張本勲さんの国籍について、最も重要なのは、生まれたときから日本国籍だったわけではなく、長年韓国籍を維持した後、晩年に日本国籍を取得していたという点です。
この事実が広く知られるきっかけになったのが、2024年12月29日付の産経新聞の連載「話の肖像画」です。
本人はインタビューで、これまで公にしていなかった国籍変更について説明しました。
「数年前に国籍を変えた。今は日本国籍だ」
この発言は、韓国メディアの毎日経済なども報道しています。日本で長年活躍しながら韓国籍を守ってきた人物の告白だったため、日韓双方で注目を集めました。
国籍を変更したのはいつ?本人の説明は「数年前」というもので、具体的な取得年や月日は明らかにされていません。
したがって、2024年12月の時点で日本国籍を取得済みだったことは確認できますが、2019年、2020年、2021年など、特定の年に断定することはできません。
| 確認項目 | 内容 |
|---|---|
| 出生時の背景 | 韓国出身の両親を持つ在日韓国人2世 |
| 長年の国籍 | 韓国籍 |
| 日本国籍への変更 | 本人が2024年12月のインタビューで公表 |
| 取得時期 | 本人の説明は「数年前」 |
| 正確な取得年月日 | 公表されていない |
| 2024年12月時点 | 本人によると日本国籍 |
| 2026年 | 9月9日に86歳で死去 |
注目したいのは、国籍を変更したことと、韓国に対する思いを失ったことは同じではないという点です。
実際、張本さんは帰化後についても、親から受け継いだ韓国人としての誇りを持って生きていると説明していました。
【帰化した理由】張本勲本人が明かした韓国への複雑な思い

張本さんが日本国籍を取得した理由として語ったのは、韓国のある政権による在日韓国人への対応に対する失望でした。
毎日経済が紹介した2024年の産経新聞インタビューによると、張本さんは、かつて韓国の政権が在日韓国人を軽視するような態度を取ったことに言及しています。
在日韓国人の歴史を理解しない姿勢への失望張本さんが問題視したのは、在日韓国人が自分の意思だけで日本に渡り、海外で自由に暮らしてきたかのように扱われることでした。
本人は、在日韓国人が日本に渡った背景には、徴兵や生活苦など、歴史的・社会的な事情があったと説明しています。
日本で暮らすために必死に働き、努力してきた人々の歴史を理解しない態度に対して、強い不満を抱いていたことがうかがえます。
これは、単に日本での生活が長くなったから帰化したという説明とは異なります。
張本さんにとって国籍の変更は、自身の生い立ちや在日韓国人の歴史、祖国との関係を考えた末の選択だったと読み取れます。
韓国野球界への貢献と、晩年に感じていた寂しさもう一つ注目されるのが、韓国野球界との関係です。
張本さんは1981年に現役を引退した後、韓国プロ野球の発展にも関わりました。
本人の説明によると、日本球界でプレーする在日韓国人選手を探し、韓国へ渡るよう働きかけるなど、韓国プロ野球の創設期を支えてきました。
しかし、長年にわたって韓国野球界を支援したにもかかわらず、韓国シリーズやオールスター戦に一度も招待されなかったことへの不満も語っています。
加えて、韓国野球界の発展への貢献を理由とする表彰の申し出を断ったことも明かしました。
この発言からは、単純な韓国離れでは説明できない感情が見えてきます。
自分が育った日本の野球界だけでなく、両親の故郷につながる韓国の野球界にも貢献してきた。それにもかかわらず、十分に評価されていないと感じていたのです。
帰化後も韓国人としての誇りは失っていなかった2024年のインタビューで、張本さんは国籍を元に戻すこともできると述べ、親の血を引く在日韓国人としての自負心を持って生きていると説明しました。
つまり、帰化を韓国との全面的な決別と捉えるのは正確ではありません。
日本国籍を取得したことと、韓国にルーツを持つ自分自身を大切にすることは両立していたのです。
【生い立ち】張本勲は広島生まれの在日韓国人2世!本名は張勲
張本勲(はりもと・いさお)
1940年6月19日生まれ・広島県出身
韓国名:張勲(チャン・フン)
元プロ野球選手・外野手
2026年9月9日死去・享年86歳
張本さんは1940年6月19日、広島市で生まれました。
韓国出身の両親を持つ在日韓国人2世で、韓国名は張勲(チャン・フン)です。
韓国メディアでも、張本さんは韓国名の「張勲」として紹介されてきました。
両親の故郷は韓国・慶尚南道2023年5月に掲載された朝鮮日報のインタビューでは、両親の出身地についても詳しく紹介されています。
両親は韓国の慶尚南道昌寧郡の出身でした。
母親は1939年、兄と姉を連れて広島へ渡っています。父親が仕事を求めて日本に来ていたため、その後を追って家族で日本に定住することになりました。
張本さんの人生を考えるうえで、この家庭環境は重要です。
日本で生まれ、日本の学校で学び、日本のプロ野球界で成功を収めた一方、家庭には韓国の文化や両親の故郷とのつながりがありました。
日本での生活と韓国のルーツ、その両方が張本さんのアイデンティティーを形作っていたのです。
5歳で広島の原爆を経験張本さんの生い立ちには、もう一つ忘れてはならない出来事があります。
1945年8月6日、広島に原爆が投下されたとき、張本さんは5歳でした。
朝鮮日報のインタビューでは、原爆によって6歳年上の姉を亡くした経験について語っています。
姉は全身にやけどを負い、母親が名札を頼りに探し出したものの、再会の翌日に亡くなったといいます。
張本さん自身も被爆者としての経験を長年抱えていました。
被爆の記憶や家族の喪失は、その後の人生にも深い影響を与えた出来事です。
母親が守ろうとした韓国人としての誇り張本さんの国籍に関係する象徴的なエピソードが、プロ入り前にもあります。
18歳のとき、東映フライヤーズからスカウトされた張本さんには、当時の外国人選手枠をめぐる問題がありました。
球団側は、日本国籍を取得するための養子縁組を提案したとされています。
しかし、母親は祖国を売ってまで野球選手になる必要はないという考えを示し、その提案を拒みました。
最終的に、1945年以前に日本で生まれた選手を例外とする規定が設けられ、張本さんは韓国籍を維持したまま東映に入団できました。
このエピソードは、張本さんが現役時代に日本国籍への変更を選ばなかった背景を理解するうえで重要です。
当時の母親の判断を尊重し、長年韓国籍を守ってきた人物が、晩年になって日本国籍を取得した。その変化には、長い人生の中で積み重なった経験が反映されていたと考えられます。
【経歴・年表】張本勲の国籍変更と野球人生を時系列で整理
張本さんの人生は、日本プロ野球での活躍だけでは語り尽くせません。
韓国との関係、KBOへの貢献、国籍変更、そして2026年の訃報まで、主な出来事を整理します。
| 年・時期 | 出来事 | 詳細 |
|---|---|---|
| 1939年 | 家族が広島へ | 韓国出身の両親が日本に定住 |
| 1940年6月19日 | 誕生 | 広島県出身 |
| 1945年8月 | 被爆 | 5歳で広島の原爆を経験 |
| 1959年 | プロ入り | 東映フライヤーズに入団、新人王 |
| 1962年 | MVP受賞 | パ・リーグ最優秀選手 |
| 1976年 | 巨人へ移籍 | 読売ジャイアンツで活躍 |
| 1980年 | 3000安打達成 | 日本プロ野球史上初 |
| 1981年 | 現役引退 | 23年間のプロ生活に幕 |
| 1982~2005年 | KBOで活動 | 韓国野球委員会のコミッショナー特別補佐 |
| 1990年 | 野球殿堂入り | 日本野球界での功績を顕彰 |
| 2024年12月29日 | 国籍変更を公表 | 数年前に日本国籍を取得したと本人が説明 |
| 2026年9月9日 | 死去 | 86歳 |
出典:日本野球機構、野球殿堂博物館、日本プロ野球名球会、聯合ニュース、2024年の産経新聞インタビュー報道。
通算3085安打という日本野球界の金字塔張本さんの野球人生を語るうえで欠かせないのが、通算3085安打です。
日本野球機構の歴代通算安打ランキングでも、張本さんは歴代1位に位置しています。
主な記録は次のとおりです。
- 通算試合数:2752試合
- 通算安打数:3085本
- 通算本塁打:504本
- 通算打点:1676打点
- 通算打率:.319
- 首位打者:7回
- 最高出塁率:9回
1980年5月28日には通算3000安打を達成しました。これは日本プロ野球史上初の快挙でした。
韓国プロ野球委員会(KBO)との関係張本さんは日本だけでなく、韓国の野球界にも大きな足跡を残しています。
韓国プロ野球は1982年に発足しました。
張本さんは同年から2005年まで、韓国野球委員会(KBO)のコミッショナー特別補佐を務めました。
日本でプレーしていた在日韓国人選手たちに韓国プロ野球への参加を働きかけ、創設期のリーグ発展を支えたことでも知られています。
2007年には韓国政府から国民勲章「無窮花章」を授与されました。
2026年9月の訃報に際しても、韓国の聯合ニュースやプロ野球OB団体がその功績を紹介し、追悼の意を示しています。
【誤解を検証】韓国籍・日本国籍・民族的ルーツはどう違う?
張本さんの国籍については、古いプロフィールや過去の記事を読むと、韓国籍と記載されている場合があります。
一方、2024年のインタビュー以降は日本国籍と紹介されるようになりました。
この違いを理解するには、国籍と民族的ルーツを分けて考える必要があります。
① 韓国籍だったことは間違いなのか?いいえ。長年韓国籍を維持していたという説明は、過去の本人の発言や報道と一致しています。
2023年の朝鮮日報のインタビューでは、張本さんは次のように語っています。
「韓国は世界で一番いい国です。一度も韓国人であることを隠したことのない人生を送ってきました」
また、若いころに日本社会で韓国人へのいじめがあったことや、母親から韓国人としての自覚を教えられたことも説明しています。
したがって、過去の記事に韓国籍と書かれていること自体は、当時の状況を反映したものです。
問題になるのは、2024年以降も過去の情報だけを使い、国籍変更の事実を反映していない場合です。
② 日本国籍になったら韓国人ではなくなるのか?これは国籍と民族的ルーツを混同した考え方です。
国籍とは、法律上どの国に属するかを示すものです。
一方、民族的ルーツは、両親や祖先の出身地、文化、言語、歴史的背景などに関係します。
両者は必ずしも一致しません。
張本さんの場合は、次のように整理できます。
| 比較項目 | 張本勲さんの場合 |
|---|---|
| 出生地 | 広島県 |
| 両親のルーツ | 韓国・慶尚南道 |
| 韓国名 | 張勲(チャン・フン) |
| 出生後の国籍 | 韓国籍を維持 |
| 晩年の国籍 | 日本国籍 |
| 民族的ルーツ | 韓国に由来 |
| 本人が語った意識 | 在日韓国人としての誇りを維持 |
つまり、日本国籍を取得したからといって、韓国にルーツを持つという生い立ちまで変わるわけではありません。
③ 帰化とは何を意味するのか?日本の法務省によると、帰化とは、外国籍の人が日本国籍の取得を希望し、国から許可を受けることで日本国籍を取得する制度です。
帰化の許可は法務大臣の権限であり、許可された場合は官報に告示されます。
張本さんのケースも、本人が日本国籍になったと明らかにしたことから、一般に日本への帰化として報じられています。
ただし、具体的な帰化許可日については、本人が「数年前」と述べた以上の情報は公表されていません。
【プロの結論】国籍変更だけで人物のアイデンティティーは判断できない張本さんのケースから読み取れるのは、国籍という法律上の所属と、自分がどのような歴史や文化を背負って生きてきたかという問題は、別の次元にあるということです。
長年韓国籍を維持し、韓国野球の発展にも協力してきた人物が、日本国籍を取得したからといって、それまでの人生が否定されるわけではありません。
むしろ、在日韓国人2世としての生い立ち、日本で受けた経験、母親から教えられた誇り、韓国野球界への貢献などを総合して考える必要があります。
国籍の変更は人生の一つの選択であり、民族的ルーツや個人のアイデンティティーを一つの国籍だけで決めつけることはできません。
【2026年最新】張本勲が86歳で死去、日韓両国に残した功績
2026年9月9日、張本勲さんが86歳で亡くなりました。
日本プロ野球名球会が9月10日に公式サイトで訃報を発表しています。
名球会の発表では、通算3085安打を達成した「安打製造機」としての功績を振り返り、長年の野球界への貢献に対して哀悼の意を表しました。
日本野球界からの評価張本さんは1959年に東映フライヤーズへ入団し、1981年まで23年間にわたってプロ野球選手として活躍しました。
引退後は野球解説者・評論家として活動し、テレビ番組でも親しまれました。
特にTBS系「サンデーモーニング」のスポーツコーナーでは、「喝!」や「あっぱれ!」という歯切れのよいコメントで広く知られる存在でした。
日本野球界では、通算3085安打という記録とともに、野球を通じて多くの世代に影響を与えた人物として記憶されています。
韓国野球界からも追悼の声訃報は韓国でも大きく報道されました。
聯合ニュースは、張本さんを在日韓国人2世の元プロ野球選手として紹介し、韓国野球の発展にも尽力した人物として伝えています。
また、韓国のプロ野球OB団体「一球会」も追悼コメントを発表しました。
同団体は、張本さんが韓国プロ野球の創設期から深い関心を持ち、後輩たちを励ましながら韓国野球の発展に助言や支援を続けてきたことを評価しています。
これは、張本さんの功績が日本国内だけにとどまらなかったことを示しています。
2026年時点で国籍について分かっていること2026年11月現在、張本さんはすでに亡くなっています。
国籍に関する最後の本人の公表内容は、2024年12月の日本国籍取得の告白です。
訃報に関する名球会の公式発表では、死去日と享年が公表されていますが、国籍変更の年月日について新たな説明はありません。
したがって、2026年時点で整理できる情報は次のとおりです。
- 韓国出身の両親を持つ在日韓国人2世。
- 長年、韓国籍を維持していた。
- 2024年12月の本人インタビューで日本国籍への変更を公表。
- 具体的な帰化年月日は非公表。
- 2026年9月9日に86歳で死去。
張本さんの人生は、日本と韓国の双方に深く結びついていました。
【張本勲の国籍】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:張本勲の国籍は韓国籍ですか、日本国籍ですか?
A1:晩年は日本国籍でした。2024年12月29日付の産経新聞インタビューで、本人が数年前に国籍を変更し、現在は日本国籍であると明らかにしています。
Q2:張本勲の本名は張勲(チャン・フン)ですか?
A2:韓国名は張勲(チャン・フン)です。日本では張本勲(はりもと・いさお)の名前で知られています。
Q3:張本勲が日本に帰化したのは何年ですか?
A3:正確な年は公表されていません。本人は2024年のインタビューで「数年前」と説明しています。
Q4:張本勲が日本国籍を取得した理由は何ですか?
A4:本人は、韓国のある政権が在日韓国人を軽視するような態度を取ったことへの失望を背景として説明しています。また、韓国野球界との関係についても不満を語っていました。
Q5:張本勲は日本生まれですか?
A5:はい。1940年6月19日に広島県で生まれました。韓国出身の両親を持つ在日韓国人2世です。
Q6:張本勲は韓国プロ野球にも関係していたのですか?
A6:はい。1982年から2005年まで韓国野球委員会(KBO)のコミッショナー特別補佐を務め、韓国プロ野球の創設期と発展に貢献しました。
Q7:張本勲は2026年現在も存命ですか?
A7:いいえ。2026年9月9日に86歳で亡くなりました。日本プロ野球名球会が翌10日に公式発表しています。
張本勲さんの国籍は、長年維持してきた韓国籍から、晩年に日本国籍へと変わっていました。
2024年12月29日の産経新聞インタビューで本人が明らかにしたこの事実は、在日韓国人2世として生きてきた張本さんの人生を理解するうえで、大きな意味を持ちます。
要点を改めて整理します。
1. 出生とルーツ:1940年に広島で生まれた在日韓国人2世で、韓国名は張勲。
2. 国籍の変遷:長年韓国籍を維持した後、数年前に日本国籍を取得。
3. 帰化の背景:韓国の一部政権による在日韓国人への対応に失望したことなどを本人が説明。
4. 取得年月日:具体的な年や月日は公表されていない。
5. 野球界への功績:日本で通算3085安打を記録し、韓国プロ野球の発展にも貢献。
6. 最期:2026年9月9日に86歳で死去。
張本さんは、日本のプロ野球史に偉大な記録を残しただけでなく、韓国野球界にも長く関わり続けた人物でした。
日本国籍を取得した後も、韓国にルーツを持つ自分自身への誇りを語っていたことは、特に印象的です。
国籍は変わっても、生まれ育った環境や家族から受け継いだ歴史まで変わるわけではありません。
通算3085安打という記録とともに、日本と韓国の両方に足跡を残した張本勲さんの人生は、国籍と民族的アイデンティティーの違いを考えるうえでも、記憶されるべきものです。
主な参考資料:産経新聞「話の肖像画」(2024年12月29日)、朝鮮日報日本語版(2023年5月)、日本野球機構、野球殿堂博物館、日本プロ野球名球会(2026年9月10日)、聯合ニュース(2026年9月10日)、法務省「国籍Q&A」。