麻実れい(あさみ・れい)は、1950年3月11日生まれ、東京都出身の女優です。1970年に宝塚歌劇団へ入団し、雪組の男役トップスターとして活躍。1985年の退団後も舞台を中心にキャリアを重ね、2023年には日本芸術院会員に選出されました。身長172cmの長身を生かしたスケールの大きな男役と、退団後に磨き上げた繊細な演技力で知られています。
一方、私生活では1995年7月に、曙ブレーキ工業の元代表取締役会長兼社長・信元久隆氏と結婚。45歳で2人の息子を持つ家庭に入り、母親としての役割も担うことになりました。2025年の「徹子の部屋」では、結婚当時の心境や家族との関係について本人が語っています。この記事では、宝塚時代の代表作から退団後の女優活動、愛称「ターコ」の由来、結婚の経緯、2026年の活動までを時系列で整理します。
【麻実れいのプロフィール】1950年生まれ・本名孝子・身長172cmの舞台女優

麻実れいは、宝塚歌劇団の元雪組男役トップスターであり、退団後は日本を代表する舞台女優の一人として活動してきました。
1950年3月11日生まれで、2026年11月現在は76歳。東京都出身で、血液型はO型とされています。所属は梅田芸術劇場です。
特に注目されるプロフィールの一つが、身長172cmという恵まれた体格です。宝塚の男役にとって、舞台上での立ち姿や相手役とのバランスは重要な表現要素です。長身を生かした堂々とした存在感は、麻実れいの男役を特徴づける要素になりました。身長は日本タレント名鑑にも掲載されています。
本名は孝子、愛称「ターコ」の由来麻実れいの愛称として広く知られているのが「ターコ」です。この呼び名は、本名の孝子(たかこ)に由来しています。
日本芸術院の公式会員プロフィールでは、本名を信元孝子(のぶもと・たかこ)、芸名を麻実れいと記載しています。結婚後の氏名と芸名が異なるため、プロフィールを調べる際には両方を知っておくと人物情報を整理しやすくなります。
なお、「ターコ」は単なる宝塚時代の愛称ではありません。2025年12月の「徹子の部屋」に関する報道でも、結婚後に家族から呼ばれている名前として紹介されました。芸能活動の場面だけでなく、家庭内でも長く親しまれている呼び名です。
日本芸術院会員として認められた演劇界での功績麻実れいの経歴を語るうえで欠かせないのが、2023年の日本芸術院会員への選出です。
日本芸術院の公式発表によると、令和4年度の会員として選ばれ、2023年3月1日付で文部科学大臣から発令されました。所属は第三部・音楽・演劇・舞踊、第十七分科・演劇です。
日本芸術院は、芸術上の功績が顕著な芸術家を顕彰する国の機関です。宝塚歌劇団での人気や知名度だけでなく、その後の舞台俳優としての長年の実績が公的に評価されたことを示しています。
【麻実れいの宝塚時代】雪組トップスターへの軌跡と代表作
麻実れいは1968年に宝塚音楽学校へ入学し、1970年に宝塚歌劇団へ入団しました。56期生として初舞台を踏んだのは、雪組公演の『四季の踊り絵巻』『ハロー!タカラヅカ』です。
宝塚歌劇団に入るきっかけは、最初から強い宝塚への憧れがあったからというわけではありません。2025年の「徹子の部屋」に関するテレビ朝日の紹介記事では、親元を離れたい気持ちが進学のきっかけだったことが伝えられています。
当初はダンスや日本舞踊の授業をさぼることもあったそうですが、上級生による『ウエスト・サイド物語』を見たことが転機になりました。黒燕尾服の似合う男役になりたいという思いが芽生え、舞台人としての方向性が定まっていきます。
1975年『ベルサイユのばら』でアンドレ役に抜擢宝塚時代の大きな転機となったのが、1975年の『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル-』です。
麻実れいはアンドレ役に抜擢され、長身を生かした男役として注目を集めました。アンドレは、作品の中でオスカルを深く愛する重要な人物です。強さだけでなく、愛情や葛藤を表現する必要がある役柄であり、麻実れいの演技の幅を示す代表的な役の一つとなりました。
さらに1978年には『風と共に去りぬ-スカーレット編-』でレット・バトラーを演じます。スケールの大きな役柄と堂々とした舞台姿が評価され、男役スターとしての人気を確かなものにしました。2026年の双葉社のインタビューでも、この2作品は宝塚時代を代表する舞台として取り上げられています。
1980年に雪組トップスターへ、1985年に退団1980年、麻実れいは雪組トップスターに就任しました。
相手役として知られるのが遥くららです。二人は『青き薔薇の軍神』『彷徨のレクイエム』『ジャワの踊り子』『うたかたの恋』など、さまざまな作品で共演しました。
1984年の『風と共に去りぬ』などを経て、1985年には『花夢幻』『はばたけ黄金の翼よ』を最後に宝塚歌劇団を退団。男役トップスターとして築いた人気を背負いながら、舞台女優として新たな道へ進みました。
All Aboutの宝塚歌劇団トップスター特集や梅田芸術劇場の公式プロフィールにも、これらの主要な出演歴と退団時期が記録されています。
【麻実れいの経歴年表】宝塚入団から結婚・日本芸術院会員まで
麻実れいの歩みを理解するには、宝塚時代、退団後の女優活動、私生活の転機を分けて見ると分かりやすくなります。特に、1985年の退団と1995年の結婚は10年の間隔があり、結婚を理由に宝塚を辞めたわけではありません。
| 時期 | 出来事・作品 | 意味・備考 |
|---|---|---|
| 1950年3月11日 | 東京都に生まれる | 本名は孝子。愛称はターコ。 |
| 1968年 | 宝塚音楽学校入学 | 舞台人としての基礎を学ぶ。 |
| 1970年 | 宝塚歌劇団入団 | 56期生。『ハロー!タカラヅカ』などで初舞台。 |
| 1975年 | 『ベルサイユのばら』 | アンドレ役に抜擢。 |
| 1978年 | 『風と共に去りぬ』 | レット・バトラー役で人気を確立。 |
| 1980年 | 雪組トップスター就任 | 遥くららとの共演でも知られる。 |
| 1985年 | 宝塚歌劇団退団 | 以降は舞台女優として活動。 |
| 1995年7月 | 信元久隆氏と結婚 | 45歳で結婚し、夫の2人の息子と家族になる。 |
| 2001年 | 映画『十五才 学校Ⅳ』 | 日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。 |
| 2023年3月1日 | 日本芸術院会員に発令 | 演劇分野での功績が評価される。 |
| 2026年 | 『ピーターとアリス』などに出演 | 日本武道館の宝塚OGコンサートにも参加。 |
この年表から分かるのは、麻実れいのキャリアが宝塚時代だけで完結していないことです。トップスターとしての成功を経て退団した後も、演劇界で新しい役柄に挑み、受賞歴を積み重ねてきました。結婚も、その長い舞台人生の途中に訪れた大きな転機でした。
【退団後の女優活動】舞台での代表作と2026年現在の活動
1985年の退団後、麻実れいは舞台を中心に女優として活動を続けてきました。
宝塚の男役スターから一般の舞台女優への転身は、決して簡単なものではありません。宝塚では男役としての様式美や存在感が大切ですが、退団後の演劇では作品ごとに異なる人物像や人間関係を表現する必要があります。
麻実れいは、ミュージカルだけでなく、古典劇や翻訳劇にも出演。『オイディプス王』『タイタス・アンドロニカス』『AOI/KOMACHI』などでは海外公演にも参加しました。
代表的な舞台・映画と受賞歴退団後の代表的な舞台には、『ハムレット』『サド侯爵夫人』『蜘蛛女のキス』『冬のライオン』『おそるべき親たち』『炎 アンサンディ』などがあります。
映画では『十五才 学校Ⅳ』に出演し、2001年に第24回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞しました。舞台だけでなく映像作品でも演技力が評価された実績です。
主な受賞・顕彰歴は次のとおりです。
- 1996年:第3回読売演劇大賞最優秀女優賞。
- 2001年:第24回日本アカデミー賞優秀助演女優賞。
- 2004年:第54回芸術選奨文部科学大臣賞。
- 2006年:紫綬褒章。
- 2011年:第18回読売演劇大賞最優秀女優賞。
- 2017年:第42回菊田一夫演劇賞大賞。
- 2020年:旭日小綬章。
- 2023年:日本芸術院会員に選出。
梅田芸術劇場の公式プロフィールには、受賞対象となった作品も掲載されています。『ハムレット』『エンジェルス・イン・アメリカ』『冬のライオン』『おそるべき親たち』など、異なる時代や人物を演じて評価されてきたことが分かります。
2026年の出演作は『ピーターとアリス』2026年の活動として、梅田芸術劇場の公式プロフィールには舞台『ピーターとアリス』が掲載されています。
東京公演は2026年2月9日から23日まで東京芸術劇場プレイハウス、大阪公演は2月28日から3月2日まで梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで開催されました。
日本武道館で宝塚OGと共演加えて、2026年5月30日には、日本武道館で開催された『昭和ゴールデンHITS 100 in Orchestra ~宝塚レジェンドスターたちが歌う昭和の名曲!~』に出演しました。
この公演には麻実れいのほか、剣幸、涼風真世、一路真輝、真琴つばさ、姿月あさと、湖月わたる、彩輝なおらが参加。宝塚歌劇団の歴代トップ男役OGが集結する記念公演となりました。
特に注目されたのが、宝塚音楽学校の同期である小柳ルミ子との56年ぶりの共演です。TOKYO FMの2026年4月20日付プレスリリースでも、二人の再会と出演が発表されています。
2026年11月現在、麻実れいは梅田芸術劇場の所属アーティストとしてプロフィールが掲載されており、舞台を中心とする活動歴は継続しています。少なくとも、宝塚退団後に女優業を終えてしまったという見方は、近年の出演実績と一致しません。
【結婚の経緯】麻実れいと信元久隆氏は1995年に結婚
麻実れいの私生活で大きな転機となったのが、1995年7月の結婚です。相手は、曙ブレーキ工業の元代表取締役会長兼社長である信元久隆氏でした。
二人の結婚について、特に詳しい情報が伝えられたのは、2025年12月11日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」です。麻実れい本人が、45歳で結婚した当時の心境や、夫の子どもたちとの生活について語りました。
45歳で結婚、夫には前妻との間に2人の息子がいた2025年の番組紹介記事と放送内容を伝えた毎日キレイによると、麻実れいは当初、結婚するつもりはなかったと振り返っています。
信元久隆氏は前妻と死別しており、2人の男の子がいました。麻実れいが結婚した当時、息子たちは小学生でした。
前妻が亡くなってから結婚までには3年の期間があったとされています。それでも、子どもたちにとっては、母親を亡くした後の生活に新しい大人が加わる大きな変化でした。
麻実れい自身も、突然母親の立場になったことについて、子どもたちにとって苦しい面があったと振り返っています。
「お母さん」ではなく「ターコさん」と呼んでもらった理由結婚後の家族関係を考えるうえで印象的なのが、息子たちとの呼び方についてのエピソードです。
麻実れいは子どもたちと話し合い、亡くなった母親を身近に感じられるよう、居間に母親の写真をたくさん飾ったといいます。そして、自分のことを「お母さん」と呼ばなくてもよいと伝え、「ターコさん」と呼んでもらうことにしました。
この呼び名は、息子たちが40代になった現在も続いていると、本人が番組で明かしています。
仕事を続けながら家庭でできることとして、麻実れいは早起きしてお弁当を作ることにも取り組みました。ご飯を詰めすぎたり、髪の毛が入っていたと息子たちに指摘されたりしたことも、懐かしい思い出として語っています。
こうした話から見えてくるのは、血縁上の親子関係だけではない、時間をかけて築いてきた家族のつながりです。息子たちも現在はそれぞれ家庭を持ち、麻実れいは安心した気持ちを語っています。
信元久隆氏は曙ブレーキ工業の元会長兼社長信元久隆氏は、自動車用ブレーキなどを手掛ける曙ブレーキ工業の経営者です。
曙ブレーキ工業が発行した公式社史によると、信元氏は1990年に代表取締役社長へ就任し、1994年6月には代表取締役会長兼社長となっています。つまり、麻実れいと結婚した1995年当時、同社の経営トップを務めていました。
なお、2026年6月24日現在の曙ブレーキ工業の公式役員一覧には信元氏の名前は掲載されていません。現在の会長と誤解するよりも、元代表取締役会長兼社長と理解するのが正確です。
国立国会図書館の書誌情報にも、2000年1月刊行の『月刊経営塾』に、信元久隆氏と麻実れいを曙ブレーキ工業の社長夫妻として取り上げた記事が記録されています。二人の関係は、当時の経済誌でも紹介されていました。
なお、二人がどのように出会い、どのような交際期間を経て結婚に至ったのかという細かな馴れ初めについては、2025年の番組紹介記事や公開されたプロフィールからは具体的な経緯までは分かりません。
【誤解を整理】麻実れいの現在・本名・結婚について知っておきたい事実
麻実れいについて検索すると、宝塚時代のプロフィール、結婚後の家族構成、現在の活動など、異なる時期の情報が一緒に紹介されることがあります。特に混同しやすいポイントを整理します。
誤解1:結婚を機に宝塚を退団した?これは時系列が異なります。麻実れいが宝塚歌劇団を退団したのは1985年、信元久隆氏と結婚したのは1995年7月です。両者には約10年の間隔があります。
退団後はすでに舞台女優として活動しており、結婚をきっかけに宝塚を辞めたという説明は正確ではありません。
誤解2:ターコは宝塚時代だけの愛称?「ターコ」は本名の孝子に由来する愛称です。2025年の「徹子の部屋」でも、結婚後の息子たちが現在まで「ターコさん」と呼んでいることが紹介されました。
したがって、宝塚時代のファンだけが使う呼び名というわけではありません。
誤解3:信元久隆氏は現在も曙ブレーキ工業の会長?信元氏が会長兼社長を務めていたのは事実ですが、それは過去の役職です。曙ブレーキ工業の2026年6月時点の役員一覧では、別の人物が代表取締役や社長CEOを務めています。
検索結果や古い記事で「会長」と紹介されていても、その情報が現在の役職を意味するとは限りません。結婚当時の肩書きと現在の会社役員情報を分けて理解する必要があります。
誤解4:日本芸術院会員は宝塚OGとしての名誉職?日本芸術院会員への選出は、宝塚歌劇団の元トップスターという肩書きだけで決まるものではありません。日本芸術院の公式資料では、麻実れいは演劇分野の会員として2023年3月1日に発令されています。
退団後に積み上げた舞台芸術の実績が評価されたものであり、女優としての活動を語る際にも重要な肩書きです。
【麻実れいに関するよくある質問(FAQ)】
Q1:麻実れいは宝塚時代、何組のトップスターでしたか?
A1:雪組の男役トップスターです。1980年にトップスターに就任し、1985年に宝塚歌劇団を退団しました。
Q2:麻実れいの本名と愛称は何ですか?
A2:本名は信元孝子(のぶもと・たかこ)、芸名は麻実れいです。愛称の「ターコ」は本名の孝子に由来します。
Q3:麻実れいの身長は何cmですか?
A3:身長172cmです。長身を生かした存在感のある男役として宝塚時代から知られていました。
Q4:麻実れいは誰と結婚しましたか?
A4:1995年7月に、曙ブレーキ工業の元代表取締役会長兼社長・信元久隆氏と結婚しました。信元氏には前妻との間に2人の息子がいました。
Q5:麻実れいは2026年現在も女優活動をしていますか?
A5:はい。2026年には舞台『ピーターとアリス』や、日本武道館で開催された宝塚OGのコンサートに出演しています。梅田芸術劇場の所属アーティストとしてもプロフィールが掲載されています。
Q6:麻実れいが日本芸術院会員になったのはいつですか?
A6:2023年3月1日付で発令されました。第三部の演劇分野に所属する会員です。
麻実れいの経歴を振り返ると、宝塚歌劇団の雪組トップスターとしての成功と、退団後の舞台女優としての実績が、一本の長いキャリアとしてつながっていることが分かります。
1970年の宝塚入団、1975年の『ベルサイユのばら』でのアンドレ役、1978年の『風と共に去りぬ』でのレット・バトラー役、1980年の雪組トップスター就任。こうした舞台経験が、後の女優活動の土台になりました。
1985年に退団してからも『ハムレット』『冬のライオン』『おそるべき親たち』など幅広い作品に出演し、演劇賞や国の褒章を受けています。2023年の日本芸術院会員選出は、その長年の積み重ねを象徴する出来事です。
私生活では1995年に信元久隆氏と結婚し、夫の2人の息子と家族になりました。「ターコさん」という呼び名を大切にしながら、仕事と家庭の双方に向き合ってきたエピソードは、2025年の「徹子の部屋」で改めて紹介されました。
麻実れいを理解するうえで大切なのは、宝塚時代のスター性だけで評価を終わらせないことです。172cmの長身を生かした男役の存在感、退団後に培った演技の幅、そして日本芸術院会員として認められた舞台芸術への貢献。その三つを合わせて見ることで、彼女が長く第一線で評価されてきた理由が見えてきます。
2026年も舞台や音楽イベントへの出演を重ねる麻実れい。宝塚の伝統を背負いながら、一人の俳優として新たな表現に向き合い続ける姿は、これからも日本の演劇界で注目される存在であり続けるでしょう。