元プロ野球選手の中後悠平(なかうしろ・ゆうへい)さんは、ロッテからの戦力外通告、12球団合同トライアウトでの苦戦、そしてアメリカへの挑戦を経験した異色の経歴を持つ左腕です。1989年9月17日生まれ、大阪府泉南郡熊取町出身で、左投左打の投手としてプロ野球とマイナーリーグでプレーしました。
私生活では、2015年4月22日に元保育士の一般女性と結婚。ところが、妻が第1子を出産する直前にロッテから戦力外通告を受けます。トライアウト後には引退も考えましたが、妻の言葉に背中を押され、独立リーグの武蔵ヒートベアーズへの入団を決意しました。その直後には第1子となる男児も誕生しています。
その後、アリゾナ・ダイヤモンドバックス傘下でのマイナーリーグ挑戦、横浜DeNAベイスターズへの復帰、2019年の現役引退を経て、現在は球団職員として働いています。2026年の最新報道までを踏まえ、結婚から家族との生活、野球人生の転換点までを時系列で整理します。
【プロフィール】中後悠平とは?出身地・学歴・投手としての特徴

中後悠平さんは、独特の投球フォームと150キロ台の速球を武器にした左腕投手です。一般的な左投手とは異なり、腕の位置を変えながら投球する変則的なスタイルで知られていました。
中後悠平の基本プロフィール- 名前:中後悠平(なかうしろ・ゆうへい)
- 生年月日:1989年9月17日
- 年齢:37歳(2026年11月時点)
- 出身地:大阪府泉南郡熊取町
- 身長・体重:183cm・72kg
- 投打:左投左打
- ポジション:投手
- ドラフト:2011年ドラフト2位
- 最初の所属球団:千葉ロッテマリーンズ
- 現役最終所属球団:横浜DeNAベイスターズ
- 現役引退:2019年
横浜DeNAベイスターズが2018年7月に公表した獲得発表資料にも、生年月日や投打、身長、体重、これまでの所属先が記載されています。
野球を始めたのは大阪府熊取町中後さんは大阪府泉南郡熊取町の出身です。幼少期から野球に親しみ、父親が監督を務める少年野球チームで競技を始めました。
その後、和歌山県の近畿大学附属新宮高校に進学。高校時代は公式戦での登板機会が限られていましたが、近畿大学に進んでから投手として頭角を現します。
大学では変則左腕として注目され、150キロ台の速球も記録。大学日本代表にも選出され、日米大学野球などの国際大会を経験しました。大学時代の実績が、2011年のドラフト2位指名につながっています。
変則左腕として期待されたロッテ時代2012年に千葉ロッテマリーンズへ入団すると、1年目から一軍で27試合に登板。2勝5ホールドを記録し、救援左腕として期待を集めました。
特徴は、サイドスローに近い腕の位置や、打者にとってタイミングを取りにくい変則的なフォームです。速球だけでなくスライダーも武器としていました。
一方、プロ入り後は肩の故障や制球面の課題に苦しみます。2013年以降は一軍での登板数が減少し、2015年には一軍登板がありませんでした。
期待された新人時代と、思うように結果を残せなくなった時期。この落差が、後の戦力外通告という大きな転機につながっていきます。
【ロッテ戦力外通告】2015年に訪れた野球人生最大の危機
中後さんの人生を大きく変えた出来事が、2015年オフの千葉ロッテマリーンズからの戦力外通告です。
プロ入り後の最初のシーズンは一軍で27試合に登板したものの、その後は故障や制球難によって登板機会が減少。2015年は一軍での登板がないままシーズンを終えました。
2015年の12球団合同トライアウトで苦戦ロッテを退団した中後さんは、NPBでの現役続行を目指して2015年11月10日の12球団合同トライアウトに参加しました。
ところが、打者3人との対戦結果は2四球、1死球。速球の最速は145キロを記録したものの、制球面で課題を残す内容となりました。
トライアウトは、戦力外となった選手が他球団に実力をアピールする重要な機会です。しかし、短い対戦の中で結果を残せなければ、獲得につながらないこともあります。
中後さんの場合も、NPBの他球団から獲得の打診はありませんでした。
当時の状況を伝えた野球専門メディアの報道では、トライアウトでの結果が振るわなかったことと、武蔵ヒートベアーズへの入団が決まった経緯が紹介されています。
妻の妊娠中に訪れた戦力外通告さらに厳しかったのは、野球だけでなく家庭にも大きな変化が訪れていたことです。
中後さんは2015年4月に結婚しており、戦力外通告を受けた当時、妻は第1子を妊娠していました。TBSテレビの『プロ野球戦力外通告』取材班が2019年に公開した振り返り記事では、妻が妊娠8カ月だったことも紹介されています。
新婚生活が始まって間もない時期に、出産を控えた妻と生まれてくる子供を抱えながら、次の仕事や生活を考えなければならなくなったのです。
野球を続けたいという気持ちだけで進路を決められる状況ではありませんでした。家族の生活を守る責任と、選手としての夢。その両方を考えなければならない局面だったといえます。
【結婚・妻・子供】2015年4月22日の入籍から武蔵入団までの真実
中後悠平さんの結婚について、特に注目されるのが入籍日です。
結婚記念日は2015年4月22日中後さんは、2015年4月22日に一般女性と入籍しました。
この日付には、夫婦にちなんだ語呂合わせが込められています。4を「よい」、22を「ふうふ」と読んで「よい夫婦」となることから、4月22日を選んだとされています。
2015年4月25日付のスポーツニッポンの報道でも、中後さん本人がこの語呂合わせを理由に4月22日に入籍したと説明しています。
妻は元保育士の女性です。一般の方であるため、芸能活動や野球関係の公的な活動をしている人物ではありません。結婚後は中後さんの野球人生を支える存在となりました。
妻の支えが注目された理由結婚から約半年後、中後さんはロッテから戦力外通告を受けます。
出産を間近に控えた妻にとっても、夫の職を失うという出来事は大きな転機でした。独立リーグに進むか、野球を辞めて別の仕事を探すか。家庭の将来を考えれば、簡単に決められる問題ではありません。
トライアウト後、NPB球団から声がかからなかった中後さんは、一時的に現役引退を考えました。
それでも約3週間にわたって悩み続けた末、妻から伝えられた言葉が、次の選択を後押ししたとされています。
「好きな野球を取りあげることはできないから、やりたいようにやったらいい」
妻のこの言葉は、野球を続けたいという本人の気持ちを尊重するものでした。
ただし、これは単純に家族の反対がなかったという話ではありません。出産を控えた家庭にとって、収入や生活の見通しが立たない状況は現実的な問題です。それでも本人が納得できる選択をしてほしいという妻の思いが、中後さんの決断を支えたと考えられます。
武蔵ヒートベアーズへの入団を決意最終的に中後さんは、独立リーグのベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)に所属する武蔵ヒートベアーズへの入団を決めました。
2015年12月18日、武蔵は中後さんの入団を発表。背番号は11でした。
NPBの球団ではないものの、野球を続けられる環境が得られたことは大きな意味を持ちました。妻の言葉を受けて、選手としてもう一度挑戦する道を選んだのです。
第1子となる男児の誕生武蔵への入団が決まった直後、中後さん夫妻には第1子となる男児が誕生しました。
戦力外通告、トライアウトでの苦戦、引退の検討、そして独立リーグへの入団。その激動の時期に、父親としての新しい生活も始まったことになります。
2019年に公開されたTBS取材班の記事では、その後、アメリカでプレーしていた時期に第2子も誕生し、4人家族になったことが紹介されています。
子供の名前や誕生日、現在の年齢など、家族の細かなプライベート情報は広く公表されていません。妻や子供の生活を必要以上に表に出さず、家族としての時間を大切にしている様子がうかがえます。
【年表・関係性一覧】中後悠平の経歴と家族の転機を時系列で整理
中後さんの野球人生を理解するには、球団の移籍だけでなく、結婚や子供の誕生といった家族の出来事を合わせて見ることが大切です。
以下に、本人の経歴と家族に関する主な出来事をまとめました。
| 時期 | 人物・組織 | 出来事・関係性 |
|---|---|---|
| 1989年9月17日 | 中後悠平 | 大阪府泉南郡熊取町で生まれる。 |
| 2011年 | 近畿大学・千葉ロッテ | 大学で実績を残し、ドラフト2位でロッテに指名される。 |
| 2012年 | 千葉ロッテ | プロ入り。1年目から一軍27試合に登板し、2勝5ホールドを記録。 |
| 2015年4月22日 | 妻 | 元保育士の一般女性と入籍。結婚記念日は「よい夫婦」の語呂合わせ。 |
| 2015年秋 | 千葉ロッテ | 戦力外通告を受け、NPBでの現役続行を目指してトライアウトに参加。 |
| 2015年12月 | 妻・第1子 | 妻の後押しを受けて武蔵入団を決意。入団決定直後に長男が誕生。 |
| 2016年 | 武蔵ヒートベアーズ・ダイヤモンドバックス | 武蔵で再出発。その後、アメリカのマイナー契約を結び渡米。 |
| 2016~2018年 | ダイヤモンドバックス傘下 | ルーキーリーグから3Aまで経験。メジャー昇格には至らなかった。 |
| 2018年7月 | 横浜DeNA | 日本球界へ復帰。選手契約を結ぶ。 |
| 2019年 | 妻・子供・横浜DeNA | 現役引退を決断。その時点で家族は4人となっていた。 |
| 2020年~2026年 | 横浜DeNAベイスターズ | 球団職員へ転身。営業部門で野球に携わる仕事を続けている。 |
この年表から分かるのは、2015年が中後さんにとって野球選手としても家庭人としても大きな転換点だったということです。
ロッテを離れた後、武蔵、ダイヤモンドバックス、DeNAと所属先を変えながら、野球を続けるための道を切り開いていきました。
【アメリカ挑戦からDeNA復帰】武蔵入団後に起きた大逆転
武蔵ヒートベアーズへの入団は、野球人生の終着点ではありませんでした。中後さんにとっては、再びプロの舞台を目指すための新しいスタートだったのです。
ダイヤモンドバックスとのマイナー契約2016年、中後さんはアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結びました。
この契約は、当初から予定されていたものではありません。中後さんの投球をテレビ番組で見たメジャー関係者が興味を持ち、スカウトにつながったという異例の経緯がありました。
当初はアメリカでのプレーに積極的ではなかった中後さんですが、スカウトとの話し合いを経て渡米を決意。妻と子供を日本に残して、単身でアメリカへ向かいました。
マイナーリーグではルーキーリーグからスタートし、短期間で1A、1Aプラス、3Aへと昇格。2016年には3Aで13試合に登板し、10回2/3を無失点、防御率0.00という成績を残しました。
2017年には2Aで48試合に登板し、防御率2.35を記録。2018年にはメジャーキャンプにも参加しましたが、最終的にメジャー昇格は実現しませんでした。
2018年7月、横浜DeNAベイスターズへ2018年6月、アメリカでの挑戦に区切りがつき、帰国することになります。
その翌月、横浜DeNAベイスターズが中後さんとの選手契約合意を公式発表しました。日本球界への復帰は、ロッテ退団から約3年を経て実現したものです。
DeNAでは背番号91を着用。2018年8月28日の中日ドラゴンズ戦では、ピンチの場面で登板して無失点に抑え、試合後にはヒーローインタビューにも選ばれました。
本人も2019年の引退発表時、この試合をDeNA時代の一番の思い出として挙げています。
2019年に現役引退を決断2019年は一軍公式戦4試合に登板しましたが、10月に戦力外通告を受けました。
中後さんは11月25日、横浜DeNAベイスターズを通じて2019年シーズン限りでの現役引退を発表します。
球団公式発表に掲載された本人のコメントでは、ユニフォームを脱ぐことに後悔がないと言えば嘘になるとしながらも、自分の力を出し切ったという思いが語られていました。
NPBでの通算成績は49試合登板、2勝2敗、7ホールド、防御率5.09。メジャーリーグの舞台には届かなかったものの、独立リーグを経てアメリカに渡り、再びNPBへ戻るという異色のキャリアを築きました。
【2026年現在】中後悠平は何をしている?DeNA球団職員としての第二の人生
現役を引退した中後さんは、野球界から完全に離れたわけではありません。
2020年1月から横浜DeNAベイスターズの球団職員として勤務し、選手時代とは違う立場で球団を支える仕事を始めました。
営業部門への異例の転身2020年4月のスポーツニッポンの報道では、DeNAの営業部に配属された中後さんが、営業職として新しい仕事を学んでいる様子が紹介されました。
2022年のFull-Countのインタビューでは、横浜スタジアムの広告看板や出版物、映像などの広告枠を扱い、スポンサー企業を獲得する仕事に携わっていると説明されています。
元プロ野球選手のセカンドキャリアというと、監督やコーチ、野球解説者、野球スクールの指導者などを想像する人も多いでしょう。
しかし中後さんは、球団の営業職という新しい道を選びました。選手としての経験を生かしながら、野球をビジネスとして支える仕事に挑戦したのです。
2026年8月の最新報道で明らかになった所属部署2026年8月25日付のデイリースポーツの記事では、中後さんの現在の仕事について詳しく取り上げられています。
同記事によると、中後さんは横浜DeNAベイスターズの球団職員として、「野球未来創造本部 パートナー共創部 第1アカウントグループ」に所属。営業の第一線で活動しています。
かつては自分自身がマウンドに立ち、打者と対戦していました。現在はスポンサー企業などと関わりながら、球団の事業を支える立場です。
野球選手としての経験を捨てるのではなく、その経験を別の仕事に生かすという選択は、中後さんのキャリアを象徴しています。
現役時代と現在で変わった家族との時間ITmediaビジネスオンラインの2021年のインタビューでは、中後さん自身が、現役時代は遠征や自主トレ、キャンプを含めると年間の約3分の2を自宅で過ごせなかったと振り返っています。
一方、球団職員になってからは土日休みのある生活となり、家族と過ごす時間が増えたと話しています。
特に、夏に子供と海へ出かけられるようになったことを喜んでいました。現役時代にはシーズン中だったため、なかなか実現できなかった家族との時間です。
2015年の戦力外通告時には、妻と生まれてくる子供を守るために野球を諦めるべきか悩みました。それから年月を経て、野球に関わる仕事を続けながら家族との時間も確保できる生活にたどり着いています。
【プロの結論】中後悠平の野球人生から分かる3つの要点
中後さんの経歴は、単に戦力外から復活した野球選手の物語ではありません。選手としての可能性を追い続けることと、家庭を支える責任をどう両立させるかという、現実的な選択の積み重ねでもあります。
1. 戦力外通告は野球人生の終わりとは限らない2015年のトライアウトでは、2四球と1死球という厳しい結果に終わりました。一般的にはNPB復帰が難しい状況でしたが、中後さんは独立リーグへの入団を決めました。
加えて、その後のマイナー契約によってアメリカへ渡り、3Aまで昇格しています。
ここから分かるのは、選手として活動できる場所はNPBだけではないということです。独立リーグや海外のマイナーリーグなど、競技を続けるための選択肢は複数存在します。
2. 妻の支えと本人の決断は分けて考えるべき妻の言葉は、中後さんが野球を続けるうえで大きな後押しになりました。しかし、実際に武蔵への入団を決め、海外へ渡り、厳しい競争を続けたのは本人です。
妻が支えたから成功したという単純な構図ではありません。家族の理解を得ながら、自分自身で選択の責任を引き受けた点に、この経歴の本質があります。
また、家族を大切にすることと、野球を続けることは必ずしも対立するものではありません。中後さんの場合、現役引退後に球団職員へ転身することで、両者を別の形で両立させています。
3. 引退後のキャリアは現役時代の経験から作れる中後さんは2019年に現役を引退しましたが、翌年から球団職員として新しいキャリアをスタートさせました。
現役時代の経験、国内外の野球環境を知る視点、選手として球団に所属した経験は、営業という別の仕事にも生かせるものです。
特に、スポンサー企業に球団の魅力を伝える仕事では、実際に競技の現場を経験してきたことが強みになります。
プロ野球選手としてのキャリアが終わっても、野球に関わる方法は残されています。中後さんの現在は、引退後の働き方を考えるうえでも参考になる事例です。
【中後悠平の結婚と現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:中後悠平はいつ結婚しましたか?
A1:2015年4月22日です。「4(よ)い22(ふうふ)」という語呂合わせにちなんで入籍しました。妻は元保育士の一般女性です。
Q2:中後悠平の妻や子供について教えてください。
A2:妻は元保育士の一般女性です。2015年の武蔵入団決定直後に第1子となる男児が誕生し、その後、アメリカでプレーしていた時期に第2子も誕生しています。2019年の報道では4人家族になったことが紹介されています。
Q3:中後悠平はなぜ戦力外通告後に引退しなかったのですか?
A3:2015年の12球団合同トライアウト後、NPB球団から獲得の打診がなく、一時は引退を検討しました。しかし、約3週間悩んだ末に、妻から「好きな野球を取りあげることはできないから、やりたいようにやったらいい」と背中を押され、武蔵ヒートベアーズへの入団を決意しました。
Q4:中後悠平は2026年現在、何をしていますか?
A4:横浜DeNAベイスターズの球団職員として働いています。2026年8月のデイリースポーツの報道では、野球未来創造本部のパートナー共創部に所属し、営業職として活動していることが紹介されました。
中後悠平さんは、2015年4月22日に元保育士の女性と結婚しました。しかし同年オフ、妻が第1子を出産する直前にロッテから戦力外通告を受け、12球団合同トライアウトでもNPB復帰を果たせませんでした。
一時は引退を考えたものの、妻の「好きな野球を取りあげることはできないから、やりたいようにやったらいい」という言葉に後押しされ、武蔵ヒートベアーズへの入団を決断。その直後に長男が誕生しました。
その後はダイヤモンドバックス傘下でのマイナー挑戦、横浜DeNAへの復帰を経験。2019年に現役生活を終え、2020年からは球団職員として新しいキャリアを歩んでいます。
2026年の最新報道でも、DeNAの営業部門で野球に携わり続けていることが確認できます。
中後さんの歩みを振り返ると、戦力外通告は必ずしも夢の終わりではなく、人生の進路を考え直す転換点にもなり得ることが分かります。選手としての挑戦を続ける時期、家族との生活を優先する時期、そして野球を支える側へ回る時期。それぞれの段階で選択を重ねてきたことが、現在のキャリアにつながっています。
2015年の結婚と戦力外通告から始まった家族との歩みは、現役引退後も野球に携わる現在まで続いています。中後悠平さんの経歴は、プロ野球選手のセカンドキャリアと家族の支えを考えるうえで、印象に残る事例の一つです。