ移住。安藤さと子との結婚を経て、2000年代後半には離婚や活動休止を経験します。
そして2010年、青田典子との結婚と安全地帯の活動再開が重なりました。
ここで注目したいのは、結婚相手の人数だけではなく、人生の転換期ごとに生活環境や仕事への向き合い方が変化していることです。
結婚歴を正しく理解するための3つの判断基準1. 正式な結婚と交際を分ける
石原真理との関係のように、婚姻届の提出が報じられても受理されなかったケースがあります。結婚回数を調べる際は、法律上の婚姻が成立したかどうかを区別することが大切です。
2. 離婚理由は本人が公表した説明を優先する
芸能人の離婚では、家庭内の事情や価値観の違いなどがさまざまに報じられます。しかし、本人の公式コメントと周囲の推測は同じではありません。安藤との離婚では生活スタイルの違いが公表されており、それ以上の事情を断定する必要はありません。
3. 現在の夫婦関係は最新の公表情報で判断する
過去の結婚歴が多いからといって、現在の夫婦関係まで同じように推測するのは適切ではありません。2026年には青田が玉置との写真を公開し、夫婦の近況が報じられています。過去の出来事と現在の状況は分けて捉えるべきです。
玉置浩二の嫁に関するよくある質問(FAQ)
Q1:玉置浩二の現在の妻は誰ですか?
A1:現在の妻はタレントの青田典子です。2010年7月16日に北海道旭川市で婚姻届を提出しました。2026年11月現在も夫婦として紹介されています。
Q2:玉置浩二の歴代妻は何人ですか?
A2:現在の妻である青田典子を含め、正式な結婚相手は4人です。最初の一般女性、薬師丸ひろ子、安藤さと子、青田典子の順です。
Q3:玉置浩二と薬師丸ひろ子の離婚理由は何ですか?
A3:1998年6月に離婚しました。公表された説明では、長い話し合いの末、それぞれ別の生き方を選んだとされています。具体的な家庭内事情は詳しく公表されていません。
Q4:玉置浩二と安藤さと子はどこで出会ったのですか?
A4:1995年の「正義の味方ツアー」で、安藤がキーボード奏者として参加したことが出会いのきっかけです。1999年12月に結婚し、2007年12月に離婚しました。
Q5:玉置浩二と青田典子の馴れ初めは何ですか?
A5:2人は結婚より20年以上前に出会い、短期間交際していたことを青田本人が明かしています。その後、2009年末に再会し、2010年初めから交際を始めました。
Q6:玉置浩二は石原真理とも結婚していたのですか?
A6:2009年に婚姻届を提出したと報じられましたが、石原の以前の婚姻関係が解消されていなかったため、届出は受理されなかったと報じられています。正式な結婚歴とは区別されています。
Q7:玉置浩二は現在も軽井沢に住んでいるのですか?
A7:1998年に軽井沢へ移住しましたが、2005年には東京へ活動拠点を戻しています。2026年現在の詳しい居住状況については、公表情報だけでは断定できません。
玉置浩二の現在の妻は、2010年7月に結婚した青田典子です。2026年11月現在、2人は結婚から16年を迎え、同年にも夫婦写真が公開されるなど、夫婦としての近況が伝えられています。
玉置の正式な結婚歴を時系列で整理すると、1983年に最初の一般女性、1991年に薬師丸ひろ子、1999年に安藤さと子、2010年に青田典子と結婚しています。
2009年の石原真理との関係は、婚姻届が受理されなかったと報じられているため、正式な結婚とは区別されます。
また、軽井沢移住は1998年の出来事であり、薬師丸との離婚や安藤との結婚に近い時期の人生の転換点でした。安藤との出会いは1995年の正義の味方ツアーで、2007年の離婚時には生活スタイルの違いが公表されています。
玉置浩二の結婚歴を理解するうえで大切なのは、過去の交際や報道上の結婚回数に惑わされず、実際の婚姻・離婚の経緯を時系列で確認することです。現在の青田典子との関係についても、2026年の最新の公表情報を基準に捉えることが、正確な理解につながります。
主な事実確認資料
- 玉置浩二と青田典子の2010年7月16日の入籍:日刊スポーツ。
- 青田典子本人が語った過去の交際と再会:スポニチ。
- 安藤さと子との出会い・結婚・離婚:日刊スポーツ、ORICON NEWS。
- 2009年の石原真理との婚姻届と受理をめぐる報道:スポニチ。
- 軽井沢移住と2005年の東京への拠点回帰:文春オンライン。
- 2026年の青田・玉置夫妻の近況:日刊スポーツ、テレビ朝日ニュース。